>>227
実戦カラテ 大阪拳友会 「月刊 空手道」 2001-12-31 22:10

…我々門下生の前では担当編集者の名前はもちろん、福昌堂という
出版社名すら口にされずただ「月刊空手道」と仰るだけでした。
2年ほど度々特集が組まれていたのですが、ある号で大山倍達総裁のインタビューが巻頭に掲載されたのをキッカケに
「もう月刊空手道には出ません」
と審査会で門下生を前に宣言されました。
極真会館とは同じ雑誌には出ないというポリシーを持っておられたのです。

「何で極真を載せるんかなぁ~」
編集長になられていた芦原番の方は、大山総裁インタビューを誌上に
掲載したことで大きな満足感を得られた様ですが、先代の大山総裁・
極真会館に対する複雑な想いが伝わっていなかったのでしょうか?
没後、「ゴング格闘技」増刊として「芦原英幸読本」が出版された時、編集者のコメントに、「昔から極真色の強いゴン格の取材を受けてくれるだろうか?」という危惧があった、と言う意味の言葉が書かれています。格闘技マスコミの中ではおそらく周知の事だったと思われるのですが…

以後、亡くなるまで本当に「月刊空手道」には出ませんでした。

月刊空手道の担当だった編集者が独立して興した「武道空手」という本の投稿欄に、近々芦原会館が登場します、と読者のリクエストに応える形で書かれていましたが、館長は一言
「出ませんよ。」
創刊号から極真会館をメインに据えてきた「武道空手」の取材を受ける気は毛頭なかった様です。

審査会でも仰ってましたし、また当時松山に所属しておられた方の回想ブログにも詳細な記述がありますが、「月刊空手道」取材の際に見せたのは非常に基本的な技(サバキ)であって、裏サバキなんてモノを
披露されたことはありません。

後に担当編集者は芦原会館とトラブルを起こしちゃうのですけど。
http://www.ashihara-karate.com/shinkan.htm

一度だけ芦原館長が審査会で言われたのは
「あの人の言うことは全部ウソです」