そして、宗家しか行えない流祖祭を勝手に執り行った話ですが
これこそまさに備中伝側の無知が引き起こした事例と思われます
京都聴風館の屋外にある道場(山の道場?)では、流祖を偲んで演武を奉納するだけでなく
桜の季節に日ごろの成果を披露したり、芸術家の方を呼んで演奏会が催されたりもしたようです
(この辺りはちょっと記録があいまいですが)

流祖祭を宗家以外がその名称を使い執り行うことの意味
それを知らなかったのでしょう
また、ネット上で宗家以外のところから行っていると見られるような描写を発見した
それもまた、聴風館での行動につながったのかもしれません