■「ノンフィクションの使命」を貫いた著者の姿勢

筆者は、この本をノンフィクション作品と定義し、野口修の聞き書きを「話の辻褄の合わないものや、
彼の記憶違い、意図的な作り話については、精査した上で割愛」する主義を貫きながら
厳しく執筆にあたった。たとえそれが野口修に「これを書き残してほしい」と哀願された
話であったにしても、その原理原則を貫いた。
 
特に沢村忠の八百長問題には、選手の沢村に非があるのではなく、プロモーターである野口修が
強制した話であると断じて、まるで自白に追い込む、刑事の取り調べのように厳しく迫っている。
「ボクシングプロモーターという真剣勝負の世界を出自とする彼が、『そうでない試合』を
提供し続けた心情については、本書の性格上、避けては通れない問題である」と記し、
何度も問いかけるが、野口修が口を割ることはなかった。
 
(略)更に一言付け加えれば――。
ボクとの雑談のなかで筆者が最も好きなノンフィクションの1冊として挙げたのが、
『夕やけを見ていた男 評伝 梶原一騎』(斎藤貴男・ 新潮社・1995年刊)である。
本書は、新潮文庫(2001)、文春文庫(2005)、朝日文庫(2016)と、10年余の間に三度、
タイトル、出版社を変えて文庫化されている。
ノンフィクションの名作を支える矜持、黒子たる編集者にも連綿と続く地下水脈が流れているのだ。

水道橋博士による12000字激アツ書評! 『沢村忠に真空を飛ばせた男―昭和のプロモーター・野口修 評伝―』
特別寄稿「前人未到の昭和史発掘。まさに巻を措く能わず!!」完全版
https://kangaeruhito.jp/trial/22773