ちょっと推測だよりなんで
書くかどうか迷ったけど一応、書いておく。

以下、“こころの兵法 83〜88Pから”
https://dotup.org/uploda/dotup.org2263021.png
慶應元年に鈴木家が断絶になった。
その鈴木家の屋敷が有った跡に
柳生六助家※が入った。
   ※ 柳生六助家 : 厳広→厳直→鎮雄、と続く

厳広は「不浄だ」として、鈴木家の
有った土地の土を掘り返して、家を建てたらしい。

厳直は竹カゴを作っていたらしいが。
竹カゴを受け取ってた人物の証言だと……
「裏長屋のように、うらぶれた暮らしで。
ザツなつくりの品。士族のなれの果てと
しての、ある種の風格は有った」……と有る。

柳生鎮雄がわの証言では……
「戦災前は屋敷に住んでいたが。大正末期から
昭和まで、母屋は山口銀行の支店長の
“社宅”のようになっていた。私たちは
道場跡に住んでいた。父たちは母屋に
つながる茶席の前の庭を隔てた仕事場で、
竹籠などを作っていた」……と話が食い違う。

……ここらの情報、ちょっと事情が見えない。
素直に考えると、『柳生六助・厳直のニセモノが居て。
その人物が贋作の竹カゴを作り、売っていた』
……と、とれる。