盛岡の大東流合気柔術に来た人は、入門帳に署名させる前からチラホラ他武道の人達が来ていたが、
みんな私に子供扱いされて帰っているよ。
仙台から八光流柔術二段の人、その人の紹介で八光流柔術二段、新極真黒帯の人、
新極真になる前から黒帯だった話だから長い事やっているんだろうね。
八光流は三段から大宮の本部に行って講習受けなければ段を貰えないから行っていないという話だったね。
山形の爺さんの先生から習ったという話だったね。
もう、亡くなったんではないかと言っていたね。

元岩手県警察と言っていたが、私よりも若い体の大きな柔道黒帯の橘という人が来た事もあったね。
その割には、大東流合気柔術のコバ返しを軽く掛けただけで、悲鳴を上げていたね。
手加減して貰えませんかとか、これならお金取って教えられますよとか、驚いた様子だったね。
元陸上自衛隊の五十嵐という、花巻市に婿に入った人もいたが、その人も悲鳴を上げていたね。
カポエイラをやってみたいとか言っていたね。

茨城県から、わざわざバス、新幹線を乗り継いで3回くらい来た少林寺拳法黒帯の人もいたね。
この人は、詳しくは分からないが、元佐川道場の人で茨城県で道場をやっていた人から大東流合気柔術を習った事があるそうだね。

入門帳に署名させる様になってからも、チラホラ来ているよ。
気仙沼市の日本拳法や格闘技をやっていた人、
合気会合気道四段、大東流合気武術 総本部 佐川道場 佐川幸義先生没後 初傳初段を名乗る奥州市の金山禎孝さんもいたね。
金山さんも、私にかかっては子供扱いだったよ。佐川道場もレベルが下がったのかも知れないね。
まあ、私は佐川道場を離れる羽目になってからも、独りで鍛錬を継続して、
更には鍼灸師になって東洋医学の経絡理論と従来の大東流合気柔術を融合さて、独自の合気之術を自得しているからね。

他に、遥々ロシアから、武田時宗 宗家の系統の大東流合気武道のアレクサンダー二段、セルゲイ初段の二人が来られた事もあるね。
流石にロシア人達は馬鹿力だったが、私の合気之術にかかっては、子供扱いだったよ。
同じ頃に、居合道四段の先生も入門されている。居合道で鍛えていても、大東流合気柔術にかかっては子供扱いなのは他の人達と同じだね。
それよりも、ずっと前に、和道流空手二段で天然理心流剣術の人が来たが、その人も子供扱いだからね。
あとは、少林寺流空手、柔道、ラグビー、忍術、韓国合気道のブラネン・ウィリアムという岩手大学の英語講師のアメリカ人も来た事があるね。
この人も馬鹿力だったが、大東流合気柔術にかかっては、子供扱いだったよ。