石井館長に興味があるから語ってくれ
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> まだ安価な革製ミットというのはなくて、非常に高価でした。5万くらいしたんじゃないかな。
そうそう、これなんですけど、で、最近よくあるビニール製のキックミットね、スポンジだけ入ってる簡単な構造のやつ。
あれも館長の発案ですね。注文して作らせたんです。一個1000円で配布してました。
それ以前にはwinningの5-10万する高価なキックミットしかなかったんです。 その後安価なタイ製のキックミットが入るようになり、いち早くオリジナルブランドとして売ってましたでしょう?
しかも他よりすこし安く。月謝も他団体よりすこし安くする、この辺はたしかに大阪商人的ではありました。
払った金額よりすこしお得感があるようにする。K-1の成功もそれがある。カードを出し惜しみしない。
客の立ち場で考える。こういうのも空手家としては異色だったんです。 >>99
関係者ですか?良かったら館長のエピソードとかあれば教えて頂きたい まあちゃんとした商人がお客(道場生)をぞんざいに扱う訳ないわな
その辺は長くお金を運んでくれるお得意様への常識的対応でしょう
逆に言えば極真がその辺が非常識だったし
そこを改革したのは芦原先生が最初だった(本人も最初極真式で大失敗した) BIGINのビニール製のキックミットなら、地下でよく内弟子と練習生が
素手でスポンジや布の欠片つめてつくってたよ
作業終わったら、正道号(白い軽バン)に乗ってラーメンとか食いに行ってた
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第二章 前哨戦、減量すらしてこない相手
◆10年間不敗の、無敵王者の正体
◆メディア前でペットボトルガブ飲みの奇行
第三章 担架で計量に運ばれてきた相手
◆恐れていた不安が現実に・・・・
◆空振りパンチでダウン、かすっただけでKO負け
◆パチモノ王者だった奪取したタイトル
<<終わりに>> 原田さんの本読んだら石井館長めちゃくちゃ良い人だった。
芦原館長が大阪まで道場経営の監視をしにいって石井館長が寝ている間に隠してる金が無いかとカバンをゴソゴソしていたエピソードは衝撃。
芦原会館から職員を引き抜いたのも嘘。
初期の高弟が後で全員石井館長側に着いていったというのが真相。 正道館が出来たときは、専属は石井館長と前田さんのみ。あとは100名程度の大学同好会の会員のみ。
半年ほどして、中山さんが極真から移ってきた。
そののちに天満の道場が出来て、一般道場生が入門したり、内弟子が出来たり、大学生から職員に
なる人もちらほらいたが、あまり極真時代とは重なってないですよ。
京都支部は極真、正道、芦原どれにつくかでもめたらしいけど。
よく当時を解説した本なんかで誤解されてるけど、正道は極真芦原から独立したんで、芦原会館からではない。
芦原会館が出来たのはずっとあとですよ。組織的には極真芦原時代にもう本部とは別だったと思うが、
芦原会館という名称を使い始めたのは、正道の4-5年あとでした。正道が発足してからも、ナンバの
極真芦原道場はだいぶ長くありましたからね。そのころには本部系の関西本部も出来ていた。
だから、本もweb情報も当時を知らない人たちが書いてるから、大半まちがいですね。
関西地区の極真系は最初に(たぶん1978年ころ)に
極真芦原道場(大阪ナンバ、神戸西台)
1981年ころにあったのは、
極真芦原道場、極真関西本部、正道館、士道館関西本部
その2-3年くらいあとには、
芦原会館、極真関西本部、正道会館、士道館関西本部、極真中村道場
そのさらに4年後くらいには
大道塾関西本部
という感じですね。
京都はよく知らないので、除きました。 あと、石井さんと中山さんが抜けた極真芦原大阪道場は、のちに芦原会館と名称を変えたらしいのですが、
存続していたかどうかは記憶にありません。たぶん消滅したのではないでしょうか。 佐竹の回想本の中にもあるように、彼が見学したのは、極真関西本部と正道会館だけです。
芦原会館なんてものはなかったのです。 コーチとして極めて優秀で人あたりがいいのはわかるけど石井に
空手家としての実力があったり人望があったりとは考えづらい。
なんで芦原の高弟が結構な数、石井のもとについていったんだろうな 空手をやっていない人にはわかりづらいと思いますが、空手の師匠と弟子には独特の関係があります。
第二の父親というか。石井館長は若かったので、アニキというか。
前田さんはもともと糸東流で、四国の芦原先生の弟子だったと思いますが、中山さん以下は館長に
空手を一から習ったのです。石井館長はトップ選手ではなかったかもしれないが、当時関西では
珍しい極真の黒帯だったのです。また、教え方も理にかなってました。
当時としては珍しかった氷柱割り、バット折りなどを開発したのも館長です。
加えて、経営者としては必ずしもトップ選手だった人がいいとは言えないのはわかるでしょう。
名門帝拳ジムの会長は、前会長の下で事務員だった女性です。
ただ、空手の場合はさすがに空手経験のない人には誰も従わないでしょう。
館長は空手家とすぐれた経営者がほどよくミックスされていたのです。
これは当時としては珍しかった。
だから、日本国内はいうにおよばず、海外でも犬猿の仲だったチャクリキとボスジムが
館長の仲介で、手を握ったのです。→詳しくは館長ブログ
つまり、K-1は館長がいなかったら出来なかったのです。もちろん佐竹の存在も大きかった。 中山猛夫はやっぱり石井館長がいちから育てたわけですか? またこうも考えてみてください。
極真は関西への進出が大変遅れた。
はじめて道場を出したのは、本部ではなく四国だった。
なぜ?
また、本部の関西本部は経営者が他流の人で、本部は指導員を派遣
しているだけという状態でした。
そのことを当時は四国側は揶揄したもんです。
なぜ?
だから、K-1でブレイクする前の関西極真事情を知らないと、
なぜ館長がトップランナーになったのかわからないのです。
また、名選手をたくさん育てた、また彼らに実力以上に
世間にアピールする機会を与えた、それが大きいと思います。
館長はね、最初に正道館を立ち上げたときから、他の先生たちとは
ちがっていたのです。その方針が時代とマッチしていた。
それを大学生たちも感じ取って、この人についていくのがいいなと
選択したのだろうと思います。
中山さんはその点用心深くて、あの人はプロだから、すこし様子を
見ていて、合流が半年ほど遅れたのです。 >>124
私は中山さんについてそれほど詳しくないのでちがってるかもしれないのですが、
彼は和歌山でケンカの強い人として有名だったようです。
たぶん極真芦原道場大阪支部で育った人だと思います。
中山さん中山師範は、ある意味不運な人で、全盛期に試合がなかったのですね。
経験1年半程度で、極真の全日本で準優勝した天才児なのに。
彼が全盛期を迎えたころには、四国は本部の試合に出なくなっていたので。
あの人の実力からしたら、正道の初期の大会で連覇したことなど小さすぎる勲章です。
正道の第一回の大会を、現役の極真のチャンピオンも見学に来ていて、顔面ひきつらせて
帰っていったのを私も目撃しております。
だから正道といっても、館長一人だけではなく、弟子たちもがんばったのです。
当時としては、まだまだ小さい団体だったのですけどね。
K-1が始まったころは、中山さんはもう30代後半だったので、デビューせずに
佐竹に道を譲ったのです。キックも経験していた中山さんの方が実力は上だったんですけどね、
佐竹のスパーリング相手になってくれたのです。 > 芦原の高弟
四国の内弟子でついていったのは前田さんのみです。のちに離脱したましたが。
他は館長の大阪時代の直弟子です。 だから、芦原とは館長のみが共通で、他の人は四国とは無関係です。
正道の人は大体四国のことはボロクソに言ってました。 あと鹿児島にも正道ありますが、あれは大阪とは無関係で、極真本部系で、看板だけ正道になったので、
あんまり関係ないです。
こういう例は多々あって、士道館関西は士道館とは関係なく、極真中村道場の系譜なのです。複雑ですね。
だから、看板だけではわからなくて、誰の弟子だったかまで調べないと系譜はわかりません。
大道塾関西本部の重量級チャンピオンも、元中村道場の人です。
中村道場は兵庫県ではものすごく勢力があったので、関西の選手は正道以外だと大概あそこの元弟子です。
関西では、大阪が正道、兵庫県が中村道場という勢力分布でした。 あと、かつて全空連のプリンスと言われた内田順久さんも、館長の元弟子だって知ってますよね。
彼は、高校が名門の空手部(剛柔流)で、平行して極真芦原京都支部にも通っていたのです。
教えていたのは館長です。たしか緑帯くらいまでで。京都産業大に進学してから、本格的に
学連空手をやったわけですが。 1980年頃にはウィリー猪木戦後に芦原、添野、梶原兄弟が離れて極真が次の時期に移ったよな
純粋大会路線になった
空手バカ一代のプームで一気に支部と会員が増えたがブームは鎮静化
大会はマニア向け
1980年以降入門した道場生にはギラギラした個性的なのが減ったかも マニア受けというかそれまでがメディアに寄り添い過ぎたと思うけどなw >>118
石井館長は全然いい人じゃないよ
石井館長を立てるためには芦原館長や他の人を貶めるしかない時点で、
あれっ?おかしいな?って気付くべき 関西の都市で90年代に中高時代送ったけど極真の全日本選手はもちろんウイリーウィリアムスのこと知ってる同級生もひとりいるかいないかくらいいなかった
佐竹と戦う前は 俺も東京育ちの同世代だけど フルコン空手とかやって無いとウイリーなんて知らないよ
うちもクラスに一人いたり居なかったりだった ただのプロレスファンと空手実践者の視点はだいぶちがいますよ。
ウィリーは80年代、テレビ漫画で流行ったかな。猪木馬場の世代だな。
ただ当時極真やってる人の多くがプロレスファンだったですね。 そろそろここも一般人が書き込みはじめたから、退散するかな。 時系列
美術学校進学のために大阪に行った石井に芦原が道場設立を命じる
↓
劇画と映画のブームのおかげと石井の手腕も手伝って、滋賀と三重は知らんけど近畿に一大芦原道場圏ができる
東京本部に登録していない道場と生徒が多数のため上納金も本部に納めず、さらに芦原は税務署逃れのため近畿の道場生が納めたお金を銀行に預けないように石井に命じた
芦原は月一回、近畿の道場生に納めさせた金を税務署逃れのために石井に現ナマで運ばせる
↓
そのおかげで立派な芦原本部を建てる
誇らしげにマスを愛媛に招待するも、劇画の主役を取って代わられ東京本部よりもはるかに立派な芦原本部を建て、娘婿に与えた関西本部よりはるかに近畿一円で道場を繁盛させているらしい芦原に対してマスは以前からの不快感に加えて警戒心を抱く
↓
二宮や中山猛夫といった芦原門下の選手が全日本で活躍し芦原道場の存在感を大きなものとする
↓
11万の月給を12万に上げてくれと言った石井に芦原は猜疑心を抱き石井の排斥を画策する
それを知った石井は失望し芦原の下を離れることを決める
※石井が言ったこの「11万の給料を12万に上げてくれという話」はオブラートに包んで省略してわかりやすく丸めまくった言い方で、実はもっと多額の金が絡んだドロドロの利権をめぐるイザコザがあった可能性もある
↓
月給50万にするから残ってくれという芦原の慰留(石井談)を振り切って石井が芦原道場を離れ正道館を作る
↓
その半年後にマスとの対立が決定的となっていた芦原が極真を破門される
時を前後し東京では添野が破門され梶原兄弟とも極真は絶縁し、極真は時代の区切りを迎える
近畿では芦原道場生の多くが「直接教えてくれた石井先輩」の下へ再結集しその後輩たちが正道会館の基となる ↓
マスは芦原の破門後即座に世界チャンピオン中村誠を1万円の餞別も渡さずに兵庫支部長として派遣するも旧芦原道場生は取り込めなかった模様
以後、マスは川畑幸一以下、若獅子寮出身生を近畿各府県の支部長として派遣する
↓
マスは経営手腕に欠ける娘婿に見切りをつけたのか、大阪の南部を中村誠に、北部を前田正利に任せる
娘婿は関西本部責任者という肩書でウエイト制大会の責任者となる(名義上の関西本部代表はマスの三高弟の一人岩村博文)
長々と書いてしまいましたがどうでしょうか先輩 >>138
次はどこの掲示板でマウンティングするんですか? このスレで語られてることは大体は実戦カラテ大阪拳友会のブログに書かれてることと時期かぶってますよね
石井離脱、正道草創期、芦原破門の混乱期のこと 拳友会は一般会員色帯としてかじった程度の人ですね。おたく。まちがいだらけ。いちばんひどいのが
例の元月刊空手道編集長のやつです。平成になって出たような極真真実本もニセ名でやつが書いてます。 ウィリーは空手家のなかでは一番有名なくらいだろ。
少年マガジン四角いジャングルの実質的な猪木とのダブル主役だし >>134
やはり佐竹氏の本に書かれている事が真実なのでしょうか?
他の人の石井館長評を聞きたいですね。 >>146
実際に関わった者としては、
佐竹さんの著書に書いてある通りの人だと言わざるを得ない。 普段はどうあれ利害がからむと平気で情を切り捨てられる人間なのは間違いないな 石井の月給制11万とか12万に上げてくれといった話は紙芝居のように省略&矮小化しまくった話だと思うが佐竹の5万はガチだろうな
内弟子扱いでメシは量で食えたりしたのかなあ
それとも吹田か茨木の実家で親の世話になってたか
あの体だし食べる量も相当だったはずだが >>147
身バレしない程度でもう少し詳しく教えてください。 -------------------------------
ここから以下はシロートの駄法螺です
-------------------------------- 藤原敏夫の話では、ファイトマネーなんて貰ってないと言っていた。
黒崎健時もあくどいというか、それでビル建てたのかのかよ。 小比類巻がユーチューバーになって黒崎道場に短期弟子入りした思い出を
語ってるんだが、なんで辞めたかと言われて「僕はやめるつもりなかったけど
石井さんやテレビの人が辞めろ辞めろというから仕方なく・・・」って
情けないこと言ってた。
「石井館長にはお前絶対あそこはやめろ、お前の意思で辞めると
伝えてこいと言われた」って、そんなに辞めさせたきゃ石井が自分から出向いて
黒崎に差し向かいでやめさせること伝えてやりゃよかったのに >>156
まーあそこは試合で勝つ為に強くなる為の道場とはちと趣が異なるからな。壁蹴らせたり200kg近いリュック背負わせたり。 もともと黒崎道場は試合で勝つため強くなるための究極の道場だったはずなのになんで
お笑い漫画道場みたいな扱いになったんだろうなあ >>158
格闘技ブームが去ってスパルタが敬遠されたからじゃないかな 個人的にはお笑い漫画道場でいいから黒崎イズムは残して欲しかったなあ
あれTVでお茶の間に向けたらスゴイ絵になると思うのに何でTV局もコヒを
辞めさせたんだろう? 今だと放送禁止レベルだからかなあ 黒崎「このメンツならローキックだけで優勝しなきゃいかんな」
小比類巻(よし、ローキックだけで戦ってやる!)
結果→須藤元気にバックブローでダウン奪われ、大野と一進一退のギリギリまで追い詰められ、魔裟斗に負ける いうたら悪いけど1年程度でケツ割ったんじゃやるだけ無駄だったな 新人じゃないんだから
次の試合に勝てないならやめたほうが でもモウロクした70歳の黒崎のところに仮に藤原敏男が入門したとしても
藤原敏男は育たなかったろう。
指導方法は傍目には同じでも藤原敏男を育てたという偉業は
壮年期の黒崎だからできたんだと思う >>168
藤原敏男の頃とは試合数も全然違うからね
昭和のキックは月2回ぐらい平気で試合してたから実戦経験を積む事だできたけど、
小比類巻の頃はそんな事は不可能だった マイクタイソンが月に2回も3回も試合してたの知らないの?
沢村はヤオだけど藤原はガチだよ 要はダメージさえなければ毎日だってできるからな。
もし一発もパンチもらわないなら月2も可能だろう 藤原は試合がある方が楽とか言ってたからね休めるからw
今の選手だとぶっ壊れる 昭和のキックボクサーはパンチドランカーで今も苦しんでいるのか? 社会不適合者のクズ扱いされておわりかな
ボクシングの世界チャンピオンがバラエティ番組で天然ボケや珍回答するのは学がなくて反射神経で生きてきたからか打たれたからかわからんところがある
世界チャンピオンは尊敬してるけどな
>>209 ミスインターナショナルを恫喝したんですか?石井浣腸 やっぱり自分だけ高級外車に乗って下っ端をこき使うような人間はアカンよなぁ。 まあ佐竹も交渉すれば値上げはどんどんできたろうけどな。いないと困るんだから。
「やめさせていただきます」と言えば値上げに石井は応じるしかないんだから やめたのは武蔵戦の判定が理由
もう佐竹を見限って武蔵をエースにすることにしたんだよな館長 武蔵はクリンチしてただけで、技術もパワーも無かったからな 外国人選手に技術を認められていたのは武蔵で
佐竹はアーツやホーストには「草創期に俺らと一緒に盛り上げた
功労者、同志」として懐かしく思われてるだけじゃないかな >>187
いやレイセフォーにはクリンチばかりで逃げてると批判されてるが
しかもふざけた判定で武蔵の勝ちにされた 佐竹はナチュラル
武蔵はアンドロステンジオン
アンディはアナボリックステロイド
アーツやホーストも中期以降はアナボリックステロイド使ってただろうな >>189
ナチュラルの佐竹相手にクリンチで逃げる武蔵ってどんだけ弱いのよ >>189
アンドロはサプリメントじゃなかったっけ? ステロイドじゃないんじゃないの? >>192
アンドロステンジオンはプロホルモン。
当時はサプリ扱いだったが、実態は体内でアナボリックステロイドに変わる薬物。
ステロイドでないからOKという脱法ステロイドの一種。もちろん今は普通のスポーツでは禁止。
K-1やプライド、プロレスではオッケーじゃね? 武蔵vs佐竹戦は引き分けにして延長すべきだった。
延長でおそらく武蔵がポイント勝ちするからそれで決着付ければ問題なかったのに。
佐竹がダウン奪ってるのに武蔵がユナニマス判定勝ちなんてありえない。 逆に那須川があんなにクリンチしてるとこ見たことないんだけど
あれを基準にしたら武蔵の闘い方はクソ以下だと思うわ しかし、芦原英幸の葬儀の際に正道会館の幹部達数人と行って、
門前払い食らったとか中々に切ない話だな。
そんだけ、残った芦原門下の人間達に嫌われていたって事なんだろうが。 まあ故人に忖度したのかもしれんけどな。
袂をわかったひとらを自分らで勝手に迎え入れるわけにいかんと。
にしても小島の本に芦原はK1みたいな構想をたててたのに石井がパクった
とか書いとるが田舎に引っ込んで人脈のない、(小島の本によると)
プロレスラーを全員馬鹿にしてる芦原に石井の真似なんかできるわけないのにな。 警棒が警察に採用されると思った根拠はなんだろね
通販で買えるのかな
芦原スティック >>204
て言うか単なる空手馬鹿(馬鹿にしてるわけじゃない)に浣腸みたいなビジネスマンな事ができるわけ無いのにな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています