空手の型はやるだけ無駄と言う現実114
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空手家は型の意味を知っているのだろか?
知っていると豪語してもそれはただのこじつけではないのか?
現実離れした動作を繰り返す事で弊害が生じてはいないか?
型の分解や約束稽古をやる前にあえて型を練習する意味を型信者は答えられるのか?
その証拠に空手の型の動作で戦ったり相手を倒した例は一つもない
これらの疑問が解消されなければ空手の型はやるだけ無駄ということになる。
そして、これらの疑問がいまだに解消されていないのが現実である。
もちろん、空手の型は型競技、昇段審査、健康体操としてそれなりの意味がある。
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのはやるだけ無駄という現実。
前スレ
空手の型はやるだけ無駄と言う現実113
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1576066558/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:: EXT was configured 型の成立から説明をして、型を創作した時点で型に詰め込めるような技術は当時の琉球唐手には無かった、低レベルだったと
わざわざ言ってんのに、なんで未だに型が使えるとか夢見るヤツが居るんだろうな。詰まってないんだから使える訳ないじゃん 別に無意味だと思うならやらないで強くなれば良い
だけど、結局型が育んだ空手家に勝てないから、こんなスレが必要になる もちろん、空手の型は型競技、昇段審査、健康体操としてそれなりの意味がある。
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのはやるだけ無駄という現実。 型無意味論
てのは、割合、極真系の空手の初心者の間で起こりやすい論理で、
別に技が無くてもフィジカル強くて打たれ強ければ、初期の組手は強い
だから、型不要論が生まれやすい
成島竜や松井しょうけいみたいに他流派からの移転組は型がしっかりしてから始めるのでテクニカルな感じに強くなるけど、極真から始めるとサンペイケイじ的になるんだよね。
サンペイケイじもテクニックはあるんだけどね。 >>50
人間技でない
武器を持った相手を云々
ってのは、日本刀などを持った基地外を空手やってる警官が取り押さえるのは日常茶飯事だし、
今では子供でも出来るハイキックや飛び蹴りなんて元々は人間技ではないものだったからね。
戦前くらいの武術書だと、腹を蹴る前蹴りが大技だったわけだし >>52
>日本刀などを持った基地外を空手やってる警官が取り押さえるのは日常茶飯事だし、
え?
>今では子供でも出来るハイキックや飛び蹴りなんて元々は人間技ではないものだったからね。
え? >>53
武器持ってる不良を空手やってる警官が取り押さえるのは日常茶飯事
今日もどこかでやってる
ハイキック
新鮮味ないかもしれないけど、これ人間技の範疇を超えてるよ
空手が世に知られる前はね
結局、見世物として飽きただけでしょ。 空手や柔道が普及して、MMAのようなものに参加するものが増えた
からMMAが凄く見えるようになっただけで、MMA自体は大昔からある
空手家や柔道家抜きでは華麗な技は無くなるので、世間の興味は3パーセント >>47
なんか勘違いしてるから書くが、沖縄拳法は型を重視しつつ、防具組手を大事にしており、約束から自由組手はやっている。
また日本拳法は同じく防具組手をメインにしており、有名な猪狩元秀さんがキックで活躍したから格闘技のイメージが強いが空手を学んだ澤山先生が作ったもので、空手と同じく型もある。
例
https://youtu.be/JOI2xzhHaLA
似た武道だけに、今回のは格闘技vs空手って感じじゃない。
知識ないのは分かるけど少しは調べてみよう。
大丈夫!
君なら人並みに知識増やせるさ! >>54
>今日もどこかでやってる
どこで?
>新鮮味ないかもしれないけど、これ人間技の範疇を超えてるよ
実戦的ではないからやらんかっただけで足を頭上に挙げる動作なんてのは
昔も今も人間の能力で成しうる範疇。人間技を超えるって意味分かってる? 常識の範疇を超えてる、武術における攻撃としての範疇を超えてる、とかなら「まだ」分かるんだけどなあ。 >>59
まあ、俺は認めないと言い続ければ議論は勝ちというスレだからねぇ
今となっては、
型競>>>>>> MMA
というのが世間の評価だし、 MMAを実戦的と思ってる人も居なくなってしまったから虚しいことだよな あと、キックや総合について一応書いとく。
なんかキックや総合は格闘技って武道や武術とは違い実戦的とあるが元々について考えたことあるのかな?
リングやオクタゴンなどの競技の面が目立つが、キックボクシングはムエタイが元で、ムエタイはタイ国の戦場武術が最初になっており、古式ムエタイは型の武術で独演型もあるし、武器もある。
タイではかけのムエタイも大事にされているが、仏教が国教のため、古式ムエタイも尊ばれ大事にされている。
https://youtu.be/K0guVCi_CO8
総合の打撃のキックのは上記と同じでグランドは柔術が元になっているが、ブラジルに生まれた柔術の元は日本の柔道学んだ前田光世が作っており、柔道はそもそも打ち込みなどを大事とする乱取りと型の武術だった。
そう意味で考えると格闘技は型武道無くして生まれはしないわけで、アンチはムダな武術・武道の先に格闘技があるのをどう考えているのやら。
アンチが言ってんのは自分が大人になってからご両親にお前らなんて生まれなきゃ良かったみたいなルーツの元を否定するよく分からん話をどや顔で書いてるんだよね。
厚顔無恥って言葉知らないのかな?ww >>60
具体的にどこで日本刀をもって暴れてる暴漢を空手やってる警官が取り押さえてるの? ちなみに仏教とムエタイのつながりは長くなるから書かないが、興味ある人はこちらの本を読むことをおすすめする。
http://www.mekong-publishing.com/books/ISBN4-8396-0277-2.htm
古式ムエタイは試合では使えないが、空手の型や中国武術の套路と同じく人を殺める技だけに動きのムダの無さは美しい。 要約すると、
型そのものは役に立たないが、歴史的なシンボルとしては存在意義があると言いたいわけだね
型が使えない事実は変わらないじゃん >>65
馬鹿だなお前。
型を練習する武術が使えない武術なら格闘技の元になる訳ないだろww
逆に言うと格闘技は使えるのに型は使えませんというのは矛盾したこと書いてんだよなww
ここまでどや顔して書いてるの想像したらむちゃくちゃ面白いなww 使えるようにした型は使える、と言っていいと思う
ただし、本来の型は歴史的な成立過程において使える技術なんてものを込めるほどの
技術的な土壌がそもそも琉球には無かった。故に、型に大した意味は込められていない。
どこぞの先生や、あるいはここに居る名無しが型に型でなければならない何かしらの意味をこじつけて
実用や運用が可能であれば「使える」と言ってもいいと思う。ただしそれは近年こじつけたものであって
昔から伝えられてきた型にはこれっぽっちも貴方がこじつけたような意味は元々無いと心に留めてもらいたい。
まあ、使える以前に型でなければならない明確な意味をこじつけた人なんて聞いた事ないけどね >>67
>使えるようにした型は使える、と言っていいと思う
→これは型は使えると言ってるの気づいてないのかな?ww
これまで型は全く使えないと書いてたのになww
>ただし、本来の型は歴史的な成立過程において使える技術なんてものを込めるほどの
技術的な土壌がそもそも琉球には無かった。故に、型に大した意味は込められていない。
→使えると言った型の「歴史的な成立過程において〜琉球には無かった」って意味不明ww
型が琉球によって作られたのに、使える要素があるなら元は琉球にあるんだから琉球には無かったって自分で無いことにしてるww
自分でなに書いてるか分からなくなってるね。
>どこぞの先生や、あるいはここに居る名無しが型に型でなければならない何かしらの意味をこじつけて
実用や運用が可能であれば「使える」と言ってもいいと思う。ただしそれは近年こじつけたものであって
昔から伝えられてきた型にはこれっぽっちも貴方がこじつけたような意味は元々無いと心に留めてもらいたい。
→元々(意味)は無いとあるが、昔の人が何かしらの意味をこじつけて実用や運用が可能であれば「使える」と言ってもいいと思うんだよ。
近代でなくとも。
お前の文章拝借して書いたけど私はなにかおかしいこと書いてる?ww
>まあ、使える以前に型でなければならない明確な意味をこじつけた人なんて聞いた事ないけどね
→自分で何を書いてるか分からなくなってるねww
型でなければならないっていったい?
使える技を残す形がたまたま型として伝承されただけで型にしなければならないと思って型が生まれた訳ではなかろう。
型は技を学んだり、身に付けたり、伝えたりするのにたまたま都合が良いから生まれた表現方法だ。
Wikiにもあるから引用する。
「武道・伝統芸能・スポーツなどで規範となる方式。名人などによって生み出された技法や表現形式といえる」
一応書くがアンチが使えると認めた時点でアンチの空手の型はやるだけ無駄という論は破れました。
はい、論破。 >>68
>→これは型は使えると言ってるの気づいてないのかな?ww
>これまで型は全く使えないと書いてたのになww
頭大丈夫? つーか、朝鮮と同和部落と沖縄だらけだからかかわらない方が良い
なんで集団ストーカーかませて集団で口裏合わせたり話を都合よくするのに手馴れてたり暴力団と繋がってたりするのか解った
糸東流の西岡とか柏下とかもそれだな
なんとかチャンピオンだの国体レベルだの何段だの警察にも大勢いるだの宗家だの言っても、あんなんな訳だ >>66
馬鹿はお前
型稽古中心の武術から格闘技に格上げした先人が偉いのであって、型が偉いわけではない ププww
朝からたくさん書いて。
よほど悔しかったのかな?
>>69
これはお前の書いた文を「(使えるようにした)型は使える」と区切ったら分かるかな?
お前は限定にした文を書いてこちらの主張した型は使えるというのと違いを作ろうとした。
しかし、括弧で区切れば分かるようにどうあれ、型は限定的にしろ使えると書いている。
限りなく少なくとも型は使えるとお前は認めている。
昨夜書いた文の意味はこれだ。
多分難しくて分からんだろうなと思ったらやはりかww >>71
数学や科学もそうだが、後世の学者が昔の単純な数式や証明を発展させ、バイオや宇宙など多くの素晴らしい発見や高度な体系構築を築いた。
しかし、お前のような馬鹿な発言をするものはいない。
基礎となる思考や型があるからこその発展であり、発見につながったのだ。
コロンブスの卵という言葉がある。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%96%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%8D%B5
お前は最初のものを作る難しさを知らない現代の子供だから仕方ないが、今のゲームの元になるブロック崩しやインベーダーゲームなど、あれらがなければオンラインゲームも生まれなかったという話だ。
まあこの例えでも馬鹿だから分からんだろうなww >>73
その例えにのれば、
型のオリンピック競技は数学オリンピックみたいなものということになるな
型ヲタは何の役に立ってないが >>72
いや、このスレで俺が書いた>>67の意味が分かってないのは君だけだと思うよ? まぁ、幼稚園児には理解できないだろうからほっとくとして
他に俺が書いた>>67について誰か異論ある人居る?
論理的に無駄が無いからおそらく誰も異論ないと思うけどね MMAの最高峰rizin への世の中の評価=視聴率3パーセント
MMAが強くて価値がある
という前提で話すのは、そろそろ辞めようぜ >>77
だからと言って型が使えることにならないが 平安二段の最初は後屈立ちになっている。
後屈立ちは曲げる方の足と同じ側の手で何かを引っ張ってないと不自然だ。
そこから後屈立ちの各挙動を考えると、動作をどう使うか考えやすくなる。 人次第ってことではダメなのか?
型やっても強い奴は強いし
MMAやっても弱い奴は弱い
これが答えだろ >>82
>平安二段の最初は後屈立ちになっている。
>後屈立ちは曲げる方の足と同じ側の手で何かを引っ張ってないと不自然だ。
ここまではいい
>そこから後屈立ちの各挙動を考えると、動作をどう使うか考えやすくなる。
なぜ? なぜそこから考えるの?
