そんでな当時の福昌堂編集部は中国政府ベッタリで高円寺散打研究会(福昌堂の読者交流練習会)と袂を分かつことになったんだけど、そん時のメンバーに巨椋修(当時は小倉おさむ)がいたんだよ。