京大総覧の法学部在籍 姜秀辛が後の姜昌秀
日本名の中村日出は後の中村日出夫

現代の日本人は生まれた時に親が戸籍登録下氏名が生涯変わらないのが常識ですが、江戸時代以前の社会では子供の時は幼名を使い、元服すると氏名を名乗り、出世や転職、転居など生活が様変わりする節目で改名して、更に古希など長寿の節目でも氏名を変える文化

朝鮮半島出身の先生が京大総覧で「中華」なのは謎ですが、中国では四柱推命、紫微斗推命といった占星術に氏名を使う関係からか、地元の役所に届出れば簡単に氏名を変えられるそうです
やはり職業を変えたり何らかの節目で変えるのが現在でも一般的とか

菅沼光弘本によると中村先生は全羅南北道の生まれで全羅南北道は済州島の次に差別を受けている地域だとか
幼少の時に習っていた十八卦という武術も中国東北部に移住して習っていたのかと思います
十八卦は朝鮮武術ではなく中国武術なので