田代誠と肥田式強健術
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肥田春充の後継者にふさわしいカリスマ
圧倒的な実力 「量子はミクロな世界でしか作用しない」
「量子の動きは未来の動向に関係ない」
「日常レベルでは量子力学が要らない」
「だいたい合致してるだけで未来は確定できる」
およそ科学的センスのない迷言のオンパレードに草生える すげぇ脊髄反射で笑える
日常レベルで量子力学が作用してると主張するとかさすが高卒はひと味違うな
ニュートン力学と相対性理論で大体のことは確定できると
言ってる意味が本当に理解できないのかな?
しかも引用元がWikipediaってのも高卒ならでわ 過去はかつて存在した。だから見ることができる、透視できる。映画と同じ。
未来は未だ存在しない。
存在しないものを見ることはできない。
だから予知能力はない。 「 神宮大麻 」と云うからには、「 大麻 」が入ってなければならないのだが、
入ってるのは単なる檜の板ッキレ。。。。。
「 大麻 」の薬効成分・氣があって初めて「 神宮大麻 」の役割が全う出来る。
つまり、これは詐欺である!
いろんなグレード・部位・量の大麻をきちんと入れて
ちゃんとした「 神宮大麻 」にすれば、
今まで神棚など祀ったことのない人も買い求めて
売上は10〜100倍とか行けたりするのでは?
なんと云っても天照大神様と繋がれる聖なる「 神宮大麻 」、
お正月の凛とした空気の中で、雅楽でも流しながら
清らかな境地に浸れると云うものである。
「 神宮大麻 」売上還元の仕組み
神社本庁の集金システム
全国約8万の神社から10億円の収入
https://img2.news-postseven.com/picture/2016/10/P29kanenagare.jpg
待機中
「 神宮大麻 」の初穂料の半額は伊勢神宮へ どうやら量子レベルでラプラスの悪魔が不成立なら未来も確定出来ないのは理解したみたいだね。
そもそも未来予知ができるとか思う時点で頭が悪過ぎるんだけどさ。
肥田式にはこういう知恵遅れが集まるから面白いね。 高木は出所したらまたオカルト系ワークを開いて食っていくのかな 高卒にはWikipediaを読む能力くらいしかない(笑) 高木ってゲートウェイ理論そのものだなw
大麻から始ってメチロンか 未来予知は出来る(※ウィキペディアは見てはいけない) 己の読解力のなさを相手の責任にする高卒メンタリティ 平田が生きてりゃあなあ
戦争で死んだのが惜しすぎるんだよな >>355
特殊な肥田式を一般人向けに色々改良してくれたかもね 水波一郎の神伝の法と田代式強健術を組み合わせてこそ、神の体力、神の霊力を得られます。死後の世界の法則は水波霊魂学にて既に証明されている。 透視は空中浮遊と同じ、物質に働きかける念力系の能力
予知能力は残念ながら無い
超能力には念力系とテレパシー系の二種類しかないよ 医学会において、マリファナは永木に渡って鎮痛薬として使用されてきました。
米国では、25の州とワシントンDCで医療目的でのマリファナの使用が合法化されており、
4つの州では21歳以上の成人による嗜好目的でのマリファナの購入が認められています。
多くの人々は単に楽しんだり、リラックスしたりする目的でマリファナを使用しています。
また、セックスライフを充実させるために使用している人もいます。
使用者が体験する強いオーガズムを考えると、なぜ合法となっている州でより多くの
人々が定期的にマリファナを使用していないのか不思議です。
マリファナに反対している人々は、マリファナはゲートウェイ・ドラッグであるとか
(タバコやアルコールほどではありません)、依存性が高いとか(タバコよりも低い)
、世界中に多くの成功者がいるにも関わらず人生をダメにするものだなどと主張します。
実際にはマリファナは素晴らしい植物です。マリファナは素晴らしい気分にさせてくれ、
お酒を飲んだときのような二日酔いもありません。
さて、ここまで読んで、皆さんもマリファナでどのようにセックスが良くなるのか、
気になってきたことでしょう。
1. マリファナはオーガズムを得やすくする 肥田式はやっぱ悟りとか超能力の話しがあったから今でもどうにか名前があがるな 骨盤内の筋肉の収縮と腸の蠕動運動の刺激が、迷走神経を伝わって脊髄を上昇し
脳幹上部の脳隔膜に到達
すると脳のニュウーロンが過剰発火し、テンカンの発作によく似た状態になる
これが聖中心の覚醒だったのだ
肥田式で気合いを使うのは、骨盤内の筋肉を収縮させるためなのだな 性中心体験では、オナニーの数十倍のオルガズムを1時間でも2時間でも感じながら
雑念が完全消滅した静寂を感じることができるらしい
しかも1年ぐらいの練習で体得できる
聖中心より性中心だな 性中心を体得するのに、正中心も要らないし、気合いも要らない
オナニーが練習方法なので、三日坊主になることもない ただし性中心体験では超人的な能力は発現しない
かわりにオルガズムを体験できる
超能力よりオルガズムのほうがイイに決まってる 聖中心よりも性中心のほうがお得
極上のオルガズムを1時間でも2時間でも体験できる
しかも精神には別に異常はきたさない
その代わり、超能力は発現しない
超能力を取るかオルガズムを取るかだ
答えは明白だな 性中心は側頭葉のニューロンを過剰発火させる
それはテンカンの発作に似てる
テンカン体質の人は性中心のトレーニングをやったらダメ 了雲先生は、死んじゃったのかな?
