【他流を排せずして】新陰流総合【他流を認めず】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
無かったんで、立てといた。
(……と言うか、何スレめで在るべきなのかがわからん)
言い分は個々にあるんだろうけど、
もうちょっと互いに他流派と、いがみ合わないよう
努力した方が良いんじゃないかと。
前スレ
新陰流総合【ワッチョイ】
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1465872336/ 柳生厳長さんで新陰流は終わっちゃってる感があるから、後は技術的な面で細々と残る事を期待するしかない。
ただ、自分の所こそがオリジナルと嘘つく所が自粛しない限り、残っている技術も廃れていくだろう。
嘘ついてる所程、声がデカいからな。 上泉伊勢守は何人かに免許を出してるから、柳生の他にも正統の新陰流は存在すると思う。
但し、失伝していなければの話。
柳生ではない新陰流を観ると、技の名称は似ているがどうもどこかで致命的な変更を受けている印象を持つ。
本来なら同じ名称の技は理が通ずる部分がある筈だが、遠い感じがする。
柳生は独自のアレンジが歴史上あるにしろ、近年まで厳格に伝承されてきているので、上泉伊勢守の遣い方も残っている。
柳生の他に新陰流が厳格に伝承されている所があれば、大きな発見だろうと思うが、近年は復元だったり伝承が自称だったりの所が多く、本物を見極め難いな。 >>45
現在新陰流を上泉信綱師の極めた三夜沢赤城神社で極めようとしている人間がいる。
何も報酬も無しにな。
導かれている。
ならば皆集まれ。
三夜沢赤城神社へ。 極めようとする姿勢には敬意を表します。
しかし、捏造が多い昨今、師匠はどなたかという事を尋ねざるを得ない事情があります。
師匠はどなたでしょうか? ありがとうございます。
がんばって下さい。
何かをお気づきになられることを祈念いたします。 こちらこそありがとうございます。今後も精進していきます。 例えば現代剣道の人が、宮本武蔵が悟りを開いた洞窟で一生修行しても、二天一流を開眼した事にはならないんじゃないかな。
その人が何かを悟っても、それはその人の興した新流儀になると思うけどな。
独学では辿り着けないモノでしょうに。 >>46
ググっても出てこないのですが
どうやったら接触できますか? そういう聖地みたいな所があるなら、色々な流れ(疋田や肥後も含めて)の人が集って、互いの違いを検証してみるのも勉強になりそうだね。みんな自分の師範には内緒でさ。普段そういう所に参加できない所も、出てこれる可能性がある。 みんな天狗の面とかつけて来れば、ネットに上げられても師範にバレないし(笑)。 >>52
三夜沢神社の駐車場の奥から
山に登ってください。
昔からの自然の新陰流鍛練場があります。
巨石、巨木、石灯籠、等々あります。
誰もいなくてもいるときはいるので。
太古には占いや祈祷等で使われていた場所ですので厳かに。 新陰流関連の方なら感じる所があると信じます。
ただ蛇・猪・熊・虫等々出ます。
気が弱い人は襲われる可能性がありますので重々気をつけて。
少し人道みたいになっていますので。
私も毎日毎時間いっているわけではないので
誰もいなくてもそこで鍛練すれば何か開眼するやも知れません。 面白そうだな。新陰仮面稽古会。知り合いが多くてバレるだろw マジで良い考えかも。
会派違えば解らないですよ。もし解っても知らぬふりをするという大人のルールで。
その場所が有名になる前に行ってみたいね。
その…
聞きにくいけど、神戸師系でなくても参加できるのですかね… マジで良い考えかも。
会派違えば解らないですよ。もし解っても知らぬふりをするという大人のルールで。
その場所が有名になる前に行ってみたいね。
その…
聞きにくいけど、神戸師系でなくても参加できるのですかね… 天狗の鼻のところを袋竹刀仕様にすれば新陰流の同志とわかるだろう 三夜沢神社の奥の神聖な場所が
新陰流誕生の場所に間違いはないわけです。
春風、転、柳生、鶴山、等々そこが出始めなのですから誰が行っても問題ないでしょう。
