プロの世界は一度の失敗が命取りになる
こんなのは常識中の常識だ

「新潮45」が二度目の大炎上で大きく失ったもの 2018.9.22
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57611?page=4

ネットメディアやテレビに比して活字メディアが持つ過酷さのひとつは、ネット記事のように
訂正、削除というのが簡単にできないことだ。もし誤りが見つかった場合は「次号で」とか、
「重版時に」というのが一般的で、訂正に至るまでは数週間から下手すると数年のタイムラグがある。
重大な誤りが見つかって回収となっても、それ以前に流通した書籍や雑誌を「なかったこと」に
するのは容易ではない。
今回の騒動が起こってすぐに、杉田氏は自身が記したLGBT関連の書き込みを削除した。
しかし、書店に行けば「新潮45」は手に入る。紙面が撮影された写メ画像は、パソコンで入力された
文字よりもずっと多くを語る、というのも杉田氏には計算外だったかもしれない。

「生煮え」の文章を世に出して、訂正等になった場合、それにかかるコストもさることながら、最も
打撃を受けるのはこれ以降「中途半端な知識や論説を書く著者」と認識されてしまう書き手である。

活字媒体の中で「訂正」は、物書きにとっては致命的である。

筆力・評価が断定され、著者の将来を閉ざすことにもなりかねないとなれば、担当となった編集者は
細心の注意を払う。「事実誤認がないか」「読者からみてわかりやすい表現、展開になっているか」
等々、慎重に確認をしながら「生煮え」の原稿の足らざるところを埋めて行く作業を著者とともに行なう。
「新潮45」は「消せないメディア」として、杉田氏を支えるつもりがあったのだろうか。


>活字媒体の中で「訂正」は、物書きにとっては致命的である。