>>248
>ほぼ滅びかけたから塩田剛三が演武会をやりだした。

滅びかけたと言うと語弊が。
養神館の演武は昭和31年の独立頃から始めたと思われる(2020年の大会が第65回なら、第一回は1955年(昭和30年)?)が、その当時開祖も岩間に健在で弟子に教えてらした。
もともと広げる気の無い開祖のこと、戦後のことでもあり、弟子の数は少なかったろうし、合気会の本部は戦災時に避難者を受け入れたゴタゴタがまだ解決してなかったとは思うけども。

>そうか。藤平氏が技術の統一を図って分裂した過去があったのか。

統一を図ったというか、カリスマ的な人気者だったのと、開祖の稽古方法よりは遥かに理解しやすかったから人気だったのでは。
斎藤守弘先生にとっても憧れの人だったらしいし。

>藤平氏は十段。柔道経験者。技量は自他共に開祖にも認められていた方。

藤平先生の著書「気の確立」を読む限り、開祖とは仲悪かったらしいすけどね。
ちなみに、後継者争いを生むので混乱を避けるため、藤平先生ご自身の意思で独立されたとその著書には書いてあります。

>岩間や富木流はそんなに追放されるような流派なのか?

富木流は知らないが、岩間は、斎藤守弘先生が本部を批判してたからね。
自分たちのは開祖直伝、本部は技を変えてしまった、と開祖晩年の道場預かってる者(斎藤守弘先生)が言い出し、その者が亡くなってからも同じ主張の者をそこに置くのは、組織としてそれを認めたと取られかねない。
本部に従うか、開祖の道場を去って斎藤流の主張を貫くかの選択を道主が迫り、斎藤先生のご子息が後者を選んだ、て話。