サイトには肥田式の文字もないし.. 高木一行の本の奇跡の手 ヒーリング・タッチが高騰してるなw
逮捕されてもまだ需要あるのかw >>385
108円で売ってたの買ったけど
自慢話ばかりで買って損したわ 高木一行は肥田式の梶原一騎だからなwww
肥田春充物語「強健バカ一代」を書いていれば今頃は肥田式強健術の道場は全国に数百カ所、肥田式大ブームになっていただろからなwww 肥田式の本で紹介されてる、アボット嬢の怪力法が正中心のヒントになる気がする。 肥田式やった奴で成功した奴一人もおらん
メチロンどころか創始者すら 肥田氏の本を読んで、密かに体得している人はいるのではないでしょうか?
ただ、指導者にはならず、平凡な日常生活で活用している気がします。 肥田式では腰の反り方で、いろんな意見があり、腰痛になる方もいるようです。
本を見てみると、椎骨と仙骨の接合点に力を入れて反らせるというのが多いですが、
天真療法のp.335の椅子運動法で、D仙骨の上端より、約2、3センチ下がった部分に力を入れて
充分に反る。と書いてあり、試したところ、思っていた腰よりも、かなり下の方に感じました。
これだと、上半身が虚で、腰腹の充実感があります。いかがでしょうか? >>395
兄の川合信水の子息、川合道雄氏は現在103歳か、、 肥田通夫氏は何歳まで生きたんだろうか?
ネットで検索しても出てこないんだけど… >>398
肥田氏の本が好きで読んでるだけの者です。
【宇宙倫理の書巻二】から抜粋
『毎朝十秒時の正中心大緊張は私にとりては、現世のパラダイスである』
『中心力一閃・・・忽如として人界の一切を離脱し、虚無別天地の聖境は絶美の装いをも眼前ってに展開する。そこに輝くは永遠の道、パラダイスのさざ波、涅槃の静穏ーしかして活生命のそよ風・・・空の彼方より無限に迫り来る法悦の響き・・』
『科学的理論及び科学的方法によって、煩悶苦悩憂愁を一掃する道なきにあらず。』
『思慮を絶すれば、煩悶苦悩は消滅する。思慮断絶の科学的具体的機械的方法は、円満な中心緊張である。禅の座法もその一つである。』
『仰臥式自然体姿勢による中心緊張で思慮を断絶する方法を私は明確に体得した。』
『この緊張━この刺檄、この全力…タッタ三回、一瞬にして一切を超脱━世界人類中只一人、無心独尊。』
『正中心統一作用が良く行われていると、人は心身共に健全であって、心身の存在を自覚しない。』
『それによって精神を、神経学的機械的に支配すると同時に筋肉内臓機関を健全にするのみならず強大なる体力を造ることができたのである』
『正中心大緊張は神経学的に脳幹思考中枢の機能を停止状態に置き、自ら無念無想の虚無精神となる。この純聖明徹なる霊鏡にこそ、真理の本質的姿は、初めて自ら映じ来たるのである』
『かかる経済的窮地にあって、心の悩みをいかにして解消し、旺盛なる元気を以って、勤労の道にいそしむことが出来るであろうか。それには実質的機械的に精神を強くし、肉体を健やかにする具体的方法を求めたい。
『私は云う。それには肉体の物理的重点に、合理的科学的の大緊張を与える事が最も有効であると。』
『中心力一閃、一切の思惟作用は突如忽焉断絶せられて、清明絶美の光明世界が、眼前の老樹の枝頭に展開せられる。勇胆岩の如く、直下に天下を脚底に踏断するの意気凛々として虚無心裡に湧出し来たる。』
『これは私が、正確な幾何学的姿勢を造ることによって、機械的に随時随所に発現し得る科学的方法である。』
『従って、熟練して精髄を得さえすれば、人類同胞諸君の何人も具現し得べき平凡事と云わねばならぬ』 オカルト信仰はカルト信仰と似てるね。
超能力なんてないんだよ。
騙されるな。 宇宙倫理の書巻二から
「━而して機械的のものである。機械的と云えば安っぽくなるものと誤解してはいけない。
機械的は合理正確を意味し且つ何人にも顕現し得る普遍的恩寵なることを意義するものである。」
「中心正緊張の大衝撃、大脳中枢に波及するや刹那に滅却し了す泡沫の業、頓に無上禅を活
現して欣悦を生じ、法雨頻りに降る涅槃の森━。
「これ即ち、総ての人に、平等に与えられたる神の大恩寵である。人間精妙なる最高極点は
総て納められて各人の肉体重心点に秘められてある。これを啓くことも捨つることも亦自由なる
の自由が自由なる人間に与えられている。」 「人体の物理学的正中心の一点が極まって虚無に帰し虚無極まって無限一となった時、心鏡
廓然として煢徹して塵曇なし。痕垢盡き除いて明光、茲に燦現す。心琴天楽と共鳴して無礙の
法悦、湧き溢る。」
「人間は自己の活きる務めを果たしながら、自己の人間としての完成に向かって進むべきであ
る。汝らの天の父の完きが如く、汝らも完かるべし神が神として完きが如く、人も人として完き
ことを目標に努力修行すべきである。」
「それには肉体の完成と精神の完成である。肉体の完成は体格の均整、内臓機関の健全、
体力の強大、動作の精錬を期すべきである。精神の完成とは自由性を以って理性と徳性とを
磨くことである。」
「大に渉り微に入り、広きに求め、深きに探らざるべからず。其処に向上あり。進歩あり。林間
の松韻、石上の泉声、静裡に聴き来たって天地自然の鳴佩を織り、草際の煙光水心の雲影
間中観去って、乾坤最上の文章を見る。」 >>105
無駄な修飾語を取ったら中身スカスカやで 「正中心は真中心であり、真中心は虚無中心であり、虚無中心は聖中心である。けれども何れも
、抽象的嫌いがあって、学的には全的容認を得られない感がある。されば、『人体物理的重点の
洗練修行』と云いたいと思う。洗練修行の字句では尚、観念的臭味を脱しない傾向がある。依っ
て単的に、『重心点における合理的大緊張』と云った方が明確である。実にや中心鍛錬は冷厳
なる物理学的幾何学的解剖学的力学的生理学的運動生理学的なるものである。
而して其の科学的緊張は、必ず神経学的に脳幹細胞機能に影響し、思考中枢作用に影響し
、期せずとも心を磨き精神を修め、生命を洗い、魂を浄むる働きを起こして、単なる肉体練冶
に終わらない効果を齎すのである。健康増進の如きことは下の下たるものであり、望まずとも
自ら随伴し来たるものである。」
『大師釈尊まさしく得道の妙術を正伝し、また三世の如来とともに坐禅より得道せり、この故
に正門なることを相伝えたるなり。』『この単伝正直の佛法は、最上のなかに最上なり。参見
智識の始めより、念佛、修懴、看経を用いず。但し打坐して身心脱落することを得よ』。 昭和陸軍の華美修飾過多の悪文の典型
海軍はもっとまともだったんだけどな
肥田の言説をそのまま受け取れないのは
あの盛るというか
はっきり言って作話の癖があると思う クンダリニーを上昇させて性中心を覚醒させると
聖中心とほぼ同じ体験ができる
脳内が完全な静寂に包まれる
クンダリニーを上昇させるには、厳しい鍛練は要らない。
気合いとか姿勢も必要ない
熟練するといつでも覚醒させることができる >>402
要点だけ読めば参考になると思うけどな。 口が良く回る詐欺師まがいのセールスマンいるよな
テレビショッピングみたい ◆川合式強健術より
私が御話したいと思った大体は尽きた。『強健術』はここに終りを告げねばならぬ。
奮闘の生活を送ろうとする志もなく、身に病苦の苦さを、味わった事もない人であって、難しい
理論と、冷ややかな批評眼とで、私の研究の浅薄を探るのに過ぎなかった者は、この記事
を読んでも、毫末の利益をも、受くることもできなかったであろう。けれども病弱に悩む、兄弟姉妹
