本部朝基も顔を突いてると知ったかをかましたが、本来のナイファンチは上段への開手だった。

剛柔流の三戦も元は開手というほとんど常識な事さえ知らないほどの無知だった。


東恩納が拳に変えたのなら許田も宮城も開手の三戦を知るはずもなく、宮城が拳に変えたのなら、ほぼ同時期の弟子の後に東恩流を名乗った許田もそれに合わせたというところだろう。

論破されたら今度は山口が正統とか言い出す始末。
山口も宮城の流れで否定はできないが、沖縄の空手界からの評価は低く、山口だけが正統とは言えまい。

沖縄空手古武道事典でも元々は三戦は開手型だと書いてある。