手元資料で不明確なのは

1.先代藤十郎先生と京都の館長がどうやって知り合えたか
2.先代藤十郎先生は家族関係的に良好であったか?

2については、故人のプライバシーもあるので追及したくはない
京都館長の単なる大法螺にも思えるが、先代中山師範にも相伝家の情報が流れた
ことを考えるに、何らかの交流はあったのだろうと思わせる
知ってる人間は知っているのだろうけど、ここには出てこんだろうな