そもそも備中伝内で、宗家相伝家を蔑ろにするような発言が横行していたかというと
一部の人は発言していたのでしょう
しかし、全部である、または備中伝という流派がこぞって宗家相伝家を軽んじていたかというと
有り得ないそうです
備中伝で稽古していた人の大半は、自らが分派分流であることの自覚はあったはずですし
そうであるように上層部から指導されていたそうです
宗家相伝家を他流の道場と捉え、訪問するのに許可が必要
それと同様に上下関係を感じさせるような流派内部での統制が存在していたようです