武壇5ちゃんねる分壇23
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平成の2ちゃんねる(現在の5ちゃんねる)を駆け抜けた武壇スレの16年(笑
ちなみに2ちゃんねるの設立は1999年なので今年は20周年やな。
ファースト武壇スレ↓
【最強】武壇国術推広中心 総合スレッド【泰斗】
http://sports.5ch.net/test/read.cgi/budou/1044620867/
前スレ↓
武壇5ちゃんねる分壇22
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1546382126/ 格闘技やってる奴も喧嘩なんかした事無い奴がほとんどだよ >>16
でもな
そういう事を言ってるんじゃ無いんだよ
じゃあホンマにそういう状態になったら殴るのか?って
喧嘩の肝は殴るべきなのか殴らないべきかの判断を迷わせる所にある
その隙を突かれるから危ないんだよ
また敢えて殴らせて警察呼んで社会的に抹殺するのも最近は流行ってる
殴るだけなら簡単というのは同意見だけども そこの動画ならこっちの方が面白く感じたけど
https://youtu.be/mWmC2TIpM0M
これは武術と格闘技にも言える
どっち指向しようがどうにもならんだろ 不理解な人間に対してイライラする気持ちはよく分かる
このスレでも格闘技の形してないと使えないと思い込んでる人間が結構来るだろ?
じゃあその格闘技形式やってみてとやりたい所だけどそうはいかんだろ こういう動画普段全く観ないけどさ
観てる奴が何で不理解のなのか疑問でしかないわ
ちゃんと言ってるじゃないか
護身術にキックボクシング、格闘技を習う必要はない https://youtu.be/W5RL12koT0Q 中国拳法の土俵っていうと
敵が熟睡してるとか
家族とくつろいでるとか
そんな状況だろ 孟村の八極拳(恐らく呉氏開門八極拳)を見て「八極拳は打が最高なのにどういうわけか投げばかりになってる」という批判を聞いた事があるが
殴るわけには行かない現代だとそうならざるを得ないし
教えるのも投げ中心になってもおかしくないと思うよ
投げるのではなく相手の体勢を崩してしまう事だけど
こういうのは状況打破で使えるし
実際に出来た 表演は表演で身体能力の底上げ効果があるからバカには出来ないんだけど
でもやっぱり見た目の美しさや派手さを追求してるからな
伝統の型は評価されない
俺は六合刀っていう刀術が好きなんだけど、表演化した台湾の武壇の六合刀を見たら
余りにも無駄な動きが多く、太刀筋には殺気が籠ってない
劉雲樵が草葉の陰で泣くような代物だった >>21 >>24
お前の妄想の中ではそうなんだろうな
第二次大戦や共産党と国民との戦いの悲惨さを知らない
平和ボケの妄想の中ではな 前スレ埋めてからにせいと言うてんのにここに書き込んどるおまえこそ平和ボケや、ボケ! 赤国先生
中国ってヨーロッパの手袋投げて決闘、みたいな所謂タイマンの文化ってないのでしょうか? >>29
そういうのはあまり聞かんな。水滸伝なんかには多少出てくるけど決闘というよりは喧嘩。 陰キャキモオタがコメに集まってて笑った
何で論破したくらいで上手くなるんだよ
w
中拳は師匠も頭おかしいんだな 論破したくらいで上手くなるなら弟子を論破すれば上手くなって楽ですよね
ね、先生方 その他団体の長が同じこと言ったら
負け惜しみだとかコソコソ批判するんだろうな 論破したくらいで上手い人間になるなら世の中上手い奴だらけ 師匠は詐欺師
弟子は馬鹿ばかり
これが中拳の実態だろう ここは武壇の話限定のスレに回帰するべきでは(゚ω゚)? 中拳やってる奴の恥ずかしいツイートを晒し上げるスレで良いよ。 ここのリンクからは見えたけどログインしたら見えなかったわ
かなり前にブロックしてた奴だった笑 >>33
論破したら上手くなるんじゃなくて
学びを与えてしまうって言ってるんだよ。
これは少なくとも
論争
相手を「すぐに学びとってしまう優れた人間」
と認めてるからだろうね。
「バカは論破できない。」
「バカには話が通じない」
はずだからね。 面白いねここ。
顔の見える顔本なんかだと、武術の練習者も、競技武道の練習者も、格闘技の練習者も、和気藹々と交流してる。
意外に両方を経験してる人も多いしね。
それに対して、ここはまるで痰壷ですなぁ。 >>31
西洋の決闘はルールのある
殺し合いという感じみたいですが
なんか中国って日本や西洋と違って
ルールのある戦いを作り出すのが
苦手な感じがする。 中国の人はルール破りが好き…というよりルールを守れなさそう。「勝てば良いんだろ!しかも武術なんだし!」的な。
ルールを守る方が高尚とは思ってるんだろうけどねえ。 >>49
ルール破りというか
中国武術は
武術を生かしたルールを考えるのも苦手という感じで
日本は剣道 空手 柔道 相撲をとっても
武道を生かすオリジナルのルールを19世紀もしくは20世紀の半ばには作っていたけど
中国の競技散打のあのメジャーなやつはどう考えてもあまり武術の動きを生かせるルールとは思えない。 >>51
ようやく中国もアーマードバトルをやりはじめたのか。
これで多少は武術の面子も立つようになるのかな? アーマードバトルは伝統武術の技法を活かしたり検証できる競技の場として
発展出来ないか期待してるんですよねえ 武器試合になると途端に套路の技が使えるようになるよね >>54
そうなんですよね 八極拳なんて槍術以外
何物でもない感じが解るし
やっぱ競技やらないと技術の保護や発展に
繋がらないし 中国武術が馬鹿にされる要因も
そこにあるし
アーマードバトルやるなら後頭部まで保護するランドセル
みたいなの背負って後ろにつき倒す技法も
使えるようになれれば中武の危険な技の練習にも成りうるかと >>54
>武器試合になると途端に套路の技が使えるようになるよね
もともと中国武術が武器での戦いを想定したものだったって証拠だろう
套路も、武器を使う前提で作られてるので
素手で演じても実際の素手同士の戦闘には使い辛い(役に立たない事もしばしば) >>34=>>36
論破したら上手くなるんじゃなくて
論破したら、相手が上手くなる
論破された方が、そこから自分の間違いを理解し
そこから新たに知識や技術を研究し会得する可能性を与えてしまうから、
論破したら相手が強くなると言っているんだよ
だから、敵を強くしてやる必要はないから論破したくないと。
ここまでは惨行者さんも>>44で同じ事を言っている
しかしだ、しかし日本武道の思想の深さはここから始まる。 しかしだ。
ここで、何故敢えて君のようなアンチな人にそこまで教えるのかと言えば
君に正しい知識を持ってもらい、正しい考え方や新しい知識や技術を理解して欲しいから。
中国武術は相手を強くしてやるのは馬鹿のすることかも知れないが
日本人や日本武道の考え方では、
敵とは言えども、互いに強くなることで互いに高め合う事も出来るし
互いに理解し合う事も出来るだろうと言う考え方があり
そうした行為を持って武徳とするんだよ。
例え自分が負けたとしても、相手の中で自分の技や考えが生き残り
それがさらに武道として発展するであろう、それが繰り返され
後世の子々孫々の為になるであろうと言う考え方。
ただし、これは国家規模、民族規模の戦争や侵略の様の様に、
侵略され尽し、滅ぼされてしまっては残らない。
中国人が秘密結社を作って地下で技術や思想を残そうとしたのはこの辺りにも一因がある。
自国の文化の中にも相手の文化を取り入れ、なお礼をもって対する
敵の技も自分の中に取り入れ、その技に敵の名を冠して
貴方の様な偉大な敵がいてくれたからこそ、ここまで来れたと感謝する。
そう云った武徳を大事にする姿勢も、ぜひ理解して欲しい。
それは武道の技術にも反映する。 それは、江戸時代以降、武術を実際に使う必要がなかったからだよ。
武士にとっても武術は、修身と人脈作りになってしまったのだから。 敵に敬意を払って
敵の名を自流の技の名前に付ける思想や伝統は
日下開山 竹内流捕手腰廻小具足 に既にある。
竹内流の流祖は中世室町時代から戦国時代に垪和を拠点とした垪和氏の竹内久盛であり、
1532年(天文元年)に創始されたと記録されている。 社会を上手に生きて行こうとする駆け引きではなく
生き方への真剣さとか
命に対する情愛とか
そういった直向きさや祈りにも似た気持ちが
武徳として滲み現れるのが本来の人の在り方なのでしょうね >>62
>>63
武術を学ぶ人間としては、そうありたいものです 武徳って宗教的倫理観とかと違って、命のやり取りの果てに初めて獲得出来そう 人を殺さないと道徳が会得できないなら、それはただのケダモノと同じだ
人間はケダモノではない、決して
人間が人間である理由は、奪い合い、殺し合いをしなくとも
理想へと成長できる、その可能性や崇高さにある
そうは思わないか?
人を叩きのめし、殺すのは修羅や鬼畜だ
人間は人間でなければならないし、人間であろうと努力すべきだ
願わくば、武術が人を殺す手段で終わるのではなく
人をしてさらに成長させるものであって欲しいし
また、武術修行者は
人間がどう生きてどう死ぬべきかを正しい形で希求すべきだ
修羅や鬼畜に堕ちる必要は本来ない
そうは思わないか?
出来る事なら、そう思って欲しいし、
多くの人にとってそうであって欲しい >>68 >>69
的外れだなぁwww
封建主義とは無関係な主張だし、「対すれば相和す」がどうすれば相互確証破壊になるのか?
お前らの幼稚な厨二病はもういい
それらしいことをカッコつけて言ったつもりでも、中身が伴わず間違いだらけなら
無能が負け惜しみの妄想を呟いてカッコつけてるだけでしかない 要らんわ >>70
実力の拮抗が前提条件だろう
センチメンタルな解釈してるならアホやで >>67
それは道の世界の考え方。術の世界の見方とは関係ないと思うなあ。
もちろん賛否は別問題。 術の世界ばかりではつまらんぞ?
殺傷術の世界で終わってたら、ただの厄介者で社会否適合者
術から道へ至るのが一番 衛笑堂老師は個人の能力ではどうにもならない不条理をちゃんと経験してるでしょ
脳内で戦闘を妄想して悦に入ってるおめでたい人ではない ヨガにもカラリパヤットって名前の、少林拳のルーツたる武道があってだな・・・。 技術的に見れる人ならインド関係ないと思うぞ
何も知らない人が想像で言ってるだけだろ 術が未熟な奴ほど道がどうとかぬかすから始末が悪い。
術は身体動かして、時間使って、習得して練熟して始めて有意味だけど、道を語るのは僅かな知識と感情で浸ってればいいからね。w 何にでも他国の起源を求めるなら
じゃあ日本武道はどこから来たんだと言う話になる 少林寺の棍がインドに影響を受けた程度なら分からないでも無いが
中国武術の起源がインドと言うのはあまりにも論理飛躍しすぎ
武術は戦争の技術から発達した物 全く交流のない国同士ならともかく、多少の影響はあり得るとは思うけど、中国武術インド起源説てのもどうかなあ? 似たような身体操作ってのは意外と離れた地域で発生するもんだからな
イタリアのレイピア術(フェンシングではない)にも冲捶と全く同じフォームがあるが
だからってイタリア剣術と中国北派拳法を結びつけるアホはいない
優秀な使い手は同じようなことを考えるということだな そもそも似てないと思うんだけどねw
具体例出せないのに印象だけで起源主張してるんじゃね?
あれと同じじゃん
八極拳と柳生心眼流相似説w >>72
戦時ならば実力が拮抗してるのが、「対すれば相和す」為の一条件ではあるな
しかし、平和への意志が強い方が実力が上ならば平和交渉は容易いし
戦力が弱くても、例えば他国を巻き込んでの
平和交渉に向けての様々な駆け引きは出来る
その辺りの駆け引きは武術、兵法的なものになるだろう
まあ、個人へと目を向ければ
武術、武道が暴力の方法で終わってしまうのはあまりに残念だから
様々な兵法を応用しながらも時や状況に応じてベストな対応を探索し
人生の道標としての方法へと昇華できるのが最良だろう >>85
> 八極拳と柳生心眼流相似説w
あの妄言は誰が言い出したんだろうね。
全く別物なのにw >>78 >>80 >>81 >>82 >>83
一応、歴史的には達磨太師が南天竺(現在の南インドと一部一致)から河南省嵩山少林寺に
禅と洗髄経と羅漢拳術を伝えた事になってはいる。菩提達磨は西域南天竺国において国王の第三王子として生まれ、
般若多羅の法を得て仏教の第二十八祖菩提達磨になった。
だが、それよりも古い菩提達磨への言及は魏撫軍府司馬楊衒之撰『洛陽伽藍記』卷一 永寧寺の条(547年)にあり、
全ての達磨伝説はここに始まるともいわれている。
普通元年(520年)9月21日(10月18日)に宋境南越にやって来たとされ
当時分かれていた南北朝の、南朝を訪れ、梁を治める武帝と接見し禅問答を行ったとの記録も『景徳伝燈録』にある
その問答の成り行きを武帝は嫌い、達磨はこれは縁を結べずとして梁を出て
北魏に向かった。後に武帝は後悔し、人を使わして達磨を呼び戻そうとしたが適わなかったとされている。
少林寺にて九年の面壁を行う。確認されているだけで道育、慧可の弟子がいる。
彼の宗派は当初楞伽宗(楞伽経にちなむ)と呼ばれた。
達磨伝説については伝説の域を出ないものも多く、
達磨が伝えたインド拳法と天下の功夫、少林より出ずと謳われた中国武術との関係は
そこから1500年近くの長い年月をかけてチャイナライズされて出来上がった周辺文化と言った方が正しいかもしれない。
それ故に、現在の少林寺の周辺に固まってる
ショーアップされた少林拳専修学校の拳法とかと技術を比較しても意味ないのでは?
インド武術やタイの武術とは体育的思想背景や身体観等には共通点も多いし記録も多数なので
文化の流通はあったのだろうとは言える
インド武術と中国武術が全く別物に見えるのなら少し浅慮に過ぎないか? 古代オリエント文明やローマ文明とはシルクロード交易を通じて昔から盛んですよ
無敵の英雄としてローマ拳闘士に髷を結った東洋人が奉られている事例を
笠尾恭二氏の著書で見た覚えがあります >>88
それは伝説からの推察に過ぎないし
技術的な事には何一つ触れていない
少林寺の武術についても少林寺から発症したのではなく
少林寺に各地の武術が集まってきたと言うのが正しい 伝説からの推察に読めたのなら読み返しなさい
技術的な点についても軽く言外に触れてはいる
少林寺に各武術が集まったのは、大きくは文化大革命以降では?
そう主張したいのなら根拠を >>91
偉そうにどこが技術に触れているのか
自分でも武術に関してよく分かって無いんじゃないか?
大切なのは身体の使い方だぞ
羅漢拳のどこにインドがあるんだよw アホな歴史オタや格オタが集まりやすいのも伝統武術の特色だね 太極拳の型のチャンピオンをおだてて巌流島に誘きだして空手選手に秒殺させるかたですから。 今ある武術の内容と身体の使い方から導き出すのが正しいけど
そもそも武術に関して疎い奴が多い
馬歩弓歩すら分からないんじゃないか? ぶっちゃけ赤国さんがここに来る前、本屋や猫がカキコしてた頃から武板にいる奴ってオマエらの中でどれくらい残ってるのよ?
赤国さんが京都と切れて以降、話通じる人間がいないんだが… この動画を見ると太極拳や心意六合との関連も感じない事は無いが
同じ意味でやってるのかはわからない >>98
中国武術の幻想が完全否定されて目が覚めたんだろ
冷静になって考えてみろよ、学生時代にムー買ってたやつが還暦過ぎても
まだ定期購読続けてるくらい痛々しいぞ >>100
伝統少林拳の動作やリズム見てから北派武術見ると殆ど伝統少林拳に見えてくる
そこから上の動画見てると達磨が持って来たかどうかはともかく
少林寺に誰かが持ち込んだ流れはあったんだろな >>101
まあそうとも言えない事も無いけど
名前には動作の意味があるわな >>92
>偉そうにどこが技術に触れているのか
>自分でも武術に関してよく分かって無いんじゃないか?
偉そうに見えるのは君に劣等感とと虚栄心があるから。
技術的な話は言外にあると書いたが
それが読めないには一つには君に読解力がないから。
もう一つは、武術を深く経験した人間にしか解らない事を
ほんのささやかな書き方をしてるから。
解らないと白状したなら、それが君の実力であり、現状そのもの。
偉そうでも何でもない。現実を突き返されたが君が認めたくなくて喚いてるだけだ。
それが客観的事実。 >>88
達磨は西暦520年に中国に来た?
ではそれ以前に中国に武術が有ったなら、中国武術インド起源説は否定される、てこと? >>103
中国武術の幻想は根強くて
スレ見てると未だに幻想持ってる人居るよね 楽しみがあるのは良いことです。
人生をぼうにふらなければ。 >>107
別系統で現在の長拳のベースになった長手系統はあったらしい >>108
いつものタイ式ホモ野郎
手袋の前に服着ろよ まあ、仏教もインドから来てるしな
格闘術だけ別々には来ないだろ
格闘術と宗教は切っても切れない関係
動画見ても、インドと中国無関係じゃなさそうだわな
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