IUMAホームページより

「1965年〜1966年には最早1つのスタイルと呼ぶには相応しくないものに昇華しており、新たな名称を考案して行く中、ブルース・リー師祖とイノサント師父との会話から『ジークンドー』という名称が誕生しました。」

いやいや、そのあと最終的にブルース・リー自身が、ジークンドーとはブルース・リーの『スタイル』であると書いているわけで。

それが、テッド・ウォンをパートナーにしながら1967〜1973年までの期間にさらに発展したファイナルステージ。
イノサントさんはブルース・リーから確か3年程しか習っていないがテッドさんはその倍。
なぜ師祖が残した最終形を学ばないのか?