空手の型はやるだけ無駄と言う現実95
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空手家は型の意味を知っているのだろか?
知っていると豪語してもそれはただのこじつけではないのか?
現実離れした動作を繰り返す事で弊害が生じてはいないか?
型の分解や約束稽古をやる前にあえて型を練習する意味を型信者は答えられるのか?
その証拠に空手の型の動作で戦ったり相手を倒した例は一つもない
これらの疑問が解消されなければ空手の型はやるだけ無駄ということになる。
そして、これらの疑問がいまだに解消されていないのが現実である。
もちろん、空手の型は型競技、昇段審査、健康体操としてそれなりの意味がある。
しかし、それ以外の【型で武器を持った多人数と戦う】【人間技レベルでない武技を創出】等のスペシャル(笑)な効果を求めて稽古するのはやるだけ無駄という現実。
前スレ
空手の型はやるだけ無駄と言う現実94
http://mao.5ch.net/test/read.cgi/budou/1510973681 ・ww2日本のよくある誤解
戦前は独裁国家だったX
責任者不在の集団指導体制だった〇
勢力拡大のために戦略的に侵略X
戦略なしに目の前の問題に都度対処してたら戦線が広がりすぎて詰んだ〇
陸軍が悪いX
海軍はもっと酷い〇
アメリカと戦争したかったX
アメリカと戦争したくなかった〇 >>224
独裁国家だなんて誤解してるやつ聞いたこと無いけどなあ。 「沖縄の基地反対運動に日当が出ている」っていう言説はつまり「普段自分たちはなにかの市民運動に見せかけた運動に日当を払っているので当然敵対勢力もやっているはずだ」って発想なんじゃないのかな >>228
そりゃ『・デマサポが「クラウドワークス」を使って工作活動してたことが続々判明中 「ウヨ記事50円」「動画作成80円」「共産民進批判800円」 』
なんてスレと無関係の政治工作記事を一日中そこら中の掲示板に張り付ける作業している連中にはちゃんと報酬があるのだろうって思うよな、普通。
こいつら日当いくらくらい稼げるんだろうね? ワテは現在、Youtubeで毎月4万円ほどの収入を得てます。 しかし今でさえ日本人は実習生制度とか称して連れてきた外国人奴隷をむちゃくちゃな条件で酷使して平然としているわけだから、戦時中の朝鮮人労働者の使役とかとんでもなく残虐だったんだろうなあ…。 >>229
セミナーしたくないエア武道家の必死の抵抗コピペじゃねーのw コピペはカルトの仕業っぽいな
2ちゃん宗教右派と総会屋だし 5ちゃんになってサーバーも代わったんでそのうち規制が入るだろ トンデモ武道家武術家が変な宗教や政治にハマるのはよくある 豊かなはずの日本が、ユニセフの人に「お前んとこの貧しい子供たち大丈夫か」と心配される立場に。
敗戦後の本当に貧しかった頃の日本の子供も、ユニセフの支援を受けたりしてたけど、当時と違うのは、日本に富がないわけではなく「再分配されてない」ってとこ。
日本はどんどん格差社会になっていくなー こいつどの左翼団体の系統だろと最初思ったけど
最近SNSでよく見かけるネトウヨへの反動で左よりになったニワカっぽいな
全学連や民青といったガチガチの左翼団体員なら労働争議史を学ぶ過程で戦後まもなくが
どれほどの格差社会だったか知ってるはずだからな
http://www.geocities.jp/yamamrhr/NihonJini11.jpg ネトウヨ「ヘリで窓ガラス運ぶわけねえだろ!また自演抗議電話入れるわ」
防衛省「米軍ヘリのドアが落ちたと思われる」
ネトウヨ「」 安倍さんが横田早紀江さんの手紙を2年間無視していると有田芳生さんが告発した。
ここへきて曽我ひとみさんの夫ジェンキンスさんや増元るみ子さんの母信子さんが亡くなっている。
拉致被害者が対面を果たせず遺族になりつつあるということだ。
安倍さん、此の期に及んでまだ「やってる感」だけですかね。 >>235
トリックでも何でもない。
型を相当数稽古している人間達は普通にやってる事。
中さんのはそれのコツを解りやすく説明しているだけ。 >>243
> 中さんのはそれのコツを解りやすく説明しているだけ。
してたらタカさんのあの反応は無いだすよ。 中さんと山ちゃんの組手は演技だ
ガチなら中さんがもっと動いて崩す
山ちゃんは掴みにいくしかない 五輪で資金が流れてるからネトサポも増える
全空連は右で
沖縄はサヨクだしな 「政権が図に乗っているのは野党がだらしないからだ」みたいな理屈で野党をクサしている人たちは、
当然のことながら与党の横暴を許しているだらしない野党には投票しないわけで、ってことは、与党はますます図に乗って野党はさらにだらしなくなるのであろうな >型を相当数稽古している人間達は普通にやってる事。
古流等の「中身のある」型をな。 >>244
>してたらタカさんのあの反応は無いだすよ。
それはどんな反応で
何が原因だと思えは思ってるんだ? >>250
感覚的な部分で違いを理解しているくらいじゃない?
多分、他人にそれを教えるのは難しいと感じる人達が殆どだと思うよ。
彼等、彼女達はこうやったらより力まなくても技が極まる。
こうやったら技に柔らかさや伸びが出る。
と言うレベルの認識が殆どだと思う。
少なくとも俺レベルだとそんな感じ。
色々と弊害が指摘される型競技だけど、自己満足の型に落ち込む事なく、常に自分の身体操作を深く掘り下げる作業に没頭出来る部分はまさに競技だからだと俺は思っている。
勝ち負けないで型をやるのもいいけど、それだと中々自分のそれまでの動きの常識を覆す事は出来ないしね。 型に秘伝は無いけれど、先達のいわゆる名人と呼ばれる人達の動きにこそ秘伝がある。
同じ型をやってもどういう動きや技を目指すかでその結果は全然変わる。
分解やら技のコツだけ理解してもそれはただ、知識が増えるだけで何も身に付かない。 うどんを打つ機械や寿司を握る機械などの進歩は大変なものだすが、人だって経験何十年の職人を簡単に超えられるし、創業数年で三つ星店にだってなれるわけだす。
もう数十年でAIが世界のほとんどを支配します。
圧倒的な情報量で分析するからだすな。
コツの口伝なんてもんは、これからは通用しまへんよ。
なぜ踵で回ったほうがよいのかなんてもんは、力学的に理解出来るほうがいいと、ワテは思います。 >>255
それは、有るだろうね。
昔は見取り稽古で物に出来ない人間はそれまでと見切られていた。
だから同じ名人に学んだ筈なのに解釈に差が出たり技に違いがでる先生達が何人もいる。
でも、現代ではそのやり方は通用しないだろうね。
理屈で説明出来ない先生は、下手したら無能扱いされかねない。
ま、突出したカリスマ性があれば今でも昔のやり方でも通用する一部の先生もいるけどね。
だから、現代では一見神秘的に見えてもそれを理屈で説明出来る先生が人気があるよね。
最もそのせいで、余りに理屈先行で身に付かないような事を教える人間も一番の人達には人気があるけど。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 だから、235も後256も型をやり込んでいる人が見れば感覚的にその理屈は解る。
中はその理屈をそれらのパフォーマンスで表しているだけ。
見せ方が上手いので、多分今後それをパクる人間は出てくるだろう。
ただ、結局その理屈も身についていなければ、ただのパフォーマンスで終わる。
中がやっている235も256も見せ方が違うだけで理屈は同じ。
何も共通した型の身体操作。
これらをトリックだと感じるとすれば、単純に型をそもそも知らないか、或いはただの練習不足でしかないよ。 つまり理屈がわからないというわけね
>>235と>>256の違いがわからないのは重症だよw >>262
なんだ理屈を知りたいのか?
理屈を知ってパクりたいのか?
