ここまでが強くなる話、護身の話。
で普段から虐めっこの凶暴な格闘家がいると仮定する。
そいつが例によって弱そうなのを、虐めに掛かるとすす。
でも、実はその人は隠れた喧嘩の名人だったとしたら?
相手がゆだんするような話術や、芝居で油断させて、たまたま持ってた何か一般品でヤバい所刺したり、目や何か大事な場所壊してたりして、そこで戦闘力奪っておいてあとはボコボコ。
捕まっても「相手が有名な暴れ者だから何か覚えてないけど必死で戦った」と言うことでたぶん情状酌量の余地有り。
と言うことになるかもしれない。
猛者が、何かの道具で無力化される。強いだけの人の鍛錬とは、その千円位で買える一般品程度の価値だったということ。
宮本武蔵が風呂に入らない位用心したとか、合気道の奥義は相手と友達になるとか、開祖の武道職人になるなとかいうのはそういうことだろう。
たかが強さ、されど強さ。
強さを求めるのは大事だけど、強さだけモトメル武道ではその千円の一般品の価値ぐらいということ。
でも、武道の動きを日常生活に生かせたり、あるいは日常生活の動きが武道と一体なら、日常生活が武道のけいのとなる。
また、日常生活の気配りとか心がけほ武道のギリギリの闘いの中の賞盃の鍵となり、武道を正しく修行するならその精神は日常生活生活でも幸運に結びつけられる。