【拳聖】再考・拳道会&中村日出夫【空手十段】
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15:40〜くらいね
どんな攻撃にもビクともしない八巻さんに対してブレまくりの玄選手
ゆとりが違うな
防戦一方で八巻さんの横綱相撲って感じ
判定5-0だし
でも全日本で3回戦まで勝ち上がったのは凄いね 3回戦まで来たし八巻に倒されなかったから極真の大会に出場する資格のあるタフネスさはあったと しかしだよ
極真の大会の三回戦まで上がってくる選手を輩出してるからリアルに鍛えてる団体だし中村先生のことは漠然とすごい人だとは思うけど
例の手刀で人の首を叩いたらやっぱ首の骨折れて耳の下を打ったらきれいに昏倒しちゃうんだよね
力道山に教えた空手チョップはたしかに木村先生を沈めたけど だから教えてないって
写真は別の空手家だしあれは空手チョップを教えてる場面ではない ほえー
木村政彦は力道山をなんで殺さんかったんやに書いてたように思うけど違うんか 私の拳足は時速800kmですっ!(勿論イメージの話ですっ!!!) 力道山に教えてる写真が他人のもので、身長が明らかに違うのを、背が縮んだと言い訳してるのを知って色々信用できんなと思った
拳速が1200キロもどう考えてもおかしいしな
ソニックブームとか起きねーのかよ 民弥流居合の黒田泰治は
突然襲い掛かられた犬を
居合で首を落としたそうです。
若い頃(全盛期)の大山倍達は
街を歩くと犬が逃げたと云います。
大東流の武田惣角は
街中で見掛けた犬を
襲い掛からす間も
逃がす間も無く
仕込み杖で刺し殺したと云います。
中村先生は
街を歩くと
猫が「押忍!」と
挨拶してきたそうです。
直心影流の男谷精一郎は
街を歩くと
犬が慕ってゾロゾロついてきたそうです。
流石は「君子の剣」
試合を申し込んできた相手に
必ず最初の一本をとらせていた人格が
人々に讃えられ
いつしかそう称ばれるようになった人。
中村先生の云う「名人」は
こういう人を指してたのかも知れませんね。 武道は
最終的に
闘いを生まない道なのかも知れません。
古代中国
宋の国に墨子という学者がいました。
知と人間性が慕われ
宋だけじゃなく他国にも大勢の弟子がいた。
ある時
楚の国が宋を攻め滅ぼそうとしているのを知り
墨子は楚の王に会いに行きました。
もし宋を攻めるなら
私が兵法も授けた国の弟子たちが
楚を必ずや返り討ちにしますぞ。
楚の軍師とシミュレーションをおこなったら
勝てないのが判った楚の王は墨子に感服
宋を攻めないのを誓ったそうです。
宋をひそかに救った歴史的偉業の帰り
宋の城門に差し掛かったとき雨が降りだし
雨宿りをする墨子を見て
城兵はなんだこの汚いじいさん
出てった出てったと追い出しました。
寂しそうに去る墨子は以後行方が知れず。
雨はしょうしょうと降っていた。 或る時、大山総裁が居る場で中村先生の話題が出た
「さあ〜 その先生はもう死んだと聞いてるけどね〜」と大山総裁
勿論、その時中村先生はまだ御存命で活躍されていた(盧山初男談) 空手に那覇手、首里手、泊手という分類があるとすれば
拳道会の型ってどの類に属するんだ?
聞くところによると中村総師によるオリジナルの型らしいけど
ちゃんとした空手を習ったならベースとなった
流儀が存在するはずだよな 拳道会のスレは立てるたびにボロが出てボロクソに叩かれてるけど性懲りもなくスレ立てを繰り返してる。
嘘を百回言えば本当になると信じて実践し続ける朝鮮人の精神の現れかもしれないけど。 >>793
前田日明が総本部訪問した時も中村氏の事を聞いたら
「あの先生はガンで死んだんじゃなかったのかね」
大山は義理深い人で学生時代下宿してた食堂に生涯年賀状送ってくるような
人だったらしいが中村氏との付き合いは全くなかったなんだろうな 中村忠の著では亡くなった支部長の香典代を出すの出さないのと
ケチくさい話をしながら結局葬式にも行かなかったとか書かれてたが >>797
中村先生が山梨県で空手大会を開いたときには大山倍達も招待されたはずだから全く付き合いが無かった訳ではないだろうが、中村先生はヤクザが大嫌いだったそうだからヤクザと交際する倍達を低く見ていたんだろう
馬鹿にされてた悔しさで咽頭癌の話と絡めて死んだと思い込んでいたパフォーマンスをしたんだろうや 中村先生の尊敬出来るのは
他流批判をした事がない。
上原先生もそういう印象。
そんなお二人だから
99歳
100歳まで
長生きしたのかな ( ’ 。 ’) 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか
の中でマスは中村さんが主催した演武会で下手くそな型を披露して閉口させたみたいな文があった
空手チョップは教えてないとこのスレで言われたが、リキは中村さんを兄貴分みたいにして頼りにしてた意の文もあったな
マスと中村さんが交流なかったのはもし立ち会うという話になったり、どっちの団体が上かという話になればどちらも無傷ではいられないという空気だったからかな
それにマスだって団体や流派の長とは仲良くやってたしな
剛柔で8段か9段もらってんだから
そして玄満は全日本出たし松井も何度か中村さんを訪問して説教されてるし特に険悪というわけではないだろう
その先生は死んだんじゃない?というのは人違いか、人違いしたフリしてとぼけたんだろう >>802
マスは韓国民団側で同胞ヤクザと民族運動
方や中村先生は全国の朝鮮学校の空手部である拳道院の初代院長で朝鮮総連大幹部だもんな
べったり付き合えないのも分かる 板垣恵介のインタビューでは先の大戦をベースにして国を護ることが拳に力を与えるとか
愛国党みたいなこと言ってたのに総連幹部だったのかよ >>806
日本を護るとは言ってないんじゃないの?
凄い人だと信じてたが、いろいろ捲れてくるとどうもね >>806
哲学的な発言や富国強兵的な発言をたまにみるけど、教授を受けた日本武徳会武道専門学校の教えかもよ
エリート軍人の要請機関だからな 中村先生が生まれたのは大日本帝国朝鮮
10代半ばの頃から京都で英才教育を受けてただろう
20代の時に日本が敗戦で分裂して、国の都合で出生地域の北部分類で北朝鮮籍にされたんだろ
別に共産主義者だった訳じゃあない
珍しい高学歴な事から在日朝鮮総連でも武道教育を通じて故郷出身の人達に貢献してただけ 本業は建設業で職業職員じゃあないしね
役人じゃなくて民間出身の委員みたいなもんだね 拉致日出夫は実績積んだから祖国から勲章もらってたな マスはパワーの空手でどう見ても強かっただろう
瓶切りも石割りも早々にやり方を本に書いた
中村さんは非常に胡散臭い 中村先生の云う「名人」
これって誰なんだろうと
ずっと考えてて
調べたら
ひょっとしたらという人物に
行き当たりました。
中村先生が教官を務めた(と云われる)
陸軍中野学校
その隣に
陸軍憲兵学校てのが建ってたそうです。
そこの教官に
ひとり凄腕がいたらしく
近衛文麿のボディガードを務めたという噂で
廊下の刺客を室内から
ドアをぶち抜いて斃したんだとか。
その人が真空斬りが出来たんだそうです。
中村先生でさえ
物を斬るのは当然触れますが
その人は音速に達していて
ソニックブームで触れずに斬ってしまえたと。
・・・・現象の真偽はともかく
少なくともそういう噂のある人物が
立地的に
中村先生のかなり近い場所にいたのは確かで
発言の真意を読み解く手がかりになるかも。 京大法卒も卒業生名簿見ないとわからないね。
今は個人情報は調べられない。
何で建設会社やってたのか意味がわからない。
あの時代で帝大法卒なら弁護士、官庁勤め、大企業勤めが普通でしょう。
京都帝大卒ならかなりのエリートになります。
本当に京大卒なのかな?というのが日本人の判断でしょう。 >>823
医師免許持ってないのに開業医なんて人もいた世代だから 学業優秀でも
択ぶ人生は自由ですよ。
たとえばこの人
東京学芸大付属
全国に知られた進学校で
学業上位
ミス学芸大附3位にもなったけど
今はボクシング日本チャンピオン
ついでにラーメン屋を地区1位にしました。
https://www.zakzak.co.jp/images/news/190207/spo1902070004-p2.jpg
この学校ならこの職に就く筈だなんてのは
固定観念です。 京大出ていて土建屋などやらないと思いますが…。
マス大山の早大卒、拓大卒という本当に
入学していたのか卒業したのかわからないのと同じような発表じゃないですかね。 マスは日本軍の特攻隊員ではなく、山梨の韮崎航空隊の予備学生、防空壕掘りの作業員です。
在日は経歴詐称ばかりで信用出来ない。 大学卒業の時期が戦争末期と戦後の混乱期と被るでしょ
しばらくして日本国籍失ったんでしょ そこの教官に
ひとり凄腕がいたらしく
近衛文麿のボディガードを務めたという噂で
廊下の刺客を室内から
ドアをぶち抜いて斃したんだとか。
>その人が真空斬りが出来たんだそうです。
中村先生でさえ
物を斬るのは当然触れますが
その人は音速に達していて
ソニックブームで触れずに斬ってしまえたと。
↑こんなの信じるなんてうらやましいわ マスは拓大だったのを夫人から出会ったとき
「早稲田じゃないんですね」と言われて早大に入学したと聞きましたわ
が、没後色んな人が調べて、早大に入学は事実、その後木村政彦を尊敬し
拓大へ。。という流れだったと言われますが、拓大に在籍した形跡がなかったと
(早大はあったそうです)多分、早大入学は本当、その後マスの事ですから
勝手に拓大で入学はせず出入りして稽古してたんじゃないでしょうか
早大は中退したものと思われます。 それね、戦前はエスカレーター方式で
入試なしに旧制の付属中学?からすんなり入学できたのらしい
あと、戦後は海軍にいた人とかは優遇されて入学出来たらしから
山梨少年航空兵学校にいたマスはおそらく楽に入学出来たんじゃないのかな ビートたけしの兄二人も大卒で大企業の役員と大学教授なのに、それより年上の大卒が建設作業員のまとめ役親分みたいなことをするのがおかしい。
常識で考えておかしいことを鵜呑みにしたりしては武道関係は馬鹿だと思われますよ。 大体、天皇陛下の写真を印刷したトイレットペーパーが売られていてそれでケツを拭いて日本に復讐していると喜んでいる国民、民族の言うことを信用出来るのか。
空手とは関係ないですが。
やってはいけないことを平気でやっている。 『京都帝国大学一覧』という
年毎の在学生
卒業生の載った本が
国会図書館のデジタルコレクションになってて
ネットで閲覧出来ます。
中村先生の入学した(と云われる)
昭和八年版から
卒業した(と云われる)
昭和十二版まで
各年度を総浚いしてみました。
「姜昌秀」
「中村日出夫」
この名前を探したのですが
載ってませんでした。
・・・・じゃあ
在学してなかったのでしょうか?
そう決めつけるのは早計です。
丁寧に推理してきましょう。 気になったのは
昭和11年版から12年版にかけ
中国
朝鮮の学生が
なんと六人も消えてた事でした。
≪土木工学科≫
<選科生>
馬 鐘昇 朝鮮 1934年入学
<外国学生>
易 麒 中華 1934年入学
劉 盛全 中華 1936年入学
≪機械工学科≫
<選科生>
郭 龍國 朝鮮 1936年入学
<外国学生>
徐 蔭椿 中華 1936年入学
<委託生>
李 樹森 満州 1935年入学
この六人。
他の年にこういうのは無く
やや異例の事態のようです。
36年から37年に
何があったのでしょう? 土木
機械以外に
昭和11年版に名前があって
昭和12年版に消えていた名前が
法学部にもありました。
≪法学部≫
<外国学生>
姜 秀辛 中華 1936年入学
この名前
若干怪しくないでしょうか・・・・
「姜 昌秀」と一文字ちがい。
もしか
これが中村先生なのでは (´・ω・`)
・・・・ただ
一文字とは云え
名前がちがうって事実は
完全には無視出来ません。
国もちがいます。
矢張り別人なのでしょうか? ここで浮上するのは
中村先生が特務機関の関係者だった事です。
特務機関の関係者は
戦後
名前を変えたり
誰一人おもてに出てきてない
という話もあります。
(唯一の例外が
南方の島に独り三十年潜伏し
陸軍中野学校の出なのが世間に割れた
小野田寛郎さんというかただそうです)
ひょっとして中村先生は
戦後本名を名乗っていない・・・・?
そう云えば『柔道年鑑』
昭和11年版も
中村日出「男」と
一文字ちがいになってましたね。
朝鮮(中国?)名
日本名
どっちも一文字
戦後変えたのかも知れません。 姜 秀辛。
一斉に消えた土木
機械の
朝鮮
中華六人。
想像をたくましくすれば
ひとつのストーリーが組み上がります。
ある法学部の学生が
土木
機械の同胞を引き連れ
大量離脱
建設会社を起業した。
1937年京大卒業は
実は中退だった事になるものの
1937年中村建設起業は
ちょうど年度が一致する。
・・・・いかがでしょう?
中村先生の経歴に関し
これまでで一番
肉薄出来たんじゃないでしょうか。 特務機関だの、中野学校や
京大卒が山梨にこもって建設会社やりながら
垂木叩いてる訳ないだろ
俺の知り合いの父親は中野学校卒だったと亡くなる前にボソボソ話したらしいが
戦後、県の機関で優遇されて年金もがっぽり貰ってるような人だった
今よりもずっとコネと縁の社会の昔、そんな凄い経歴の人が山梨で小さい会社やるとかあり得んよ >>839
背のりっていう方法で日本人になりすましてるのかも? >>836
軽くデジタルコンテンツで見てみたけど、休学、退学、除籍の項があるからそこに載ってるんじゃないかな >>842
建設会社なんて素人の商売じゃないから京大出のインテリが
起業するというのはかなり変
常識的に考えればその年まで土方やってたか親か親族の家業を
継いだんだろう
しかし最初からそのつもりであれば京大法学部は出ない
>>844
卒業したことになってるからそれはないんじゃないの >>844
建設的な助言
ありがとうございます。
建設会社だけに (゚∀゚)
更に幅広い年度にも
調査の手を広げてみますね。
・・・・名簿を眺めて思うのは
中華
朝鮮のかたが
想像以上に多かったんだなと。
日本人でも
京都大学なんて入れない人のほうが多いのに
(私などその最たる例ですね)
こんなにも多く
外国籍のかたが入ってた。
どの人種にも優秀な人はいる
当たり前の事実を
改めて実感しました。
他国の人々に
今回の調査で
敬意が深まった想いです。 そうだな、日本人が多いから俺も卒業してるかもしれない
漢字一文字違い(順序違いもOK!)なら当選確実 名ばかり社長なら土木の仕事を土工に教えられません。
建築学科卒ならわかるが法卒で土木の
専門家で起業というのはないでしょう。
法学部卒で土木の設計と工事をどうやってやるのかw。
前例があるのか前例が。
いい加減な話もいい加減にしろ。 昔はサッチーのコロンビア大卒みたいに
皆適当な事言ってたよな 今でさえも小池百合子のカイロ大主席卒なんてのもあるしな 大山さんの場合根も葉もないホラはなくて
ああそういう事ね、ってことが多い
ニコラスペタスも吉田豪もそう言ってる
文字どおり拳でのし上がったらんだから漫画の影響でも、それはそれでいいや
けど、中村さんは在日で、山梨で土方業しながら
空手名人になりました、だけで満足しないのか
京大卒だの、力道山に教えただの、武徳会だの
この方は闇が深すぎる
だから、垂木切りも全く信用しないよ
けど、今現在ネットでもブログなんかでけっこう評価されてるの見るとなんだかなあと思うね
咽頭ガン、焼いて治せないからね お前の信用の価値なんかゼロ円だろ草
有り余る暇にものを言わせてくだらない下種の勘繰りをグダグダ繰り返すより
一科目でも京大に合格できる学力を付けた方が有意義じゃね? >>846
自分も中村先生が陸軍中野に関わっていた話は聞いた事がある
京大卒かつ武専卒で武専では教える側にもな
ったエリートを軍が放っておく訳がないよな
日中戦争開戦と中村先生が京大を卒業する年が重なる事から、中国政府へ潜入して中国政府転覆の任務とかかなり危険で非人道的な作戦を任されそうになって、軍エリートの道を全て投げたんじゃないかなって思った
民族優勢思想があった時代に純日本人ではない事から京都大だろうが、偏見や差別、妬みがあったかもしれないしな
今見たく転職が楽で理解がある時代じゃないだろうし、軍国主義下で軍隊を途中放棄するって楽な道じゃあないだろうし
まぁ完全に想像だけど >>853
日中戦争の開戦と
中村先生の卒業した(と云われる)年
なるほど
云われてみれば同じですね Σ(・ω・ )
私
ボンクラで
今の今まで気がつきませんでした。
こういう
一致
共通
重なるのを
鋭く見出し
時に真実を掘り当てるのが
あるべき客観
科学的とも云える姿勢なのでしょうね。
京大を卒業
あるいは去ったのと
様々な特務は
何か関係があったのかも知れません。 >>836
戦前戦中は本来ならエリートのはずが、戦争と軍に翻弄されて
戦後は北朝鮮対日工作に協力させる土台人として北朝鮮に経歴や人脈を利用されて数奇な人生でしたね
戦争が無かったら武道の指導者かつ、日本軍幹部か日本領朝鮮地区の指導者のはず >>836
自分も在籍したであろう昭和8年〜昭和12年辺りを見たけど、見つからなかったな
法学部生徒のページしか見てないけど >>857
云われてみれば
どちらの国にも
利用
翻弄されたカタチになりますね。
仰る通り数奇です・・・・
また
改めて見習いたいと思いました。
それに関し一言も不満を述べなかった
高潔な精神を。 中村先生の強い心が培われたのは
生まれ故郷で暮らされていた頃
仕事中ケガをし働けなくなったお父君に代わり
今で云う小二のトシから働いて
ご家族を養われていたからなのかも。
現状を嘆かず
苦しみに耐える精神。
思うにご尊父のお仕事は
働けなくなるほどのケガを負う
という性質上
建設関係だったのでしょうね。
日本へ渡るまでの六年間
そのお仕事で家族の大黒柱を務めたんですから
技術その他
熟知していたでしょう。
日本に来て十年で起業出来たのも
並大抵じゃない経験がベースにあったから?
早くに起業したのも
故郷へのご送金のためでもあったかと。 中国政府の役人を暗殺して背乗り(すり替わって)して中国政府内に潜入
語学力と中国政府役人の立場を利用して中国政府内を撹乱させて日本軍に加勢するとかさすがに危険過ぎるわな
よく生きて帰って来られましたね先生
晩年までメディアに出たがらなかったのも特集機関に居たからですよね
いくら戦時中とはいえ、リアル007だもんな >>861
な
なんか
リークっぽい話が (;・∀・)
こんなの
表に絶対出た時ないでしょうから
>>861さま
中の人?
私は本とネットの話だけ
ショボイ情報しか書けません。
それだけに
関係者の話は有難いです。 中国人に成りすますのは
言葉がネイティブじゃないと
難しいと思います。
て事は
中村先生は少小時
中国に暮らされていた事が・・・・?
朝鮮から日本に渡る前
もしかそういう時期があり
その時
中国籍も取得した・・・・?
姜 秀辛。
この名前が
矢張り中村先生の正体なのでしょうか・・・・ >>864
中の人では無いですが、中村先生と行動を共にされていた極近い方から自分は戦中に特務機関に籍があり日中戦争で活動していたなど上に書いた内容と同じ話を聞きました
先生と同年代の方だったので武専関係の方か中野学校関係の元日本軍関係の方だったと思いますが中村先生が同様の活動に関わってたかは不明です
個人的には大学在籍中〜終戦、山梨へ移住するあたりまでの情報が無い空白期間は日本軍の特務機関として中国大陸で軍の工作活動していたのでは無いかと考えています
仮に大学構内での講義を受けていなくても軍の指令による国家への功労で大学卒業の資格が与えられたのではないでしょうか
話は変わりますが学徒出陣で戦死した学徒へ死後、大学卒業証書が贈られた話を聞いた事があります
そうなら戦争を知らない現代人が「大学卒業してないだろ」「経歴詐称」とか喚くのは極めて失礼な話ですね
軍国主義と戦争に人生を振り回された方な訳ですから
戦争か無ければ京大卒で武道にも長けたエリートとして軍や政府の幹部などの高級官僚になっていたでしょう 戦死した学徒に卒業証書が送られたことと中村の経歴に何の因果関係があるのか
どんな理由であれ入学しない者に卒業資格など与えられる訳ないだろう
無関係なことを無理やり繋げてデタラメをほざかないように >>867
目上の人の陰口叩くヤツほど内部関係者かもな
北朝鮮系のヤツはコソコソ人の足元ばかり見てるから いい年こいてヒーローごっこに憧れてるんだろうね
1200キロの拳を素直に信じちゃうメンタリティだから >>866
歴史の生き証人に
お話が聞けたんですね。
羨ましい限りです。
特務機関だったかたに
お話の伺えたかたなんて
永き中村先生のスレ史上
初めてじゃないでしょうか。
学徒出陣で散られたかたに
卒業証書が贈られた話も
初めて知りました。
特務機関
散った出陣学徒への学位授与
それら戦時中の様相は
今の私たちが
想像もつかないものですね・・・・
だからこそ
余程の考えなくして
現代の基準や傾向を昔日に
それも否定が目的で当てはめるのは
慎まないといけないのでしょう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています