合気(合気道、大東流、八光流etc.)総合
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幅広く合気を語りましょう。
少林寺、空手、中国武術、古流等々歓迎。
他流批判、宣伝、無関係な話題は節度をもって(他所で)お願いします。 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 >>665-669
チンオの家が塀もなく、生活保護だからって、ひがまない事。
そして矢張りコピペで誤魔化しましたね。 >>657
木村政彦の足払いに関してマウンティングしたのも
木村政彦が没した
1993年よりも二年後の
1995年の透明な力で
だったね。
>>659とうじ植芝盛平は既に院政ですらなく
名目上の相談役のような立場で実質的に組織の内政には全く関わっていなんだ状態だった。
そこにきて小笠原諸島返還など日米の神経質な関係が頭を擡げた世相にあって
本部にシンパの根を張った藤平氏が巧みに
米国に対し失礼に当たらぬべく名誉段の必要性へと誘導し
段位を取得し抜けたと専らの噂。
既得段位が植芝盛平の耳目に入り再理されるところとなることをはばかり
植芝盛平の早逝を望み某名誉十段との物騒な噂が走った噂もあるも
きな臭い話しなので舌先で引き返し腹に収めておくとしよう。
塩田九段が戦前の言い渡し段位に留まったのも
厳密には植芝門でなかったのも一因かな。
>>665-669そんなはげ散らかしている暇があったら働けって。
人生を棒に振るのはきみの勝手として
せめて一度は鍼を振(る)ったら? >彼が原因とは言わないけど徳田事件から新規は来ないし来なくなるのも増えた
良い気味だね(笑) 植芝盛平のインチキ武道が、こういう形で終わりを迎えるとはね。 その偉そうにホラを吹いていた井上鑑昭の動画(笑)
https://youtu.be/ko0zTHgaRik
植芝盛平の合気道と全く同じだよね(笑) 弟子に自分から転がる受け身取らせてるだけの演武だね。
こんなの合気之術でもなんでもないね。ただのヤラセ演武(笑)
親英体道って、今でも活動してんのかね?(笑)
塩田の養神館も、今やパチンコ屋の2階なんだろ(笑) >>665
そういう晩年のものを出すなら、佐川幸義の演武も大したことない。
透明の力に載ってる写真だけでも、
弟子の正面打ちを手刀で返す写真で、
佐川が弟子を崩している方向と、弟子が崩れている方向が微妙にズレており、よく見れば分かる。
写真ですら見抜かれそうだから動画を出さないだけじゃん。
大東流では、惣角のあと佐川を介して時宗が宗家を次いだことになっており、時宗も佐川と同系統なはずだが、
時宗の演武動画は公開されており、それはもう酷いものだ。
何人かの弟子に胴上げされて、ワッショイワッショイされてるうちに、いきなり時宗がヤーッとかけ声をかけると
弟子がアアーッと言いながら全員動けなくなる。
会場から失笑がいっぱい漏れていて、よく聞こえるよ。
武田時宗の演武のYoutube → https://www.youtube.com/watch?v=4M579s8Gni0
時宗の先代宗家にあたる佐川の実力も所詮この程度だって。 >>665
前にもやったんだが、佐川幸義の実力を「透明の力」の写真から判別してみようか。
まず、
巻頭写真のうちの
「打ってくるのに対し、軽く触れただけで相手を飛ばしてしまう合気の技。佐川先生は七十歳近くになり、この原理を発見した。」と
書いてある4枚の連続写真。
2枚目のあの写真の両者の腕の形だと相手は佐川の若干右前に飛んでいくんだよ。ところが、相手は、佐川の真っ正面に飛んでいる。
佐川に正面からの攻撃を飛ばされるのだから、正面に飛ぶはずという意識が無意識のうちに働いている。
佐川の反撃のベクトルが若干自分の右前方向に働いているのに、技をかけられた弟子が、それを真正面に修正してる。
大東流や合気道をやりこんでいる人が見れば、判別できる。
これが動画が出せないわけ。 >>665
井上さんの演武を見て分からないとは目が腐ってるね
居合にしろ実際に人を斬らずとも、その佇まいで凄みが伝わってくるだろうがよ
活動にもケチつけてるが、お前らの所なんか道場自体がぶっ潰れて
跡形もねぇじゃねえか(笑) 透明な力の巻頭写真の
「高速度カメラで撮った一瞬の技。棒をつかんで下へたたきすけられるまで0.5秒もかかってない。
そのスピードののため、帯が上へ立っているのが見える」
とあるのも、
別にスピードでそうなっているのではなく、技の勢いでそうなっているだけ。
普通に合気道の演武会でもあること。ただ、仏の演武会じゃあ、高速度カメラとか使わないし。
それに技の勢いでああなっただけということじゃないと、
逆に、完全に力を抜いている相手(帯のように)には、佐川の合気が効かないということにもなってくる。
著者が合気ということをよく分かっていないので、スピードでこうなっていると書いてしまった、やっちゃった例。 佐川派が佐川の方が植芝より上だったと書いてるのは、
佐川派だけによる一方的な記述。
井上鑑昭が武田惣角を圧倒した事実は、
井上の一方的な記述ではなく、
合気ニュースやスタンレープラニンが検証した結果真実であるとして
合気ニュースが記載した事実。 また、
大東流の方が先に合気という言葉を使い出したというのも、
技の使い方や名称として使っていたかもしれないという程度で、
実際に確認された事実は、出口王仁三郎が植芝盛平に合気を付けろと言われたのが始まり。
それがほぼ事実であると確信したのでスタンレープラニンや合気ニュースはそのように記載した。 >合気ニュースやスタンレープラニンが検証した結果真実であるとして合気ニュースが記載した事実。
んな阿呆な。(笑) そもそも武田惣角が小野派一刀流を本当にやっていたなら
自分の武術に合気を付けるという発想にならない。
小野派一刀流が代表的だが、その他古流剣術でも、江戸時代からずっと「合気」は「合気をはずせ」という言い方で使っている。
「合気」を悪い意味で使っている。
本当に武田惣角が下江秀太郎といい勝負をするくらい小野派一刀流や剣術をやっていたのなら、
そのような使い方をしている言葉を自分の武道の名称にするはずがない。
もし、悪い意味で剣術で使われている言葉を積極的に自分の武道の名称にしたのなら、
武田惣角が剣術を相当にやっていたという話自体が嘘くさくなってくる。
実際は、植芝盛平が出口王仁三郎のご託宣を受けて、合気を武道の名称に使い始め、それが流行ってるのを見た惣角が、
それを真似しただけ。
で、佐川派が、「明治○年の日記のここに合気という言葉が載っている。だから、大東流の方が合気道より先に武道の名称に合気を付けたのだ」
と必死にウソをつくのは惨めったらしい。 >>681
ごまかすなよ(笑)
スタンレーは生存している惣角の弟子と盛平の弟子の全てに会い、
大東流と合気道関係者の中で最も多くの莫大な資料を見た人物。 >>676
『透明な力』には、佐川さんは絶対に映像は残さないと書かれてたが
津本陽さんによると実際にはビデオが存在しているらしいね
秘密だから公開は有り得ないという事だろうがなにせ伝説の武術家だから
販売したら反響が凄いだろうね、20万円くらい儲かるんじゃないかな >>683
最も多くの莫大な資料を見たかもだすが、武道家や武術家の話なんざ、嘘や大法螺も多い。
惣角はんや植芝翁や塩田センセの話でわかりまんがな。 時宗に合気は無い、などと言い出したのも本人が亡くなってからなんだよな
合気は後の先だなどとたわけたことを言っているとも
全くひどい話だ >>672
>徳田事件
徳田流格闘術(きみ)のこと?現実をみすえていいかげん働けよ。
>>685
>武道家や武術家の話なんざ
>嘘や大法螺も多い!
なんだこの昭和の固まったセリフは。 その偉そうにホラを吹いていた井上鑑昭の動画(笑)
https://youtu.be/ko0zTHgaRik
植芝盛平の合気道と全く同じだよね(笑) 弟子に自分から転がる受け身取らせてるだけの演武だね。
こんなの合気之術でもなんでもないね。ただのヤラセ演武(笑)
親英体道って、今でも活動してんのかね?(笑)
塩田の養神館も、今やパチンコ屋の2階なんだろ(笑) 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 > 彼が原因とは言わないけど徳田事件から新規は来ないし来なくなるのも増えた
大体にして、TOKIOの山口が援交JKにキスしただけで、示談金二千万円払って、謝罪会見開いて、TOKIOの他のメンバーまで謝罪会見したのに、
合気会の徳田ワイセツ事件時の対応はなんだよ?
公益財団法人のくせに、謝罪会見のひとつもやらなかっただろ。 >>693うん
だから徳田流(きみ)の惨敗事件のことだろ。いいかげん目を覚ませって。
プロレスとリアルアクションの違いが見えないからそういうハメに陥るんだよ。
>145名無しさん@一本勝ち2018/03/12(月) 18:59:10.96ID:v1rFQnA+0
>>>145
>まんまプロレスじゃねえか(笑)
・・・ったく
力道山からは卒業できたか? >>695 盛平師と身近に接してたり内部事情に詳しい事から憶測するなら
貴方は植芝さんの高弟じゃないんですか?
実名を晒せば「まさか、あの人か」と言う武道家じゃないでしょうな > 彼が原因とは言わないけど徳田事件から新規は来ないし来なくなるのも増えた
大体にして、TOKIOの山口が援交JKにキスしただけで、示談金二千万円払って、謝罪会見開いて、TOKIOの他のメンバーまで謝罪会見したのに、
合気会の徳田ワイセツ事件時の対応はなんだよ?
公益財団法人のくせに、謝罪会見のひとつもやらなかっただろ。 大東流、特に佐川派は、
武術名に合気を使い始めたのは合気道より大東流が先というウソを曝かれ、
佐川幸義が達人だったというウソも曝かれ、
触れた瞬間に相手を無力化することが出来るというウソも曝かれ、
もうコピペしかできなくなった。 武田時宗が「合気は後の先」と言ったのは、ある意味核心を突いているのだが、
佐川派は、「合気は後の先」と言っているのは、合気が分かっていないからだと、武田時宗が死んでから言い出した。
だが、そういう佐川派は、
「先」も「先の先」も「先々の先」も「後の先」も、よく分かっていない。
「先」も「先の先」も「先々の先」も「後の先」も勝負論では極めて重要な概念だが、
佐川派は、勝負しないオカルト武術だから。
しょせん、富木謙治から「実際を知らないんですよ」と失笑される連中。 昭和43年に仮に15才で植芝翁に
習ったり話を聞いたとして
盛鋳造は今年67才ですよ。
そんなじいさんが匿名掲示板に
いるとは考えにくいですね。 最晩年に植芝翁が見いだして弟子にした天才赤ちゃんがいたって噂を聞いたことあるなあ(棒)
それでも今生きてたらその人50代なんだけど >>696一受講者だったね。
和歌山では組織化以前の運営が
組織と並行的に存在していて
かなり高額な受講費による一見(いちげん)式の教授形式が
まだ残っていてね。本当なら廉価な入門をしたかったのが諸事情から認可がおりず散発的な受講に留まった。
そのぶん高額受講者だけに受講時は優遇されて
あれこれ内情に立ち入ることが自ずとできたわけだね。元来ここの和歌山カオスにH師範(名誉十段とは別人)とか中心に組織上の本部化計画が持ち上がっていたものを。
血相かけて取り止めを強行してきた一派がいて実現せなんだ。既得権益が惜しかったんだね。
誰あろう二代目だったといいたいところなんだけど
流石に胸の裡にしまっておきたい感じかな。あの横やりさえなければ持ちあがりで中枢に入れた?と思うもまあそれでよかったかとも。
ともあれあの混沌期をしっていると現今の合気会まずありきの史観などには強烈な違和感を覚えたりはする。
植芝盛平(金銭面でさしてリスペクトしていないから敬称をあえてつけない・・・身近感あふれるし)のとある身体能力を語れる証人は限られるから
そこに居合わせた傍証にはなると思う。ちなみに井上先生の身体能力は更にそれどころでなかった(背骨を各個ぼこぼこ動かせた)。
>>701佐川派も小平支部になってから経営化(言辞化)したね。あれで本部時代は会派をあげてもっと求道的なものだったしね。
ミドルを置くと非健全的になんのかね。 木村達雄さんの著書に
空手のチャンピンオンに腹をつかせて吹っ飛ばす写真が載ってたけど、
あれも、
突かれる前は、腹しか突いてこないと思っているためかスキだらけだし、
空手のチャンピオンとかを吹っ飛ばした後は残心が全くない。
残心が無い点では、相手を投げた後に残心が無くガッツポーズをする柔道と同じ。
その意味では、佐川派大東流はスポーツ化している。
残心がない武道は、武術や護身術としては極めて危険。
相手を投げたり、吹っ飛ばしたりした時点で「やった」と思って、態度や心の中でガッツポーズをしている間に、
相手の反撃に遭う可能性が高いし、
残心が無いクセがつくと、複数相手のときに自分より弱い相手でもやられてしまう。 残心がどうとか以前に、組み手をやらず、まともに殴り合ったりもみ合ったりしたこともないやつらなど
問題にならないよ
総合格闘家とやったら瞬殺される そもそも大東流は、植芝の合気武道が脚光を浴びたおかげで日の当たる存在になれた。
植芝盛平への恩を忘れるべきではない。
大東流各派は、植芝のおかげで、ある程度、日の当たる存在になれたが、
組織力では植芝系に全然かなわなかったため、
相手を崩す技法を合気と言っていたのを利用して、合気という技法にオカルト性を付与し、
植芝系の組織力に対抗して神秘武道として生き残ろうとした。ただ、それだけの話。
佐川派も、幸道会も、元々の武田惣角の技法そのままではなかったり、改変したり(特に佐川派)している。
植芝盛平も佐川幸義も堀川幸道も武田惣角の弟子であり、合気会も佐川派も幸道会も武田本流の亜流と意味で全く同価値。
植芝が大東流を盗んだとかみっともないことを言っているから、他のまともな武道家からバカにされる。 どだい植芝盛平は
30流派を学んだ上に
起倒流山田派(加藤派)
禊流(鞍馬流)
を中核といっているのに
大東流はないだろ
大東流は
って感じだね。 >>708
起倒流の形(かた)を見ると、わりと捨身技が多いです。
しかし植芝盛平は、印象として捨身を使った感じが、あまり無いです。
鋳造さまは盛平がなにか捨身に関し論及した、または実際に使って見せたのを、見聞されましたか?
そもそも山田派には捨身が無いのかな? 戦前には使っていた様子だし
逆三角絞めなどレアな技の写真も残っているけど
戦後のもうずっと後年は
一つの技術的集約体を築き上げた時代なためか夙うにノンタッチだったね。
山田派にはない。
望月氏の玉心流からの逆輸入だったのかな。 >>711
という事は、盛平の構成因子で山田派から採り入れたのは何だったのかな・・・・
乱取が意外にも出来た事かな?
起倒流は数少ない乱取をやる柔術流派だったからね。
それともほかの、もっと大事な因子か・・・・ > 彼が原因とは言わないけど徳田事件から新規は来ないし来なくなるのも増えた
大体にして、TOKIOの山口が援交JKにキスしただけで、示談金二千万円払って、謝罪会見開いて、TOKIOの他のメンバーまで謝罪会見したのに、
合気会の徳田ワイセツ事件時の対応はなんだよ?
公益財団法人のくせに、謝罪会見のひとつもやらなかっただろ。 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 >>704少し勝手に自己補足をすると
ここでのH師範は一応
久十段とはご別人だね。
たびたび話題にしている真の十段の方も
H十段だけど
その方はまた別。
つまり私の人脈中
四人のH師範が入り乱れ
時にややこしいけど
ちくいち軽めの註釈つきで出すし
そういうつもりで判断してほしい。
>>712地稽古はできた方だったね。無手ならたぶん塩田九段(十段)が越えたけど。
山田派=戸澤派
の伝書には縮地法が記載されてあって
山田派=旧県(埼玉県と同時に成立かつ今は廃県)派
の伝書のが先んじており
また
戸澤派の伝書が伝書自体が初出にも関わらず
後年から旧県派の該当ヶ所を後発伝書に組み入れていることから
そこがよほど重要と伝承と考えられ
すなわち合気道も縮地をこそやはり重大視したのでないかな。
大東流(新陰流)にもあったとは思うけど
山田派(加藤派)の修学よりも後年のことに過ぎないしね。 だいたい
本流の武田時宗が植芝や合気道について批判めいたことは何も言ってない。
亜流の佐川派がガタガタ言うな。
その偉そうにホラを吹いていた井上鑑昭の動画(笑)
https://youtu.be/ko0zTHgaRik
植芝盛平の合気道と全く同じだよね(笑) 弟子に自分から転がる受け身取らせてるだけの演武だね。
こんなの合気之術でもなんでもないね。ただのヤラセ演武(笑)
親英体道って、今でも活動してんのかね?(笑)
塩田の養神館も、今やパチンコ屋の2階なんだろ(笑) > 彼が原因とは言わないけど徳田事件から新規は来ないし来なくなるのも増えた
大体にして、TOKIOの山口が援交JKにキスしただけで、示談金二千万円払って、謝罪会見開いて、TOKIOの他のメンバーまで謝罪会見したのに、
合気会の徳田ワイセツ事件時の対応はなんだよ?
公益財団法人のくせに、謝罪会見のひとつもやらなかっただろ。 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 >>718
>埼玉県と同時に成立かつ今は廃県
そんな都道府県が有ったんですか(笑)?
↓ ↓ ↓
http://tulip-kimkim2.jugem.jp/?eid=857&guid=ON&view=mobile&tid=7
↑ ↑ ↑
まるで度井仲県ですね。。
>後年から旧県派の該当ヶ所を後発伝書に組み入れていることから
少し伝承経路が複雑なようなので、系図に起こして下さると助かります。
師範名の細分のほうも。。 佐川派は、佐川幸義の合気が武田惣角の10倍になったと高橋賢が「大東流合気の真実」で書いてるように
武田惣角伝の大東流とは全く異なったものになったと言っているのだから大東流を名乗るな。
自分らの合気がすごいと著書に書くたびに、それ大東流の亜流なんじゃねという状況になっていく佐川派の哀れ。
佐川派は大東流の亜流にすぎない
(実際は武田惣角の技と植芝盛平の知名度におんぶに抱っこしてきたにすぎないが)
深淵の色は 第七回 26ページ
佐川派は他流派の師範を倒したとか、有名な柔道○段を合気で封じたとか言っているが、
実は、趣味で合気道をやってる医者とかが相手だった(笑)
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 合気道四段だった木村健次郎医師は、佐川道場の白帯の門人や白帯の女性の門人にコロコロ転がされたのだそうだ(笑)
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 > 彼が原因とは言わないけど徳田事件から新規は来ないし来なくなるのも増えた
大体にして、TOKIOの山口が援交JKにキスしただけで、示談金二千万円払って、謝罪会見開いて、TOKIOの他のメンバーまで謝罪会見したのに、
合気会の徳田ワイセツ事件時の対応はなんだよ?
公益財団法人のくせに、謝罪会見のひとつもやらなかっただろ。 深淵の色は 第七回 26ページ
佐川派は他流派の師範を倒したとか、有名な柔道○段を合気で封じたとか言っているが、
実は、趣味で合気道をやってる医者とかが相手だった(笑)
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 合気道四段だった木村健次郎医師は、佐川道場の白帯の門人や白帯の女性の門人にコロコロ転がされたのだそうだ(笑)
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 スパム行為だよな完全に
佐川派では他人に迷惑がられることをやれと教えてたのか? だいたい、合気道と確執があったのは師匠の佐川でお前にゃ何の関係も無いことなのに
師匠のマネして馬鹿じゃないのか
そんなくだらんことやってるヒマがあるなら腕磨けって、パンチ一発で地べたを這う最弱流派よ 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 佐川派もそもそもは
七十年代初頭まで合気道と普通に交流していたんだよね。
その遙か前から合気道の一部戦前派と大東流の一会派(仮に会派A)との交流があって
会派Aと佐川派+時宗派(いか佐川時宗派)との間に後継(本部)問題で角逐が生じ
関係が経年劣化をしたところに折りあしく会派Aと他の大東流一会派(仮に会派B)との交流ができた。
これを快しとせなんだ佐川時宗派が会派Bへ批判色を強め
あべこべに大東界にあって佐川時宗派に孤立化の機運が高まったため当初会派Aと親派だった合気会(正しくは既に会外の戦前派なので合気会を的にするのも実は的外れな話し)
へと(会派A憎しから)矛先を飛び火させ大東vs.合気会の構図へと仮想敵合気会を対置させることで
大東圏からの舌鋒をゆるめ佐川時宗派が自己保身を図ったというのが大まかな流れだね。厳密にはそういう空気を汲み取り過ぎた佐川派支部派がこの図式を強調(誇大解釈)しすぎた。
ようは元来有名無実に過ぎなんだ(遠縁同士の)いわく軋轢なる亡霊にただ踊らされている後世の一部が単にバカってわけだね。踊っているのは合気会の演武ならぬそういうバカのほう。
>>726ここだね。
http://www.pref.saitama.lg.jp/a0301/saitama-profile/donna.html
加藤派
↓
山田派→明治戸澤派→→→→→大正戸澤派→合気道(H十段→H師範→久十段→H名誉十段)
↓
廃県派→→→→→→→→↑
大枠こうだね。平井先生はまたご別人だね。 深淵の色は 第七回 26ページ
合気道四段の木村健二郎医師は、大東流合気武術 佐川道場に入門したが、
白帯の門人や女性の門人に全く技が通じず、逆にコロコロ倒されて、一体自分は今まで何をやって来たんだと思ったそうだ。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 高橋賢は「大東流合気の真実」で
佐川幸義の合気は武田惣角の合気の10倍凄いと書いてるが、
実は、高橋賢や木村達雄だけじゃなく、佐川幸義自身も、
相手が幼稚園児・小学生や女性のときに全然合気がかからないことが何度もあった。
この場合は、チカラで押し切ってごまかしていた(相手が幼稚園児・小学生や女性なので)。 深淵の色は 第七回 26ページ
佐川派は他流派の師範を倒したとか、有名な柔道○段を合気で封じたとか言っているが、
実は、趣味で合気道をやってる医者とかが相手だった(笑)
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 植芝盛平が自筆で「大東流合気」と書いた書面は、
植芝盛平が大東流合気という言葉を使い出したという証拠にはなり得るが、
佐川派が大東流合気という言葉を使い出したという証拠には全くならない。
それが分からない頭のいかれた集団が佐川派(代表例:保江)。 深淵の色は 第七回 26ページ
佐川派は他流派の師範を倒したとか、有名な柔道○段を合気で封じたとか言っているが、
実は、趣味で合気道をやってる医者とかが相手だった(笑)
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101
佐川派もう終わってね?
当時、大東合気武術 佐川道場の門人は、趣味で通っている人か、学芸大の部活の人だけだね。
職業武道家が入門出来る様になったのは、ずっと後の事だね。
https://j-nbooks.jp/sp/novel/original.php?oKey=101 > 植芝盛平が自筆で「大東流合気」と書いた書面は、
> 植芝盛平が大東流合気という言葉を使い出したという証拠にはなり得るが、
> 佐川派が大東流合気という言葉を使い出したという証拠には全くならない。
> それが分からない頭のいかれた集団が佐川派(代表例:保江)。
君は文盲かね? その武田惣角先生の英名録の資料を「合気ニュース」という雑誌に提供したのは武田時宗 宗家だよ。
文面は、植芝盛平が大東合気柔術の武田大先生の教授代理になったという事、
植芝盛平が武田大先生から大東流合気柔術の御信用之手を習ったという事だね。
https://www.aikidosangenkai.org/blog/images/2013-05/ueshiba-kyoju-dairi.jpg > 高橋賢は「大東流合気の真実」で
> 佐川幸義の合気は武田惣角の合気の10倍凄いと書いてるが、
> 実は、高橋賢や木村達雄だけじゃなく、佐川幸義自身も、
> 相手が幼稚園児・小学生や女性のときに全然合気がかからないことが何度もあった。
> この場合は、チカラで押し切ってごまかしていた(相手が幼稚園児・小学生や女性なので)。
高橋賢さんの本に書いてあるのは、武田惣角先生の大東流合気柔術の一ヵ条から五ヵ条の5段階の階梯を、
佐川幸義先生は10段階に編成したという事だね。
佐川道場の入門条件は、高校生以上だったね。幼稚園児や小・中学生はいなかったね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています