>>250

そもそも破門一派というのも何を言っているのか分からないが、俺は何処にも属さず一人で鍛錬、研究を継続していたのだよ。
そして、20数年が過ぎた頃、盛岡近郊の紫波町陣ヶ岡にある蜂神社に参拝の折り、
前九年の役、後三年の役で八幡太郎源義家が宿営し造営したと伝わる日の輪、月の輪、八門遁甲陣堀跡を眺める内に、
図形の様なものを感得して、はたと閃き合気之術の極意を会得したのだよ。
図形の様なものとは、陰陽八卦、つまりは森羅万象を表すシンボルだよ。
合気之極意を感得しただけでは、合気之術が出来るようになるわけではないが、
それまでにずっと大東流合気柔術の基本や鍛錬を継続してきたからこそ出来る様になったのさ。

合気之術は佐川幸義先生にしか出来ないとか、木村達雄さんにしか出来ないという考えに囚われていたら出来る様にならなかっただろう。
奥州市の金山さんは、そう考えて諦めたそうだね。