こんな場所で理屈を知るよりも型を練習してした方がいいぞ。
ちゃんとした先生いなくても一日10回を1年続ければ嫌でもわかるよ。
その上で、セミナーでもなんでもその技を披露すればいい。
中がやっているのは、一言で言えば骨と重心を揃えているだけ。
その為のコツを事前に意識させてやらせているに過ぎない。
もしも、それ以上の秘伝的な事やくだらない小手先のトリックとか思っているようなら、
そんなのはただの妄想だから稽古しろ。 >>263
>中がやっているのは、一言で言えば骨と重心を揃えているだけ。
山城みたいな言い回し乙w 骨と重心を揃えるのはかなり感覚的な部分の話になるので、
中本人もこのパフォーマンスを真似てできるようになっても殆んどの人間は、
パフォーマンス止まりだろうなって解っているから公開しているんだろう。
仮にOA7VA5Iy0がF本人で、中のパフォーマンスもより上手くパクッて自分の技に生かしたいと
考えているいるのなら結局は、本当の技は稽古をこなす中でしか身に付かんぞ。
いいかげん、色々な人間の動画やセミナーでのパフォーマンスだけをパクるの辞めたら? >>264
便利な言葉だからな。
解る人間には、これだけでそれなりに通じるし、
解らない人間にはイメージだけで細かい部分は何も解らないだろ?
こう言うネットの場で使うのに丁度表現するだからな。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 >>267
はぁ?何を言っている?
俺が書いてる事も突き詰めれば基本の逆突きって事だぞ?
お前、変な先入観で他人のレス見てるんじゃなおのか? まあまあ。
今の武板にまともな論客は少ないですから。
足を引っ張るだけの人間はスルーでいきましょう。 基本の重要さに気づいているどうかは視点でわかりますね。
表面しか見えていない人の方がずっと多いですから。 型が活かせないのは基本がずれているから。
でもここ詳しく教えてやる必要はないです。
礼儀を知らない者には何も与えないことです。
それがやがて大きな後悔と成長の機会を与えることに繋がりますから。 具体的なことを言わず煙に巻く馬鹿にするだけのタイプの人でも目の前で実演してくれる人なら良いんですがね
そこまでできない口だけの人が非常に多いのが残念です(´・ω・`) >>273
そんな人間が、空手の極めは技だと勘違いしてドヤ顔ばりにそう主張するんだろうね。 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 俺もF氏みたいに色んなところから小技だけパクって将来はセミナーでも開くかな
経歴詐称とか盛り方もパクるわ >>278
「そんなもの」って一体何を指してそう言ってるの? 例えば、立憲主義などは近代国家では当たり前だが、この国では戦後すぐから自衛隊や首相の解散権など解釈改憲が当たり前。
最高裁の違憲立法審査権も事実上、停止させられているので、政府が憲法を守る必要などゼロ。それでも今までの政府は一応、憲法を守るふりをして来たが、安倍はそのふりもやめた。
だから、法律どころか閣議決定での解釈改憲も可能になったし、それを阻止も出来ない。事実上、安倍は憲法を超越した独裁者になった訳で、それはそもそもこの国がとっくに戦前の大日本帝国に戻っていただけの事。
戦後、民主主義や立憲主義という近代国家の衣を纏った筈の王様はとっくに裸だったのだ。
そんな馬鹿な、と思う人もいるかもだが、既に1950年には最高裁で田中耕太郎が抽象的違憲審査権を放棄し、憲法上の違憲立法審査は停止。
以降、違憲かどうかは政府の内閣法制局が判断する訳で三権分立など大嘘。当然、安倍がその内閣法制局長官を自分に都合のいい人間に変更したら何でもやりたい放題
同じ田中耕太郎最高裁長官の統治行為論もそうだが、民主化よりも反共化を優先する米国の政策転換、所謂、「逆コース」によって、
戦後の日本はとっくに全体主義で軍国主義の明治維新から続く前近代国家・大日本帝国に逆戻りしていたのだ。それを政府や与党、リベラルも一緒になって認めて来なかっただけ
ただ、たった一つだけ大日本帝国と違うものがあって、それが憲法。政府が憲法を守る必要は無くなっていても、憲法の条文だけは変わっていないし、そこには民主主義も立憲主義も法治主義も存在する。
だから安倍どもは憲法を変えたいし、憲法を一言一句でもいじれば完全に大日本帝国に戻ってしまうのだ。
安倍どもだけではなく、マスコミも同じだし、私たち国民も自分達がまともな民主主義国や法治国家の国民だと勘違いしているが、
実際は戦前と同じ、国家主義や軍国主義の大日本帝国の国民で、考え方も心性もネトウヨと大同小異。そんな国民が今の憲法を変えて、まともな憲法が作れる筈がないのだ。 中国に似てくるのやつは同じの何回も投稿してなんの意味があるの?