私は巨木三本に囲まれた巨石でよく座禅を組んでいます。
ただ、他流(新陰流ですが)争いをしないことです。
行ってみたら誰か死んでいたとなってもあの場所ではまず犯人はわからないでしょう。 争いはしないと思いますよ。
純粋な技術の情報交換ができれば、もしかしたら一本化が可能かもしれません。 他派を糾弾してるのは経営陣だけですからね。
下の方には純粋に技を極めたい人もいるだろうから。
他派の技を説明されて、その理が適っていれば色々と自分を見直せるかも。
是非、そこで皆で各派の和卜を試してほしいですね。 >>30
春風館は貫流槍術もメインなので
剣術に偏らない視点を身に付けることができそう。
槍術の方は、形だけじゃなくて、防具を付けて試合もするので、
形だけに通用する机上の空論も少ない。
あと、赤羽根さんの著書とか見ると、免許皆伝とかきちんと出してるようだし。
柳生会は、全く出してないから、100年やっても無免許で、人によっては、やりがいが無いかも。
普通の人間は、段とか称号の昇進とかがあるから続けられるってがあるし。
転会は、微妙だけど、会の雰囲気として、目録とか免許とか、相当に出し惜しみしてるような雰囲気がある。 春風館は、
新陰流兵法、円明流、尾張貫流槍術と複数習えるので
お得感はあるかも。 あと、新陰流居合って、
厳長さんの弟子の鹿嶋さんとかが
柳生制剛流抜刀を新陰流居合として始めたものだけど
最近、柳生会・転会・春風館と関係のない、
居合だけやるところが新陰流居合として本とか出してるね。
「目で見て学ぶ居合道 新陰流」小山 将生(体育とスポーツ出版社)
「女子の居合道プログラム―強くなる自分磨き」新陰流協会(体育とスポーツ出版社)
体育とスポーツ出版社って、剣道最も古い雑誌「剣道時代」の出版元で
剣道の本をいっぱい出してるところだけど。 >>66
春風館でもらえるのは神戸さん創始の「柳生新陰流」の技術でしょ?
柳生石舟斎は新陰流だから、違うのでその大事な部分を誤魔化さない様にお願いします。
従って、春風館で百年稽古しても新陰流の事は解らない。 >>69
江戸時代からの新陰流は神戸金七師だけだから。
他の新陰流は血筋は本物だけど
技は現在剣道にかなり影響を受けていて改悪されている。
そんなことも知らないの?
素人は引っ込んでいなさい。 神戸さんは柳生厳周師に新陰流を習っていたんだけど、厳周師は息子厳長師に新陰流宗家を譲ったので、自分に宗家が欲しかったので、道業途中で辞めてしまったよ。
だから新陰流は名乗らない。と、言うより名乗れない。
途中で辞めたので、当然新陰流の奥の方は知らない筈なんだけど、春風館では奥の方やってるよね。
誰に習ったのか、もしくは捏造か。
謎だよね。 >>72
神戸氏は引退して名古屋に帰った厳周先生からも教わってはいるし、厳長先生が名古屋に帰ってからは厳長先生にも途中まではついていってた。だからといって全伝を受けてるわけではないけどね 厳周先生が亡くなった後は厳長先生に教わってるのに、自分の師匠は厳周先生で厳長先生は兄弟子だとか言ってる時点で神戸氏はアウトでしょ >>71
江戸時代からの新陰流って、宣伝文句としては効果あるのかもしれないけれど、新陰流ができたのは江戸時代よりも前だからなぁ 尾張の新陰流は教習システムが構築されてるから、もらっている伝位でどこまで知ってるから、わかりやすい。
神戸さんは半目録まで。春風館の宣伝では、それ以上のことをやられている様だけど…
誰に習ったのかな。
神戸さんが銭湯で思い出したとか? >>76
厳長先生が半目録を出してたのは晩年らしいから、神戸氏は目録だろう。渡辺氏の著書にさえ目録と書いてある。半目録だというソースを知りたい >>76
すまん、晩年かはわからない。何かに神戸氏について兵法目録と書かれていたのがソースだと言うなら、目録でも半目録でも兵法目録と書かれるだろうね >>77
半目録をもらった時の立会人がいるので、半目録は確実。
後にどこかでの演武での紹介文で、神戸さんは目録と書かれていたので、厳長師に目録を伝授されたのではないかというのが、渡辺氏の見解。あくまでも推測。 新陰流では、半目録と目録は結構違うのよね。
柳生新陰流は知らないけど。 >>79
立会人って誰?
その時半目録でもその後目録になってる可能性はあるよね >>79
神戸氏がいつ頃目録になったかについては渡辺氏の見解はその紹介文からの推測だろうけど、神戸氏が目録になってることは父親からも聞いてるのでは? >>81
渡辺忠敏氏。
厳周師と厳長師に連続して師事していたから、ずっと経緯を見てる。
渡辺忠敏氏は柳生の高弟だったから、信憑性は高い。
一緒ではない時期もあったから、その時に目録を伝授したかも「しれない」との事。 どちらにせよ厳周師が鬼籍に入られた時点で、神戸さんの伝位は半目録は確定。
半目録で厳周伝を語るには、未熟を呈さざるを得ない。
江戸の遣い方は所謂新陰流本伝なのだけど、半目録ではまだ教えてもらえない。
最近は流石にヤバいと思ったのか、江戸伝は江戸柳生の誰かに教わったと言っている様だけど、そしたら厳周伝ではもはや無いね。 >>83
渡辺忠敏氏が柳生会を抜ける時に、神戸さんから連絡があったらしいから、厳長師が鬼籍に入られた後に二人は話をしている。その忠敏氏が神戸さんが目録であるとは話していなかったそうなので、神戸さんが目録であるのは推測。
柳生家に聞くのが一番なのだろうけど、教えてくれないだろうね。自分らに免許無いのバレるからなぁ… >>84
忠敏氏が立会人で神戸氏が半目録だなんて話を誰に聞いたの?
神戸氏は忠敏氏より先に兵法目録にはなってるよ。忠敏氏は戦後に厳長先生と再会した後に目録になってるから。 >>85
江戸も宗矩十兵衛までで変化してるから新陰流本伝と江戸遣いが同じなら
上泉以来の技か江戸柳生由来の技どちらかが嘘か誤伝ということになる >>85
厳周師が鬼籍に入ったらなんで神戸氏の半目録が確定なの??
厳長先生の頃、目録と半目録って巻物が両方か片方か以外には何の違いがあるの? >>86
忠敏氏が柳生会を抜ける時っていつのこと??厳長先生が亡くなった後は東京の柳生会は行われてなかったよ。
その神戸氏からの連絡って、神戸氏が手紙を送ってきたってだけでしょ。
忠敏氏が神戸氏が目録であるとは話してなかったってのは、誰から聞いたの? 渡辺忠敏氏に会ったこともない人が、忠敏氏の名前を使って話を作ってないかね?忠敏氏からの話は忠成氏が知らない内容を忠敏氏に会ったこともない人が知ってるわけはないんだよね。
転会から別れた人が話作ってないかな? 江戸柳生で変化しているといっても、基本は同じで色々な部分で一部分のみの変更とかだよ。
尾張の新陰流には江戸での変更部分も、参考として伝えられている。
基本同じだから、江戸時代のどこかで江戸と尾張の各柳生家の人が同じ技で演武ができたのだし。
あと、厳周師が存在しないなら、その後の伝位は厳周師からはもうもらえない。
その後は厳長師からもらう事になるけど、その場合神戸さんの師匠は厳長師になるね。
だから、もし厳長師から目録をもらっているなら、厳周伝ではなくて厳長伝だよね。
厳周伝と言うなら、最後に伝授されたのは柳生厳周師からなのでしょうね。 >>92
忠成氏の著書によると、忠敏氏の言として、神戸氏は忠敏氏と同じ時に厳周師から天狗抄を受けたとある。厳周師が引退してから鬼籍に入るまでの期間を考えると、神戸氏は厳長師から目録を伝授されてるだろうね。
もしそれが半目録だろうと目録だろうと、神戸氏がそれを受けた頃は、忠敏氏は戦争の影響で厳長師とは会っていない頃だろう。その忠敏氏が神戸氏の立会人をできるだろうか? 半目録という伝位名称を作ったのは柳生厳長師からで、厳周師迄は目録の一つ下は天狗抄。
厳長師の半目録=厳周師の天狗抄。
紛らわしくてごめんなさい。 更に、目録と半目録の違い。
新陰流の目録伝授時に与えられる書は「兵法目録」と「截相口伝書目録」の二部。
厳長師は目録前に兵法目録だけを交付して、それで半目録としていたと。
神戸さん目録の根拠は、何かの文書に「兵法目録」と書いてあったとの事だから、やっぱり半目録では? >>92
へー宗矩と宗厳が書いた伝書比較すると奥義の太刀の構成が宗厳と違ってたり
宗矩の五箇は宗厳より重心低くすること強調してないらしいけど
その辺については尾張柳生には三種類の使い方が伝わってるの? >>95
兵法目録ってのは、目録のことだよ。それだけの理由で神戸氏が半目録だと言い切るのは無理がありすぎ >>94
