そしてAさんは「厳しい大教会の修養科生は主体的求道精神に欠ける傾向が強い」との
慧眼を得た。
Aさんは修養科に入ってわずかの時間で、おつとめの作法をすべて暗記し、
自然に体で覚えた。そのことをAさんは非常に喜んでいた。
しかし厳しい大教会の修養科仲間に伝えても喜びは共有できなかったようである。
厳しい大教会では、もちろんおつとめの作法も厳しく練習もシビアで
「覚えて当たり前」とのことだ。
よくよく聞くと、やはり厳しい大教会は大教会長が信者に対して厳しいとのことである。
Aさんは具体的に大教会の名前を3つ列挙していたが、ここでは割愛したい。
一つは私がよく接する京都の大教会であった。
厳しい大教会では、天理教内での勢力も大きいことを考えると、
厳しい大教会ではかなり積極的な布教をおこなっているのだろう。