あと、もうひとつ。
https://dotup.org/uploda/dotup.org2263022.png
正伝新陰流 239〜240Pの↑の厳周が
他の柳生家を訪ねた話は
どうも本当の事らしい。

↓大正4年の雑誌【戦友 62号』に
厳周の記事で同様の事が書いてある。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1844680
↓にある表記の有る図書館からなら、
国会図書館のデジタルコレクションが見れる。
https://dl.ndl.go.jp/ja/soshin_librarylist.html


昭和32年の正伝新陰流が著された時期なら、
いい加減な事を書いても、
ウヤムヤでも済みそうだが(正直、事実かどうか疑ってた)。
大正4年なら、来訪時に会った相手らも
記憶してる人もいるだろうから多分、ウソは書きにくい。
(もっとも、詐欺師は平気でウソをつけるからこそ
詐欺師な訳で。この手の推測すら信用できない……
なんか…これを書いてる途中からウソな気がしてきた)

まあ、とりあえずは事実として。

思うに厳周は、この行脚で……
・柳生家同士に横のつながりが無い事
・ろくに資料が残ってない事
    ……を把握したんじゃないか推測する。