にして、健康の奥殿に、体躯の鍛錬をしたいと、望まるる方にとっては、よし、みすぼらしい、私の
実験とはいえ、尚ほ多少の参考となり得たことを疑わぬ。、、 ◆天真療法p.334『椅子運動法』
第五安静に入れば、逐次正中心の鍛錬を行うと、回復がめきめきと促進される。この時期に
おける運動法としては、椅子を利用したものと、聖十字架型操練法とあるが、今回はその前者
について説明する。
この運動法は、椅子に腰をかけるので、姿勢が安定していて、健康の者にも非常に有効で
あるが、特に、老人や婦女子に適当するものであるから、おすすめする。後略 ◆天真療法p.336聖十字型操練法(仰臥式中心錬磨法)
この操練法は肥田式強健術の極意の型ともなっていて、極めて重要な操練法である。非常に
簡単であるが、心身強健の秘訣が、一点に潜んでいるのであるから、強健な人も、毎日継続して
実行されることをおすすめする。特に老人や婦女子にも適しているが、病気の回復期、即ち第五
安静期に入った病人は、まずこの運動によって、正中心の強化を図ることは、病気回復の第一
要件である。中略
病気を治す力も、強健体を形成する力も、この正中心の発動を活発にすることが、第一要件
である。病弱者には、この前の椅子運動法と共に、併用をおすすめする。 聖中心道p651
中心力による労働能率が、最高のものであることは、云うまでもないが、さりとて、労働の度ごと
に中心力を使うというのでは、甚だ窮屈でかえって不自然に陥りやすい。ではどうしたら良いかと
云うのに、ただ平素、正確に中心力を鍛えてさへ居れば、其れが自ずから、適宜に発動して、以って
知らず知らずのうちに、仕事が中心力で支配されるやうになるものである。即ち仕事と中心力が、
自然に一致して、ことさら中心力を使うというような、小細工を避けるが為めには、平生の規則正しき
修練が肝要である。 p652
腕組みしながら、話している時に、我が中心の力はあたかも電光の如く、時々、ピリッ、ピリッ
と両脚に閃いて、止むなく軽く踵で踏みつけたのであるが、其の度にごと望楼は、ドドン、ドドン
と、揺り動かされ、たちまち砕けて、数丈の崖下に、落ちはせぬかと思はるるばかりに震う。
私は自然に迸り来るこの中心力を辛うじて、自らわずかに抑へつつ楼を下った。かかる場合、
力の自然の発動に任せたならば、床を踏み抜き、根太を折るが如きことならば、まだしもの事、
一方の支柱が既に緩んでいるので、楼全体が壊れて、崖下に前倒れるの危険があるのである。
正しく腰腹の姿勢をとった場合、かくの如くに、中心から電の如くに、ビリッ、ビリッと、強大な
力が、自然に迸り出るやうにならなくては、中心の修養は、未だ堂に入れりとは、称し難いのである。
私の中心力抜刀術の型は、かくして凡て、自然に迸り出た、無為無形の型に過ぎないのだ。
『水鳥の往くも返るも、跡たへて、されども路はたがはざりけり』。 宇宙倫理の書巻一p285
運動するよりも労働せよ。労働は身体を動かして生産を伴う点において単なる運動よりも尊い。
けれども労働能率を高進せしむる基本的勢力の増進法があって、それにはほとんど時間を要せぬ
というものがあったならば、労働せんがために先ず、その運動を行うべきことが有意義であることは
論をまたぬ。正中心緊張の瞬間練修は、それである。 春充は文章の才能があるな
運動家としての活動の他に
小説家として活動すればよかったのに いや才能ないやろ
読んだ本から借りてきた用語をこれ見よがしに並べるという厨二病や
文章家としては一番恥ずかしいやつ 根本的健脳法p1序
『健脳法』などというと、如何にも私自身が、頭脳明晰、学識深遠、記憶力旺盛の者と、自ら許して
いるかのようにも、聞こへるが、私の所謂『健脳』というのは、そんな意味ではない。
私はもと、体も弱く、脳も悪く、頭痛はする。めまいはする。安眠は出来ず。悪夢に襲われる。
始終、高度の神経衰弱に悩まされて居った。どうかして、丈夫な体になりたいものだと、種々研究
実験の結果、いわゆる『強健術』を案出し、間もなく虚弱を一変して、無病頑健の体躯に改造する
ことが出来、さきの陰鬱な頭脳は、たちまち明るい、活き活きしたものとなった。ここに説く『健脳法』
というのは、その実験に基づいて生理的心理的に、脳神経を健全にするのに、最も簡易な、最も
有効な、そして最も根本的な方法であると私の確信する處のものを、率直に披瀝したのに過ぎない。
何の不思議なこともなければ、何の珍しいこともない。極めて自然な、極めて平凡な真理である。
体は何時も、活き活きして居って、頭脳は何時も、晴れ晴れして居る。病的な所は毛ほどもない。
何を見ても、何をやっても、愉快だ。雨雪寒暑によって、その健康を破られない。順逆成敗によって
、その精神を乱されない。これが私のいわゆる『健脳法』の目的である。 根本的健脳法 p265
私は、多年紛争を重ね来った地方問題の渦中に、身を投じ、連続一週間、激論争語、難問百出
の矢面に立って応酬し、頭脳の冷徹と、精神の平静とを保ち得た実際上の経験から、『怡然たる
、自己中心の世界』ということにつき、一段、啓発せらるる處があった。それは、協議会へ出る前
、ただ数回、強大な中心力を練って、無念無想の胸懐となり、平然として、これに臨むことであった。
交渉が行き難んで、丁度、鉄壁と鉄壁とぶつかり合った様になった時、しばしば決裂に瀕して
策の施しようが、無くなった時、交渉者は、血汗を絞り尽くして、顔色蒼白となった時、私は翻然
として、独り潜かに自己安住の中心世界に外物不可侵、春月悠々の聖境を楽しむことが出来た。
─平心は最上の武器である。 三島由紀夫や宮沢賢治などと同時代人とは思えないほどの悪文 p218
時候の加減か、何か非常な考えごとでもした場合に、頭痛がビンビンとするような時、寝て
休んでも、水で冷やしても、容易に治らなかったら、手ぬぐいで頭を鉢巻きにし、中心力強大法
による大緊張を十五回やって見るがよい。三、四分間たてば、ズーッと洗い取ったようにスッカリ
治ってしまう。実に不思議な程である。これは鬱滞した血行がたちまちにして、平均されるから
である。其の効果の確的迅速なることは、驚くのほかはない。これこそ最も簡便な頭痛退治法
である。
ただ一つ注意しておきたいことは、有熱の場合は、運動は一切止めなければならぬことである。
呼吸法すら、宜しくない。ただ静臥して、医治を受くべきである。 聖中心p516
それから私は軍刀の長いのを持ち出し、彼らが取り囲んで居る中に入って、額と額と一、二寸
位の處まで、顔を近寄せ、ヤッと一声、長刀を抜き放った。引き続き、違ったやり方で、数種、ぺラリ
、ぺラリと縦横に抜き放った。もとより何処をも斬らず、誰の着物に、触れさえもしない。切っ先は
人々の顔の直前をピカリ、ピカリと流れる。其の度毎に、ヒヤリと、度肝を抜かれたそうだが、身を
かわす、暇さえもないのだ。私の手が二寸ばかり鯉口で、動いたかと見れば、もうズラリと、
刀身は引き抜かれてあるのだ。ビックリして言葉も出ないのは、無理もないことである。しかも、
私は微笑しつつやって居るので、彼らは一層、不思議がって居った。
『何処でコンナ事を、習ったのですか。軍隊で教わったのですか』。『イヤイヤ、私が始めて
編み出したのサ。つまらん事だよ』。『ヘエッ。もったいないですね。先生をコンナ所に置いちゃあ』 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています