少林寺が平時の護身性を強調するのも柔術の系統だよね
「貞丈雑記」によると戦場の組打の練習が相撲で平時において罪人を捕らえたり身を守ったりするのが
柔術であるという区分が江戸時代にあったらしい
中国拳法は違うでしょ?
戦場で使えるものではないがすべての武芸の母となるため学ぶ必要がある(「記効新書」拳経)
中国武術の思想ではあくまで武器術を使うための身体づくりのために拳法はある
つまり拳法そのものには存在意義を見出していないんだよね