もっと言うと、多分、殆どの拳法はその内功に依る導きの動作も決まった型に組み込まれてしまっていると思うのです。

それが邪魔になっているケースは多い。
拙者がもしこの動作を初めから組み込まれていたら、この所作を内功の導きで自然と出来たか?と言われると疑問です。

でも拙者が遣っている突きの鍛錬の合間の所作は、多くの拳法で見る様な動きのそれなのです。

ここに真髄と言うか、核心があると思います。
一旦、突きの動作なら突きの動作だけにして、その中間を自分ならどう動くか?どう繋げるのが良いかを体から感じ取って遣ってみるのも良いかも知れません。

拙者はその予備動作や中間、残心的動作が、必ずしも皆同じとはとても思えないのです。

何故なら、左右でも同じく突きをしますが、右ならこうが良いけど、左はもっとこうしたいと違いもあるからです。
それを全て鋳型に嵌め込んだ様に修練されても、きっと辿り着くにはかなり掛かるかと。

感じる為には、感じる為の自由性を持たせるべきです。