厳長師の半目録=厳周師の天狗抄ってのは、大きな間違いでしょ。天狗抄奥が抜けてるだけじゃなく、目録の下の伝位の代わりが半目録ではないよね。天狗抄奥にはなってるけど目録とまではいかない人に与えたのが半目録でしょ 柳生厳周師の頃は、伝位としては天狗抄だけですね。天狗抄奥の太刀を伝授されても、伝位は天狗抄のまま。しかも口頭でだけ。目録で初めて書面にて。
あと、目録ならちゃんと目録と名乗ると思うけどな。 >>96
尾張には二種類しか伝わっていないみたい。 新陰流はいつも正統性を競って大変だな。競技者少ないんだから全ての会派を統一しちゃえばいいじゃん。技の保存に全力を注ぎなよ。
転会に柳生会と春風館が頭下げて全伝受ける。そのあと柳生会を頭に担いで統一しちゃえばいいよ。転会の幹部は統一した後、師範として厚遇してやりゃ大丈夫。
そうすりゃニセモノ新陰流も淘汰されて、文化として物凄く価値のある物になるよ。なんてったって、将軍家指南役だもんね。 尾張柳生の現状は…
色々な流儀チャンポンで、新陰流も少し入った創始が神戸金七氏の「柳生新陰流」
新陰流を少しだけ知り、後は現代剣道家に外注して作ってもらった、創始が柳生本家の柳生延春氏の「柳生新陰流」
柳生厳長氏の高弟だった渡辺忠敏氏の転会の「新陰流」
さぁ、どう合流できるかね。 転会の渡辺忠敏が厳長さんの高弟っていうのは忠敏さんの自称だろ。
タニマチだった忠敏さんに、古伝の形や無刀などの演武は色々何回も見せので
こういう形があるという知識は豊富だけど、
実際に手を取って教えてもらった時間は
他の高弟と言われる人たちに比べると圧倒的に少ない。
実際、忠敏さんは、厳長さんにもらった免状とか大したもん持ってないし。 >>102
何が正式かは社会的には決まっている。
日本古武道協会と日本古武道振興会に新陰流として正式加盟しているのは柳生会のみ(春風館は槍術枠)。
日本武道館が古武道保存のための各流派の演武録画をした際に、新陰流の形の録画を依頼されたのも柳生会。
転会が発行してた柳生厳長著「剣道八講」の発行を差し止められ、
柳生会で再発行された「剣道八講」(アマゾンで今、2万6700円の値が付いてる)。
柳生延春に、そのはしがきで、他会派がいいかげんな「剣道八講」を発行しているので、
見るに見かねてそれを正すために再発行したとか書かれたが、転会は、何も文句が言えなかった。
転会を相手にしてくれるのはBABくらい。 ちなみに平成初期に文科省(当時は文部省)が
古武道を国の無形文化財に指定しようと画策したときに
最初の候補として選んだのが
飯篠さんとこの香取神道流と柳生延春さんとこの柳生新陰流 >>105
剣道八講の原稿自体は変わらないんだろ?
いい加減の理由がよくわからないな
あと他派を誹謗する奴は尻に袋竹刀突っ込まれて漆で肛門がかぶれる刑に処されるって書いてあるだろ >>72
>新陰流の奥の方は知らない筈なんだけど、春風館では奥の方やってるよね。
>誰に習ったのか、
奥の方なんて秋の熱田神宮演武会(毎年やってる。春風館も毎年出てる)で昭和年代から柳生会が公開してますけど。
あれ、全然違うんだよね…
知らないって恐ろしいな。
捏造をロビー活動で本当にしようとするのは、隣国みたいだ。
古武道協会等の評判は、どうなんでしょう。
別に権威があるとは思えないし。
捏造の技を「流祖から」と、嘘を広めるのは良くない。
あの世で流祖が泣いてるぞ。 >>100
厳長先生より前はみんな書をはじめてもらうのは目録でしょ。天狗抄奥だって伝位としてあるでしょ。
兵法目録って、抜刀目録に対しての兵法目録って書いてあったんじゃなかったっけ? >>105
それって柳生会に技が伝わってる証拠になるの? そもそもタニマチというほど、渡辺家は金持ちじゃないw >>65
そうなんだよね。
言い合いなんかどうでもいいんだよ。
純粋に上泉伝を追求したいだけなんだよ。
どこをやればいいんだよ。
ホント誰か教えてよ。
3団体が仲良くってことないんでしょう?
各会派の高弟が集まって技術要素を
持ち寄って研鑽するような新会派
誰か立ち上げてくれないだろうか。
無理だろうね。
素人ながら総合的にみると転会がまとものような… マジレスするなら、上泉伝だけなら疋田や肥後なのではないかな。
上泉伝新陰流をバイクのロードレースだとすると、
春風館はモトクロスやって「これがロードレース」って言ってて、
柳生会はジムカーナやってて「これが昔からの本当のロードレース」って言ってて、
転会はガチにモトGPやってて、疋田や肥後はテイストオブツクバだよ。 どう違うと?
本伝は伝書に書かれているコトと合致しているものだけど、彼等がやってる「奥の方」って伝書の古い解説と合致しているかな?
一瞬だって絵目録と同じカタチになる部分あるかな? >>118
質問を質問で返す奴は自分を頭が良いと信じているバカ
もしくは何も知らない素人 黒田藩の新陰流も尾張柳生以前の分派らしい
甲冑剣法やりたいならこっち行ったら 日本語を理解できない人の為に書き直すよ。
どう違うと?
本伝は伝書に書かれているコトと合致しているものだけど、彼等がやってる「奥の方」って伝書の古い解説と合致しているかな。
一瞬だって絵目録と同じカタチになる部分あるかな。 >>121
思わせぶりなことを書いている時点でかわらんよ
どこがどう違うのかハッキリ書け >>121
最低限表現変えないなら書き直す意味ないじゃん。何で言い直した。 知りたかったら、知ってる所に行って聴くしかないのでは。
だって、大昔の剣豪が作った技術と、現代人が想像して作った踊りが偶然同じという確率はゼロでしょう。 知っている所程、こういう所では詳しくを語れないからね。
だからこそ赤城山の神社とか、内緒で語りあえる様な気がするんだけどな。
何とか上手く合流して行けないものかな。 >>125
群馬まで行くのは大変だから新宿の赤城神社集合にしよう 上州
赤城山でなきゃ意味無いでしょうに
そこが新陰流生誕の地なのだ。 さあ、誰か秘密の連絡を廻すのだ!行動しないと始まらないぞ! >>119 そういうレッテル張りしかできないのは馬鹿の証拠だけどな
それで有利になれると信じちゃってるのだろうか? 歩いて行きなさい。
群馬に来たら必ず行くこと。
上泉駅=上泉城→西林寺(上泉信綱師墓所)
大胡駅=大胡城(大胡氏本城)
→三夜沢赤城神社(☆新陰流誕生の地)
箕輪城(上泉信綱師対武田信玄軍〜長野家滅亡)
碓氷峠(上泉信綱師旅立ちの地)
女淵城・膳城・山上城・桐生城・太田城(上泉信綱師の弟子の城主がいた場所)
赤城山・妙義山・榛名山(上毛三山)(疋田豊五郎師=剣の舞) 海外向けの古武道紹介書籍
『BUDO〜Japanese Material Arts〜』では
(英語版、フランス語版、ドイツ語版のみ。日本語版は無し。米インターナショナルブックアワード多文化ノンフィクション部門最優秀賞を受賞)
新陰流兵法、天道流薙刀、小笠原弓馬術、宝蔵院流槍術が豪華な写真で紹介されているが
新陰流は柳生会が演武している。
やっぱ世界的にも公的に採用されるのは柳生会で転会はハブられちゃうんだな。
なんか必死に正当性を主張する渡邊さんとかがかわいそう。
https://tegusu.com/budo-japanese-martial-arts
https://www.nga-publication.com/book いいんじゃないの?
柳生会が柳生延春さんが創始した、柳生新陰流を海外へ発信してるんでしょ?
何の問題も無いじゃないか。
頑張ってね。 明治神宮で春風館さんの柳生新陰流を拝見した。
新陰流を「広く浅く」やってる印象だった。
猿廻やクネリ等大事な技術はもとより、太刀の掴み方からして違う。
そしてやはり初心者向けの使い方に終始していた。
ちょっと残念だった。 そうかね
俺も、神戸さん流だから一番使えるし実践的だと思うがね。 うーん…
強いて言うなら、剣道なら実践的な…
甲冑着ての合戦時の剣法なのだから、剣道的なのはどうかしら。
あやをきる行為だって意味があるけど、雑に意味なくやられている印象なんだけどな。 剣道的かな
転会や柳生会のが剣道に対抗するために改悪した流派でしょ。 ないない(笑)。
だって柳生厳長師以前の人は、剣道とは線引いてるもの。 剣道的に見て合理的なのは柳生会だろうな
というのも柳生延春氏が剣道家の高弟らの意見を取り入れて形を改変したのだから
素人受けするのは転会だろうな
ニューヨーク転会支部はもとは柳生会の傘下だったのが転会の演武のほうが見栄えが良いという理由で鞍替えしたのだから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています