義珍は生涯自由組手は許可していない
許可というか、もともと唐手は自由組手とかやるようなもんじゃなくて
型やって巻藁突いて終わり、ってのがスタンダードだったから
そういう意味では義珍の唐手は正しく伝統を伝えてる。

ただ息子の義豪は自由組手をやっていて、江上は義豪にも師事していたから
義珍の指導ではなく義豪の指導の時に自由組手をやっていたと思われる。
義珍はまあ見て見ぬフリ状態だったんじゃないかな。

義豪が指導していた自由組手は当時の記録を調べると現在の協会の寸止めスタイルとほぼ同じ。
江上は凄い身体をしていて写真も残ってるけど、それは現代の協会の先生や選手も探せば同じように
凄い身体をしている人が居るのと一緒。体質や骨格もあるだろうけど、ようするに鍛えたから筋肉が
ついていたし、あと若いってのもあった。

ただし柔らかい空手を追求し始めてからはその筋肉は衰える一方で(まあ体調の悪化もあるだろうけど)
奥さんの著書を読むと、立派だったあの体は見る影もなく衰えていたとのことで「やはり運動しないとダメだ」
と切実に語ってる。