それよりも、手動でやってんの?そういうプログラムがあるの? >>283
>何をもって「型を活かしてる」のか基準が分からん
それこそ個人次第じゃね?
身体能力強化かもしれんし、技の癖を治したいのかもしれんし、身体操作の感覚を養いたいのかもしれんし、
取組方次第の物だからそれこそ、そこに基準なんてないだろ。
お前にやれと強要している訳でもないんだから、個人の取組にどうこう言う筋合いはそれこそないだろ。
お前だって自分の取り組み畑違いの人間たちに好き勝手に言われて、それ聞けるか? 型をやる目的って、型が上手くなりたい以外に無いだろ https://youtu.be/zsCMwNC-k88
30分過ぎの型の分解
拳を掴ませて相手の肘関節を蹴る。。
どこかで、みた気がしますね。
こんな分解。 >>285
そんなん全部個人次第って言えるだろ
言ったもん勝ちなのは宗教だけで充分だ >>288
それ以外に答えようないだろw
お前にやれと強要している訳でもなければ、他と比較しての優劣の話でもない。
個人がどう活かそうがそれは個人の勝手だし、それで実際に効果が出ようが出まいがお前に関係ないだろ。
仮に組手に型は明確な効果がある!と言うレスが仮にもいくつも上がったとしても、どうせやらないだろ?
ならお前に型の効能とか書いた所で関係ないじゃないか。
逆にお前はいま自分が取り組んでいるトレーニング、全て客観的にその効果を説明
できるの? >>289
効果も分からないようなトレーニングばかりして強くなれるわけがない
大会で勝てている選手は、そんな謎の効果にすがっている時間が勿体無いと思ってるだろ >>263
>ちゃんとした先生いなくても一日10回を1年続ければ嫌でもわかるよ。
そのわかってるはずの指導者に就いてた外人女性が山城に修正してもらって別人のように有効なフォームになってたな つまり形骸化してるような型やってちゃ時間の無駄ってことだな
山城んとこが特別優れてるとかじゃなく >>287
これは手を取られた場合
アレは「突き」を取らせて云々
最初の設定が、違うと思います。 1日1万本やったら必殺の突きを体得した!
みたいな漫画のネタを真に受けるのは危険だよね。
いいかげんなフォームで自己流に反復練習を積み重ねると
変な癖が定着しちゃうから。 >>297
人が考えつくことは皆似たり寄ったりになるだけなのか、
それとも形意拳の影響色濃く伝わる流派なのか。。
山城タツオの構え もサンタ意識と似ているような気がしますね
収斂進化というやつでしょうか? >290
んじゃ、実際型やって実績残した例挙げたら納得するの?
しないのに何寝言いってんの?w
寝言は寝てからいいなよ。
>291
ああ、テレビ番組での外国人の女の子だろ?
あれ俺も見たけど本気で「別人のように」変わったと思ってんの?
その指導が本物なら何で日本の型の選手が山城の指導を貰いに行かないんだろうね?
また、その女の子は継続して山城と連絡取り合ってるの?今時はネットとか連絡取り合う手段色々あるよ? 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 全空連の型試合を観たけど、絶叫と顔芸にあきらかに調整が入っていた
コーチもここを見てくれているんだな
いい方向性だと思います >>295
三体式にも派によって異なるみたいです、
ウチも似てる言うたら似てますし・・・
>収斂進化というやつでしょうか?
そうだと思います。 >>276
>そんな人間が、空手の極めは技だと勘違いしてドヤ顔ばりにそう主張するんだろうね。
なるほど
伝統厨は極めは技だと勘違いしてたけど
この前益多に教えられて間違いに気づいたわけかw 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 >>304
沖拳オタはどうしてそんなに伝統派空手を目の敵にしてるんだ? >>304
極めなんて用語、もともと沖縄唐手にはなかったろ。
本土に入ってから付けられた用語だよな。
その定義も例によってあいまいなんだから、どう解釈しようと正しいも間違ってるもないぜ。
古い空手の教本ではたとえば三本組手の三本目で反撃の技を「極め」と呼んでいたりな。
決め技って意味だよ。もともと深い意味なんてない。 >>307
別に極めなんて知ったこっちゃないけどさ
伝統空手オタ的には正解が存在するようだよ
>>139-140だってさ 寸止めの組手競技では突きを入れたら、素早く引手を取って極めを審判にアピールしなきゃいけない。
でも、こういうのはもともとの沖縄唐手にはなかったものだよな。
空手の型は基本的に突きっぱなしだから、突いた拳を素早く引き戻すってなったのは本土で自由組手が盛んになってからじゃないかな。 極めの意識は本来本土の武術の流れだよ。
剣術や古流柔術では、本来寸止めは当たり前に出来る物でしかない。
今でも古流剣術では、寸止めで対人型の練習するだろ。
ま、古流剣術に限らず武器術ではこの寸止めは当たり前の技法だけどね。
沖縄空手にもしも、この寸止めの概念が本当にそもそもないのだとしたらやはり、沖縄空手は武術と言うよりも護身術だったと言う事なんだろ。
発祥が武術なら、寸止は必ず徒手空拳の技でも見られる。 「反日」という言葉はとても便利です。この言葉を濫用する人は、敵味方で世界を単純化しがちなこと、
立場の異なる相手について考える想像力に欠けること、批判精神がなく事大主義に陥りやすいこと、つまり知的な誠実さをおよそ欠いていることが一目でわかるからです。
「反日」を濫用する人はしばしば、日本について批判をする人にその言葉を投げかけ、「日本人なら日本を好きなのは当然」などと言います。それが愚かなのは、
日本を心配してより良くしたいという苦言が存在することを想像できないということももちろんありますが、さらに根本的問題があると考えます。
それは、日本を「好き」「嫌い」という、ごく単純化した感情でしか、対象を捉えられていないということです。
「日本」という、空間的にも時間的にも複雑で多様な存在は、「好き」「嫌い」などという感情で簡単に把握できるような安直な対象ではありません。
「好き」「嫌い」で「日本」を語れ、それで「親日」「反日」に世界を分けられるという、あまりにも単純化した認識は、「日本」という対象をきわめて安直に扱い、その深みを考えていないことを意味します。
つまり、これほど「日本」を軽く扱ってバカにしたことはないのです。
ことに日本に生まれ育つという運命を負わされた人間にとって、「日本」という存在は圧倒的なもので、それをどう捉え向き合うのかは極めて大きな問題です。
巨大な存在に打ちのめされないよう自己を保つのは大変です。「好き」「嫌い」なんて言って済ませられるようなことじゃないんです。
捉えきれないほど巨大な存在である「日本」(他の国でも同じですが)を、「好き」「嫌い」と言える立場と思っていること自体が、むしろ自分を何様だと思っているのか、神様のつもりなのかと、私は不思議でなりません。
そのような言葉遣い自体が、「日本」を実は軽んじている証なのです。
だから、「反日」を濫用する人が大事に思っているのは実は「日本」ではないのです。他人に「反日」と投げつけることで自分たちがエライと思おうとしている、好きなのは自分だけなのです。
自分が好きなこと自体はむしろ大事ですから、どうか他の手段でそれを実現してほしいと思うばかりです。 極めも残心も、本来は引くものではなかった。
文字通り「寸止め」するものだったはずだ。 >>312
極めと引き手からの残心は別物だよ。
残心が悪いとは俺は思わない。
それがあるからこそ、明確な一打の完成度を上げる事に繋がる。
加点式の防具空手の試合はそれはそれで良さも有るが、基本ガチャガチャになる傾向がある。
一打の完成度と言う点では劣る。
その分、体力的な部分の強化や当りの強さは得られ易いが。 >>310
中国拳法には寸止め 無いんじゃないですか? 中国に似てくる日本 中国研究所理事長 杉山文彦
主権在民考えない発言
日本人は中国嫌いだと世上言われている。
事実、内閣府の世論調査では、中国に「親しみを感じない」という回答がここ数年7,8割を占める。
しかし私には最近、日本は日に日に中国に似てくるように思える。
自民党若手議員の勉強会で「沖縄の二つの新聞はつぶさにゃあかん」と気勢が上がる。
「法的安定性は関係ない」との発言が首相補佐官の口から飛び出す。
こういった発言は、共産党が全てを指導し、自由も平等も、また法的公正も、
みな共産党の指導(都合)に沿う範囲でのみ認められるという中国の体制の下でこそふさわしい。
実際、中国では政府に批判的な新聞の編集者が辞めさせられたり、社会活動家や弁護士が法的根拠も不明確なままに拘束されたりする。
日本はどうか。
憲法は主権在民、基本的人権、表現の自由をうたっているから、前述の発言は国民としての基礎的教養を欠き、ルールを無視しているということになる。
ところが、くだんの言は、選挙で選ばれた議員やその周囲に集う者の言葉である。
こうなると国民のかなりの部分が、主権在民や人権尊重を理解せずに物事を判断し、憲法に基づくルールとは違った心情で生活していることになる。
どうしてこんなことになってしまったのか。
長らく教職にあった私としてはやはり教育の問題を考えざるを得ない。
子供が自我を形成し大人になってゆくことは、それまでなんとなく従っていた周囲の状況を自分の目でとらえ直して自分なりの社会のイメージを形成し、
それに働きかけるようになることである。
いや、人権だの自我だのと面倒なことを言わずとも「美しい日本」の伝統によれば良いと考える人も多いだろう。
しかし、それではうまくいかぬことは、第2次大戦の悲劇が示している。
それでもという「美しい日本」派の人は、ぜひとも自民党の「憲法改正草案」と「中華人民共和国憲法」を熟読していただきたい。
両者はよく似ている。
どちらも権力の暴走から国民を守るためではなく、権力によって国民を動員するためのものである点で基本的性格を共にしているからだ。 >>315
中国武術でも古い型を残している門派は対人で寸止めでの型があるよ。
中国武術も例に漏れず平和な時代で改変されていたり、実は近代で作りかえられている門派も結構あるからね。
そこにボクシングなどの格闘技の影響も若干ある。
ま、掌底での攻防が多くんとしたのが近代の中国武術だから寸止め自体、あまり必要ではなくなっているけどね。 ま、その辺りの詳しい話はこのスレの型アンチをやっている中国拳法、古流オタの方が余程詳しいんじゃない? ,,-―--、
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|::::::::::( 」 < 大日本帝国の戦争は正しい戦争、大東亜聖戦!!
ノノノ ヽ_l \ 東南アジアを解放したから、日本は感謝されてる!!!
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ブルネイ「今の日本は尊敬してるけど解放したなんて言い分は受け入れられないよ」
東ティモール「もうしねよ」 >>317
中国武術に限らず約束組手の類は普通寸止めでやるものだよ。
マジ当てするところなんてあるのかね?
空手が特殊なのは寸止めを極めだのと無理やり変な理屈をデッチ上げてる点だね。 >>320
今となっては良い判断だったと思うよ。
格闘技にも応用出来る人間を何人も輩出しているし、多くの競技者を確保して結果東京オリンピックと言う檜舞台にもでられる。
最上の競技ルールではないが、ベターなの競技ルールの一つだと思うよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています