「武術なら、勝てば良かった。だが道とつく以上、方向を示さねばならん」とか開祖の言行録で読んだような。

開祖は「武道と宗教は奥で繋がっている」と説いた人だけに、武道でも武術でもないことを指して「これも合気じゃ!」というのを聞いた…と、開祖の直弟子に聞いたことがある。
そこから考えると、合気道とは思想であり、生き方だと俺は考えている。

開祖の言行録にも、「その意味では合気道は武道である必要はない。」とすら書いてある。ただ、その後に「ワシは武道によりこの境地にたどり着いた。だから武道により示す。」と続く。

その境地へ導くための武道が、どの程度のものであるかは、教える人と取り組んでいる人次第ではなかろうか?

開祖にとっては「命懸けの修行」であり。
二代目にとっては「諸外国の人も含めた老若男女が、安全に取り組める、精神修養」であり「長く真摯に取り組めば、万人がいつかは辿り着ける境地」と説いた。

どれを信じるかによって、取り組み方と変わるのでは?