曲げる方の足と同じ側の手で引っ張る攻防をまず余所からパクってきて、それをこじつけた方が早いじゃん
動作から考えようと余所からパクってこようと、どうせこじつけてる事に変わりないんだから、パクった方が時間短縮になるでしょ? >>83
一番ダサい言い訳
人に丸投げはあり得ない 人次第だけど、型をメインでやる人で格闘技のチャンピオンはいないんだよな こちらの動画を見て思うのは格闘技の選手が戦って勝てるとは思えない。
型で鍛練した武術の力はすごい。
https://youtu.be/KjKvM4Wk2pI 東恩納と上地、それぞれ習いに行った時代も場所も違うのに、たまたま持ち帰った拳法が
揃って型(三戦・十三・三十六)の名前も動作も一緒で鍛錬方法(三戦鍛え)も一緒で
極めつけは流派の名前(剛柔流・半硬軟)まで一緒とか、ありえねーだろwww 双子かお前らw
片方が片方をパクったんだよ >>89
芸人が痛がる程度の打撃で粋がっても仕方ない
指を極限に鍛えたって、指だけで逆立ちは出来ないし、限界があるから折れる時は折れる
角材で叩いて鍛えたところで、いいパンチが入れば人間だから倒れる
どこに格闘家に勝てる要素があるのか分からない >>91
どうでもいい歴史に無理矢理な格闘技推しはマジ頭悪いww そもそも2人とも中国なんか行ってないだろ。
サンチン セイサン サンダイルイ
全部昔からあった那覇手だから
サンチン裁判になったわけだろ サンチン裁判ねえ、あれって未だに信じてる人居るのかな?
サンチン裁判は当時の新聞にも載ったとかいうけど俺が当時の新聞(マイクロフィルムを手動で
一枚ずつ確認だからメチャクチャ目が疲れるw)で調べた限りではサンチン裁判なんて記事は
確認できませんでしたなあ。
そもそもどちらのサンチンがが正しいかなんてのは唐手家同士なんだから
実際に拳を交えて立ち会えば良い話なのにしていないし、百歩譲って議論で決着つけるにせよ
東洋で生まれた武術で中国や日本で発達してるのなら当然東洋医に聞けばいいものを何故に西洋医に?
まあ戦前の新聞以外の他の記録にも全然残っておらず首里手どころか那覇手の人間すら話題に出さず
戦後になって東恩納や宮城などの関係者が亡くなってから急に出現した話wだから、事情はお察しってところだけどね。 あと、サンチン・セイサン・サンダイルイが昔からあったというその昔の定義が曖昧で
10年ひと昔というから、まあ10年前にすでにサンチンやサンダイルイがあったといわれれば
そりゃあっただろうねえwって話になるけど。
その3つの型のうち、一番古いのは三戦か十三だね。その三戦に関しても東恩納よりも前に
三戦を遡るのは難しい。十三はちょっとグレーで、おそらく泊の十三を参考に那覇手の十三を
改変したんだろうけど、もしかしたら那覇の十三を泊がパクった可能性もあるからここはグレー。
どっちにしろ首里のセーシャンは泊や那覇のあとに出来たわけだけど、三戦より十三の方が多くの
場所で行われているところを見ると、多分十三の方が古いんだろうな。
サンダイルに関しては、同名異種の型が広まるどころこあ、沖縄で上地1人しか習得してなくて突然世に現れました、とか
許田1人しか習得してなくて突然世に現れました、とか・・・ねえw
まあ秘密裏に私1人だけ伝承された、といえば夢のある話ですなあ。
糸州は首里手よりも那覇手の技術色が強かった、みたいな話もあるけど
その糸州が那覇手の三戦や十三や三十六について全然痕跡を残していない。
首里手の唐手家なんだから当然だろって声もあるかもしれんが、別に当時は流派の概念なんか無く
首里手だから那覇手の型を教えちゃいけないなんて話はないし、事実糸州は首里手の型と泊手の型を
併用して教えてる。首里手と那覇手はまったく逆の思想だから同時に習っちゃいけないというのなら
それこそ首里手と那覇手を習得した糸州の存在自体が矛盾する。船越も首里手の唐手家だけど、三戦や
スーパーリンペーを本土の大学で教えてるしね。船越の時代にはすでに「あった」から教えられたんだろうなあ。
糸州が習得していたハズの那覇手の三戦や十三やあまつさへ三十六wを教えずスルーしてるってのは
まあ糸州が那覇手を修行していた若い頃の時代には無かったと考えるのが妥当かなと。だから東恩納が
教えていた十三は泊の十三を道場を開くときにパクって改変して教えたんじゃないかと思う。
まあ、十三自体教えず、三戦とペッチューリンと部位鍛錬のみだったて可能性もあるけどね。三十六以外に十三も彼が作ったとかさ。 補足。
>三十六以外に十三も彼が作ったとかさ。
彼( ×東恩納 ○許田) で、長々書いたけど、ようするに何が言いたいかというと
沖縄の型なんてのは、元からある型をパクって動作を改変してハイ誕生!(十三)
それを中国から伝わったと宣伝。というのが基本的な流れ。
場合によってはパクるんじゃなくて、伝聞を元に創作しちゃう。
中国拳法ってのは、なんかこんな感じで手を構えて行ったりきたりするらしいぞ(三戦)とか
動作が長かったからほとんど憶えてないけど、最初の出だしと最後はこんな感じで終わってたよ
ってのを元に作ってあとは名前も似せて売れてる剛銃流に便乗しちゃう(某U地流三十六)とか
もしくはパクりじゃなくてまったくの〇からの創作、それこそ舞踊からインスピレーションを受けて
発生しましたみたいな型(ナイハンチ)とかさ。中国拳法伝来じゃない以上は技術なんて詰まってないし
沖縄の人間が創作してる以上は歴史的にも120年ちょい程度しかない。その120年の間、沖縄では対人稽古を
ほとんどやってこなくて、それは戦後まで続いたんだから型に技術をこじつけるなんて事もされてこなかった。
だから型には何も詰まってないし、それ故みんは現在シルエットクイズなどでこじつけをするハメになってるのです。
型の誕生とその後の流れを理解すれば、型には大した意味が詰まってない → イコール使えない
というのがお分かり頂けると思います。という訳で結論が出たのでこのスレは終了でいいと思うんだけど、どうかな? 平安五段の最初は
左前後屈立ちで左外(元、内)受け→右逆突き→左鍵突きと同時に
左足に右足を寄せて閉足立ち
と習うが、実際には
右手でフェイントまたはつかみ→左裏拳打ちしてすぐ手を返してつかみ
→左手を引くと共に右手で突いてつかみまたはつかみ→右手を引きつつ
左手は押し、右足を相手の足に引っ掛けて崩す
もっと簡単に考えるならば、
右手でつかんで左手を添えつつ引いて右足を引っ掛けて崩す
としても可。 長文だれも見てないよ
ネタスレで必死になってもなー 歴史書いてるならソース出してくれ。
勝手に書かれても知ってる人以外信じられまい。 顔面ありのガチの殴り合いってのはまあこんな感じなんだが
https://youtu.be/9ntgjPCEsrA?t=72
こういうったお互いがガチで顔面を狙って高速で何発も殴り合う状況で
約束組手みたいに左手で裏拳打ちをしてその手を返してつかんで今度は右で突いてまたその右手を返してつかんで〜
とか悠長なこっちの動作に相手が攻撃の手を止めてつきあってくれるかどうか。つきあってくれるといいね。 >>104
ソースはそもそも存在が「ある」と証明する側が出すもんだからさ。信憑性のあるものをね。
だけど、中国で習ってきただの型には昔から技術が詰まっているだの、存在を主張する側が証明できず
あまつさへ無いというソースを出せ、とか言うお粗末なバカが出る始末。
俺昨日100兆円道で落としたんだけどさ、俺が100兆円もってないって言うならお前がソース出せよ?って言ってるのと同じこと。
100兆円存在しないことを家の屋根裏調べた? 縁の下は? 隣の家に隠してるかもしれないよ? 隣の家も調べたら隣町の家かもしれない。
そうやってく限り、いくら探して無かったと言ったところで証明にはならないんだよ。アホでも分かる理屈。
じゃあどうしたら証明できるかといったら、探し方が足らないだのソースが無いだの文句垂れるんじゃなく
100兆円なんて金を本当に持ってたかどうか存在を「ある」とする側がソースを出すのが裁判の基本。
アホでも分かる理屈だけど、まあ中には分からない人が居るから言ってもしょうがないんだけどねえ。
>>103
別に必至じゃあなくて備忘録みたいな意味合いも兼ねたヒマ潰しだよ。
あと、剛柔流より上地流が古い古い言ってて真に受けちゃってる人が居るみたいだから
老婆心ながら公開しただけ。まあ別に信じないなら信じないでもいいんだけどね、何が変わるわけでもなし。 銃が強い理由は、遠間から攻撃出来るとか玉を視認で回避出来ないとか色々あるけど
結局のところ一番の理由は一撃必殺の威力を持ってるからなんだよねえ
遠間から攻撃できるとか避けれないとかなら銀玉鉄砲でも可能なわけだしさ
なんで一撃必殺が尊ばれるかというと、相手と接している時間が長くなればなるほど
相手にも意志があるんだし攻撃もする訳だし、時間が長くなるほど相手が出せる手数も多くなり
こちらが相手の攻撃を食らってダメージを負う確率も比例して高まる。
だから短時間で済ませなきゃいけない。故に一撃必殺ってのはカッコつけてんじゃなくて
いわば苦肉の策に近くて、一撃で決めざるをえない(長引くほど不利)なわけで、
そうい思想で考えると今の分解のように相手の攻撃を受けて突いて掴んで肘入れてまたつかんで
引きつけて関節極めて突いてまたつかんで投げてまた突いて〜、なんてややこしい分解なんかよりも
昭和の後期に協会がやってたような一本組手のような分解、突きだろうが肘だろうが蹴りだろうが
受けて一撃ビシっと入れて終わり、って方がある意味では理に適ってるともいえる。
昔の協会の一本組手や分解を見てると、だいたい一撃か、多くてもリカバリーの意味を込めて2撃までで終わらせてる。
https://youtu.be/LjDxkYHMWGc?t=60
問題は一撃必殺なんてものは可能か?って事なんだけど
ボクシングやmmaなどでも起こらない現象では無い。ただし条件がある。
とにかく難しいことではあるが追求する価値はあると思うので、型肯定派は
シルエットクイズでごちゃごちゃした手数のかかる非現実的な分解をこじつけるよりかは、
こっちの一撃必殺の研究した方がよくね?と思う。
まあ本当に一撃で効くかどうか試さざるを得ないからほとんど手付かずの分野になってるんだろうけどさ。 型もさあ、例えば何で突く動作は中段ばっかで上段で突く動作は極端に少ないの?とか
突き方も横拳ばかりで突いてて縦拳で突くのは極端に少ないの?とかあるじゃん。
何でも何も武術として生まれたんではなくて、踊りとしてこれは攻撃を現してる動作
ってことで拳を横にして中段を突いてるだけなんだから、わざわざ軌道を変えて
上段突いてみたり縦拳にしたりとか、そんな拳法じゃあるまいしする必要なかったのよ(笑)
ようするに慣習。
慣習がもつ言葉の意味は「ある社会で歴史的に成立・発達し、一般に認められている、伝統的な行動様式」
つまりこういう様式でやります、ってだけで踊りとしての慣習で作ったはいいが、武術的な意味なんて無いのよ。
だけど上で書いたように、ガチで一撃必殺(殺傷ではなく行動不能)が完成したあかつきには
体のどこに当たっても一撃必殺なんだから、的の小さい顔面を狙う必要もなく、面積が大きく当てやすい胴体に狙いを
定めたほうが命中率や効率が高いから型の多くは中段を狙って突いています、とかこじつけて言い訳も出来る。
もちろん型の創作当初からしてそんな理由無いんだが、別に現代の人間がそうこじつけたところで
それもいずれ古伝になるのだからウソさへつかずこじつけた年代をちゃんと明確に行う分には、別に良いと思うんだよね。
今こじつけたところでで300年後の人間にとってみれば、300年伝えられた歴史がある古伝の型の思想って事になるんだしさ。
ただし300年よりさらに前の船越や糸州や松村の時代からそんなものなんて無かったけど。
というわけで、来月またこのスレ見に来るから、それまでにみんな面白い事書きこんどいてね。 >>106
お前は型は役に立たないだの、上地流は剛柔流派のパクりというなら発言に対してソースだせ。
ある側がソースだすのがとかいうのは詭弁にすぎん。
>あまつさへ無いというソースを出せ、とか言うお粗末なバカが出る始末。
↑
これお前のことじゃね?
バカはお前なww 一撃で倒す素手の技なら、不意打ち後から一発最強かも。 まあたエア手のホモ野郎と手袋ホモダンスが適当こいてんのか
そんなに興味あるならそろそろ空手やれよ 俺は空手経験者だけど、型が無駄なのは誰が見ても明らかだと思うけどね 型っつーんは、最低限の素養を一人で維持する為のもの
基本や攻防技術などを全部実地で教わって、伝習出来るのなら必要なものではない
だから中国拳法にも型が無い門派が存在する ただ、少なくとも中国からの中国拳法として伝来後からは、型を中心に据えた空手の場合はその伝習体系が型に有るというだけ
もし空手が型を取り払うなら、型の無い中国拳法の門派の様に、練習体系や伝習のやり方を今の空手とは違ったものにしていかないといけない
中国にあった当時は、元々はその両方のやり方があったかもしれないし、いくつもの何某かの伝習方法が付随していたのかもしれない
特に組手
中国拳法は基本的に軽く当てるライトスパーリングをやる
もちろん強打する試合や練習もあったりする
欧米式に、グローブや防具を使って練習したりもする門派や道場も有る 型の定義はWikiより、「武道・伝統芸能・スポーツなどで規範となる方式。名人などによって生み出された技法や表現形式といえる」とある。
型が独演型か人と練習する組み型があるが、そもそもは一定の動きを繰り返し練習する雛型であり、武術・武道に留まらない。
言うなればボクシングならチャンピオンのシャドウをまんま真似る、キックなら強い人のクセやコンビネーションをそのまま真似るということであり、他の芸事や職人の世界にもある。
型を否定するのは、私の挙げた意味からすれば、独創であり、我流ということだ。
こちらのサイトにも型(形)の稽古の意味が書いてあるので見て頂きたい。
https://blog.teizan.com/entry/20130705/1373000514 我流も同じものを複数人がやれば流派だろ
ここで言う型というのは、空手の型協議でやる型の事だ そもそも一人なら我流かもしれないが、基本と応用と攻防の練習がきちんとあれば我流も型か? >>115
だからって空手の型を肯定することにはならないんだけど
方法と内容は別の話 >>116
競技な。
空手の型は競技化されているが、競技以外の鍛練としての型が本来はメイン。
型競技をメインにするからおかしくなる。 空手の型は無意味
型を使って身体能力や攻防動作の基本を効率的に学んでる
とする流派にしたら意味不明な難癖だもんなw
型無用論の流派よりと型ある流派の方が強いしな 中国拳法
14億人も人口がいて、文化や遺伝子ルーツを異にする民族が沢山住んでる国をして、中国拳法が同一であるかのような前提で、
型のない中国拳法もある
という非科学的な発言 型が本当に役に立つなら、基本も自由組手も生まれてないよ >>126
全部セットだぞ馬鹿
戯言はきちんと分解から応用出来るまでやってからな >>130
実際、伝統空手の堀口が、型を捨てた禅道会空手の朝倉に負けたからな つか全部やってからだと選択するには遅い
比較検討という広い視野が欠けてる
すでに大勢の人が色々やってるんだから
自分がジジイになってから作り変えて、次世代からになっちゃう
他の格闘技との喧嘩や色んなルールでガチでやれる機会や交流の多い海外でないと、比較検討出来ないかもしれないが >>122
>型無用論の流派よりと型ある流派の方が強いしな
実際は逆だということが証明されてしまった ラッキーパンチで買っただけの雑魚を過大評価乙だわw
2ちゃんの伝統だが >>131
どっちもプロレスじゃねえか
お荷物はおまえの頭な アンチよ。
型肯定者の我々はもちろんだが、アンチのお前も毎回似たようなこと書いてるよな?
それは毎回書いたり言うことで型無用の思想強化になるんだが、一言で言うとパブロフ犬のように脊髄反射レベルの発言が型そのものだよ。
型は無用と言いながら、いつの間にか型の効用をアンチのお前がしっかり活かしているんだから皮肉なものだな。
ただし脊髄反射のレベルは望ましいが、それに自分なりの意志が入らないならまだまだ型のレベルとしては低い。
こちらのブログにも極真の大山倍達先生の型の話があるから心して読みなさい。
https://budokarate.exblog.jp/7615354/ 古武道の演武を見たことがある。一人の型もあれば二人によるものもあった。
率直な感想は「なんだいこりゃ。こういう儀式みたいな、リズムのないダンス
みたいなのやって強くなるのか?面白いのか?」だったが、あれはあれで術で
あり、一つの道だとも思った。
空手の型もそういうもので、現在行われている組手、格闘競技とはほとんど
何も関係がないものである。単純な強さという意味では格闘技やってる方が
圧倒的に強くなるのは、まず間違いない。 私は型肯定者だが、型競技は微妙な取り組みであまり認めていない。
空手が広まるきっかけになるし、皆が見て楽しめるのかもしれないとは思うが、宇佐美選手の動画にある盛り上がって手拍子が鳴りはじめたり、立ち上がって声援贈るのとか見ると新体操やフィギュアスケートと同じようなダンスのように見られているようで何だかひいた(^_^;)
>>141
古武道は色々素晴らしい流派があるがタイミング、技の素晴らしさなどでいくとやはり香取神道流の組型はおすすめだし、この技を身に付けるのは容易ではない。
https://youtu.be/-pi1EWI3XS4
他は黒田鉄山先生の居合い一人型も尋常でない難しさで見る価値がある。
https://youtu.be/10d26omUsuo >>140
ほとんどのフルコンの組手選手が型を申し訳程度にしかやってない時点で、
いかに型が役に立ってないかお察しなんだよね
本音と建前ってやつだな >>143
そりゃ真剣使う方が実戦向きではある
でもさ、早く振ったり、早く抜くのが目的になってる時点で
形競技と本質は変わらないと思うよ >>144
極真の型を見て思ったのは普段あまりやらないというよりは型はこう練習しなさいという良い手本がないからよりやる気にならないのだろう。
良い手本がないからやる気にならず、やる気がないから審査以外関わらず、さらに型を上手く出来る人がいない。
悪い循環が出来ている。
組手も当初は型や鍛練で鍛えた技を活かす為の場所だったが、試合がメインになり、試合のルールが戦い方を変えていき、本来の戦い方から変わってしまった。
だから、より理想に近づくために芦原空手や無門会、正道会館、禅道会、士道館、空道が生まれた訳だが。 >>145
これらの型は型競技と違い、見せるのを目的にしておらず、組型ならタイミングや技の構成、位置取り、拍子を学ばすものだし、居合いについてはいかに相手に悟られずに身体を上手く使って剣を扱うかというのを学ぶためにある。
昔の名人が自分と同じか、それ以上になるためのツールとして残したもの。
型競技は本来は学び、自分を変えてより強くなるための鍛練である型を本人以外が見てより素晴らしい方を評価する競技に変わってしまった。
型は自分の身体に染み込ませ、身体操作を身に付け、名人や達人の動きや技を出来るように学ばせる財産だから、競技化は本当に本来の型の鍛練から外れていると思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています