wikiより

東恩納寛量のサンチン
現在、剛柔流ではサンチンは握拳で行うが、東恩納寛量のサンチンは開掌(貫手)であったという(比嘉世幸説[5])。
また、比嘉世幸によれば、東恩納寛量のサンチンは呼吸音があまり聞こえず、非常に早いスピードで貫手を繰り出し、ただ引き手の時にスッとするどく短い呼吸音を発していたとされる[6]。
ただし、晩年になると突きの動作はゆっくりしたものに変化した。宮城長順が、中国のサンチンは呼吸音が大蛇がほえる如き音だったという点を東恩納に問いただしたところ、「あれも本物、これも本物です」と答えたという[7]。

東恩納寛量のサンチンが、現在の握拳で呼吸音を強調するように変化した経緯については、宮城長順が師の死後に改良したとする説(比嘉世幸説[8])、
東恩納寛量が改良したとする説(東恩納盛男説[9])の二つがある。
開掌から握拳へ変化した理由は、唐手が沖縄県の学校体育に採用される際、貫手は危険で教育上よくないとして東恩納寛量の手が不採用になったのが遠因とする説がある[10]。