少林寺拳法総合スレ 13 [無断転載禁止]©2ch.net
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前スレ http://mao.2ch.net/test/read.cgi/budou/1493984011/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>456
現代の戦争なんて情報戦みたいなもんだよ
警察は法律で取り締まる側だ >>458
正直言うと新興武道の一つで歴史も浅く一代で終わった感のある武道だとは思う
極真、芦原、そして少林寺
70〜80年代の一時に隆盛した武道で2代目で下降した感は拭えない
伝統日本武道をやるなら沖縄空手や合気道の方がいいかもしれないな
少林寺は宗教法人だから無くならないだろうけど
他はこの先どうなるんだろうね 元少林寺だけど、技術書見ると、昔の技術と違うね。
あんなんで格闘技で鍛えた人相手に無理だろって風に見える。
相手が空気よんで投げられてる感。
まあ、実際にはそんなつもりないんだろうけど。なんというか、
戦いで勝つというより、術理優先という感じ。
強くなることよりも、彼らの思う少林寺らしい技ができていればオーケーみたいな。 >>461
これも時代の流れだよ
格闘技だってはっきりいってスポーツだ
陸上やバスケと変わらん
フィジカルを鍛えてルールを極めてそこで勝敗を競い合う
サッカーや野球と同じなの
昔ながらの武としての術なんて時代錯誤もいいとこ
でも上でも述べられてるが書道、華道などの伝統的な文化としての価値はとても貴重
今時文章なんてPCで打ち込んでプリントアウトする時代に墨汁を使って筆で字を書くなんて
古臭い!と一蹴するのはお門違いだよね >>461
大体あなたの人生において今後も日常生活でちょっとイザコザが起きて
相手を打撃で崩して組み伏せて逆十字を取ってタップさせたという行為が起きる可能性は
かなり低いと思うよ
自信や勇気や強靭な肉体や精神力を養うのは別に武道や格闘技でなくても養えるし
むしろ仕事や何か重大な責任を負わされて大きなプレッシャーの中それを成し遂げた経験の方がよっぽど自信や集中力や
計画力などなど養えるし良い経験になることの方が多いよ
ジムや道場で強い強いと褒められのも気分がいいが
でも仕事場ではいつもミスばっかで怒られて、物覚えが悪く段取りも悪い
何かを任されてもそれに応えられる能力がない
それでは困るよね
ずっと悩む人生を歩むことになる
武道が好きなら武道の練習を通じてそれらを養う意識で練習すれば
現代風の価値観が芽生えると個人的には思う
まぁ若い人や脳筋には理解されにくい考えだと思うけどさ
人生トータルの視野でみて考えてるか単なる趣味としてやってるか
中二病全開で妄想に浸るか 横入り失礼。
その気にれば、・・・・って実力があるから生活でも押して忍んだり、言うべきことは、きちんと言える自己確立が出来るように思うけど。
また、「こんな技効くんかい?」という半端な技半信半疑で練習するより、目的に合致した最善の技を合理的に鍛錬することにより、勘違いでない自信がつき、仕事も最善のものを、クライアントに提供出来ると思うのだが。 ウエイトトレーニングでも、やり方で、効果が全然違う。一時間後で、一般的人の二次感染効果が得られるし、ランなしでスタミナもついたり出来る。
余った時間を仕事に使える。
これは、闘技にも言える。
いまの、少林寺の練習で他並みに強くなろうとしたら、ロスが多い。
まず、演武は無駄。護身術に、見せる要素など不純。 先生に演武見て直して貰うより、実際にサンドバック叩いたり、人体叩いたり、状況組み手で検証したほうが、必ず使える。 >>464
それはそれで正しいと思いますよ
こういうと否定する意見と思われそうだけど目的をどこに置くかだよね
こんな技が効くんかい?と思うことはそれは喧嘩で相手をブチのめす状況を想定(妄想)しての話だと思うけど
それとは別に技が上手く(使いこなせる)課程
一つ一つ上達していく課程
それが自信に繋がるという事もあるという話で
上手くなるにはただ反復練習を繰り返すだけでは駄目で
やはり思考に基づいたものが必要になる
その思考する力は実生活でも役に立つ大きな力になる可能性があるという風に考えてる
貴方のいう考えというのは「その気になれば・・・」というのは
いつでもお前なんかブチのめせるというものであって
それって自信といえるのかどうか
会社で重役に就き大きなプロジェクトを任された時など
そういう時にその殴り合いになったら負けねぇという自信がそういう場でも大きく発揮できるなら
それはそれで正解なんだろうけど
私の場合はそれは相手を見下したある種驕りというか
なんか上手く言えないけど
そんなのは相手にもすぐに伝わるし足元をみられるよ
まぁ小難しいことを抜きにすればスポーツではない武道の場合
もし価値を見出すとしたらそういうものしかないのかもしれないね 厳しい練習を通じて得た自信が
実生活で相手にはっきり物を言ったりできるのは
別に武道も格闘技もサッカーも資格試験合格でも何でも変わらない
(社会の場合はビジネスやその他で自分の意見をしっかりと相手に伝える
その場合もちゃんと要点をきちんと伝えられる情報を整理するなどそういうものも必要だよね)
それは気が弱い強いは関係ない
情報を収集する、情報を整理する管理する、計画を立てる、実行する、検証する、フィードバックする
そういうのはスポーツもビジネスも勉強も、言語学習など習い事も全てに共通することだよ
そういう力を養うことはもっと大事だと思うよね
これらは私の師匠が終始一貫して言われていたことで受け売りなんだけど
この歳になって骨身にしみてるという感じで
これが理解できない人には全くのスレチの話に見えるだろうけど・・・
ただの拳法バカになるなとよく言ってた もうね、そんなマイナス思考やめようよ。
実戦とか護身の研究も頑張ろう、仕事も頑張ろう、家庭もがんばろうでいいじゃないの?
その時間配分が人によって違うだけで。
>>464にしても武道に人生を捧げろとは言ってないでしょ。
なんかね、もう、少林寺は強くなってはいけない、強くなってはいけない屁理屈考えて
いるみたな人生は寂しいよ。
因みに自分は、結構勉強が必要な客商売で、6時に終わる事なんてまずないし、夜や休日
の勉強会がある中で、外から見て、たぶん50歳とは信じられないような練習している。ただし、短時間な。
ヘビーデューティという方法と今ブレイク仕掛けているクロスフィットを組み合わせた
ようなトレーニングね。50過ぎても筋力や敏捷性はあがるよ。
まあ、オリンピック選手みたいに若いときガンガンやってないからだろうけどね。
でもね、短時間でも効率のいいコツコツを30年継続したら、最終的に同じ年齢の
元プロ選手にひけをとらないフィジカルになるもんだ。
元プロなんか燃え尽きたり、故障で体が動かなくなるからね。そういう意味で、
人生は公平だ。クラスで体育がビリから何番の人間が、今では、自分より筋肉の
ある同級生いなくなったから。
60過ぎてもベンチ間違いなく100(ごく浅なら今160上がる)上がるだろうし、
今でもスクワットごく浅だけど200やれるらね。これが継続と研究のちから。
才能とか練習時間は30年の効果的やり方の継続にはかなわない。
これは、技にも言える、完成と思った技でも意識高く持てばそのうち改良できる。
もう、マイナス思考はやめようじゃないか。 そんな自分でも、職場の人にはちゃんと政治とかについて教えてとか言われて教えているよ。
思想の方向性は違うけど池上彰とか軍事評論家とか言われている。w
子役もそうだけど、時間を上手に使えばなんでもできるんだよ。
今の子役とか凄いね。
子役で自分の食い扶持稼ぎながら、スケートしつつも、学業はそれなりにできるとか。
ほんと、自分の子供より小さいのに頭が下がる。
それに比べたら、拳法と仕事の掛け持ちなんてw。 コツは、隙間時間な。
家にパンチングボールや大ハンマーやら可変重量ダンベルとか
置いて、勉強会等でジムや道場行けない日とかやっている。
車庫の柱や梁が頑丈なので、手のひらでたたいたり、サンドバッグ吊っている。
45分勉強したら10分基本して5分休憩みたいにすれば時間が有効に使えて
集中力もつく。
寝る前にヨガしたら、睡眠時間も短くできた。 >>470
たぶん話の根幹を理解してない
でも子供のように純粋でいいと思う >>475
現代の武道の価値観についての話題になってるときに
それをマイナス思考と捉えて
そんな細かいことなんて俺には分からん
喧嘩に強くなる様に練習をすればいいじゃん
勉強も仕事も一生懸命やればいいじゃん
と言ってシラーとなってる
いいんじゃない?間違えてないよw ただの拳法バカにもなれてなくて、現代の武術だとか時代錯誤だとからとか、一生懸命やることがカッコ悪いと、やらないことの言い訳をつらつら言ってる感じ 子供習い事程度のものに、ムキになってもしゃーない。 K-1すら見たことないってやつがやってるんやから。
なんで武道やっとんねん コース制するなら皆がやりたいと思えるコース作らないとあかんわ。
普通の人はダイエットしたいなら、少林寺行かずにスポーツジム行きますって。
最低でも例えば乱捕りコース、演武コース、護身術コース、みたいのが必須
。
まあ指導者が足りないのは分かるが、
運動不足解消の老人と、
強くなりたい若人が同じ場でやることに、
とっくに限界がきている >>482
正直いうと貴方のいう通りかな
少林寺だけに限らず格闘技や武道で喧嘩に強くなりたいというのは
オートバイやコンピュータゲーム、スポーツカー等など子供や青年の頃の気持ちがいつまでも変わってない大人の遊戯なんだよね
童心を忘れないという意味では素晴らしいと思うよ
ただ大人になるとやはり子供の頃とは価値観が変わる
その変わった人と変わらない人では意見や受け取り方、考え方、価値観が変わっても仕方ない
それをネガティブと捉えるのにはちょっと微笑ましく思えたw
俺もまだ10代の若々しい青年なら超同意なんだけどね
でもまぁ何が正解かはどうでもいいよw
ここで言い合ってても結局豊かさを求めるために生きてるんだから 大人
大人の外交という言葉にも使われるように、屈服、我関せず、棚上げ、逃げる時の方便に用いられる >>476
守法、寝技でも使える。
マウントされての羅漢拳とかも出来る。
個人が工夫すれば。
まあ、いまの指導者にみせたら、少林寺はそういうものじゃ無い、大人になれとか言われるのかな?
足関節にたいしても、足の鈎手守法、足の三角守法とか考えられる。
合気じゅうじゅつには足の合気投げとかある。 個人の工夫を、「まだ守の段階とか、高段者になってないのに早い」とか、否定するのがいまの指導者。
そして、時代遅れになって若者から見捨てられ、老人子供の武道になる。
会社も組織も、頭の柔らかい盛年の工夫をないがしろにしてはいけない。
そういう会社や組織は落ちていく。
おれおもうに、少林寺で工夫するやつほど、実は仕事が出来る。
壊れたテープレコーダーみたいに同じ事の繰り返しの連中は、少林寺も弱く、仕事も出来ないのでは無いかな? >>489
少林寺の技を身に付けたい上達したい上手くなりたくて
試行錯誤して練習をしていくその思考する力や実際に実施し行動を起こし
トライ&エラーを繰り返す
そして結果を自分なりに確認してまた次に繋げる
それは実生活でも大いに力を発揮できると言ったが
貴方が言ってることと全く同じだよ
喧嘩がどうの何がどうのを目標に努力するのもいいが
そのモチベを上達する喜びの方向に持っていくと
もっと広い視野で物事見えてくる事もあると言いたかったが
まぁ、こう言っても理解できないと強さを否定してるとか方便とか
そういう風に捉えるんだろうな
もうそれでいいわ、ディスってくれ
所詮2chだしw 強くなると努力している人を見て、喧嘩するのが目的とか、
喧嘩するとか乱暴になるとか考えるのは、非常に心の浅い人間だね。
武道とは、もしかしたら一生抜くことのない刀を磨くものだと
俺は認識している。
一生使うことも無いだろうだろうということで、磨かないでいたらサビだらけで使えない刀を
持つ人、竹光を持つハッタリな人を否定はしない。それもまた生き方。 普通は、「若いやつは頑張るなあ」解かおもうんだけどね。
大体、一生懸命やっていたら自分の素質も分かって落としどころ見つけるものだし。
乱取りとかし無ければ、一生夢見てられる。
だから、乱取りとか現実の護身術とか言い出されては夢が壊れて困るから、止めに入るのだろう。 この漫画って、モデルは少林寺拳法なんですかね?
https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=63356472
分かる方、教えてください。 こないだ夏祭りの後の深夜に街を歩いていたら不良っぽい一団が見守る中、1対1でタイマンしてましたな。
片方は明らかに格闘技の素人で片方は総合っぽい構えで軽快にステップを踏んでいて
タックルで綺麗にマウントをとってマウントパンチを浴びせ、やられてる方は顔中血だらけになってました。
格闘技をやる人のほとんどはスポーツをやるような感じの人ばかりで喧嘩を意識している人は
いないと思ってましたがそうではなったんでちょっと驚きましたな。 喧嘩する人間が、エネルギーもてあまして格闘技しているパターンじゃないの?
総合は特にアングラ性が強いし。
それとはべつに、スポーツとして割り切ってる人もいるだろうけど。 1対1ならいいけど、ロシアのチンピラや何とか連合みたいに大勢で武器使う相手には、マウントはダメだよね。
状況で使い分けないと。
護身の基本は、その場にいないこと。後ろは常に注意!
中国人とか、平気で青竜刀使うらしいし、とにかく躱す練習と、一気に決める練習だね。 総合はアングラ性高いとはうまいことをおっしゃいますねw
まぁ確かに地元の総合の試合観に行くとそんな感じしますわ。
それはそれでしかしその喧嘩はタイマンというのである意味ちゃんとしてるとのおもいましたね。
儀式的というか。 元々アングラだが、こっちがダメならこっちでという駆け引き的要素も魅力 ヤンキーの集団が立会人立ててルール決めたうえで
そういう儀式的なケンカして決闘罪で捕まったりするね
前科や障害の残る怪我はイヤだけど貴重な体験だろうな ふるい時代の喧嘩やね。
今時は、集団で金属バットだし。 >>452
>来るべき時に備えて一生鍛え続けてもその時はまず来ない 。
まあ、犯罪の犠牲者は、ほとんど備えてない人だけどね。
少林寺拳士でも被害者はいるけど、練習しているのと備えているのとは違う。
演武の練習では備えたことにならない。
また、備えてない人ほど自分に過信して、珍走族に注意して死にかけたり、ヤクザに注意してさされたりしている。
本当に戦いに備えたなら、自分の実力を知り無茶はしない。
自分に降りかかってないなら、普通に警察呼ぶ。
また、降りかかるなら、それなりの戦略を使う。
頭から注意せず、やんわりと説得するとか、逃げながらひとりづつたおすとか、弱いのを瞬殺してこうしょうにはいるとか、とにかく親分だけは自分が死んでも倒すとか。
俺が車で嫌がらせされたら、左車線に止まって車に立てこもり掲載呼ぶ。
車の前後に記録カメラつけてるから証拠ばっちり。
もし、ガラス破られても、いろいろ対応できる技や器具の用意がある。 >>499
のろさんがそいつをボコったらよかったのに。 たとえば、普通の文房具や工具、独古伝、如意伝、錫杖伝になる。
パチンコの玉たまたま持っていて指弾とか、たまたま持っていた虫除け用のハッカスプレー目に噴射とか。
体術は、車の外に出されそうになったとき。
偶然相手の引っ張る動作に合わせて蹴って他の車にはねられても相手の自業自得。
いよいよ車の外に出されて囲まれたら、そのときこそ乱取りとか多人数掛けの出番。
大勢相手だと、転ばされる事もある。そんなときのために、BJJとかでスタンドアップに戻る練習していたらいいね。 俺が車で嫌がらせされたら、左車線に止まって車に立てこもり掲載呼ぶ。
↓
俺が車で嫌がらせされたら、左車線に止まって車に立てこもり警察呼ぶ。 一生出会うことのない危険に備えて毎日鍛えるというのも
千載一遇の危険にちゃんと対応できなくて泣くのも
どちらもおかしいやら悲しいやら趣が深い
修羅場をしのいだ奇跡のような太刀筋を思い出せないまま死んだ
上田馬之助を描いた司馬遼太郎の「斬ってはみたが」を思い出す >>504
ぱっと見、何十人っていましたよw
半殺しにされますw 強くなりたいから始めたのに、白帯の段階で達人の達観まがいの考えを植えつけられ、強くなることへの意欲を矯められるのは可哀想ね 修行者さん試合出たんですってね。
いかがでした? ご感想は? >>511
いやあ、緊張というか怖かったけど、終わってみたらそうでもなかったというか。
とりあえず、cクラスだったらそこまで怖いものではないと思いました。判定負けだったので次は勝ちたいですね。 >>512
あの手の試合は防具つけて14オンスなんでこっちが打撃入れても相手が耐えられるので
リカバリー(反撃)もらうのが普通ですからね。
心肺能力と気力がものをいいますよね。 >>513
そうなんです。テクニックよりは「勢い」が大事っぽいですやね。
試合も1分2ラウンドくらいだし。
^_^ それって、ボクシングみたいに長丁場でないから、むしろ護身に近いかも いきった相手はガンガン来る
恐怖の経験も試合がないとなかなか得られない
少林寺でダメなら、有志募ってこっそり出場するしかないけどね >>515
いやー、どつきあいになるから防御が疎かになりますよ。最初の段階は。
まぁ冷静に動けるための訓練としてはいいですけど。
>>514
どつきあいになるのできちんと威力の出る突き蹴りを身につけると有利になると思います。
たとえばグローブなんで相当にナックル返さないとナックルが相手に当たらないなどなど。 >>518
少林寺拳法の昔の乱取り大会のルールはむしろグローブ空手に近いものだったとか。 今でも動画で観ることができますね。
少年ジャンプのシェイプアップ乱、80年代初期でも様子が描かれてますね。
余談ですが、京大の乱取り動画を観ると気合がアー!となっていますが、
シェイプアップ乱もそのようです。
おそらく作者が徳島なので関西に近いからなのではないでしょうか?
うちの先生は千葉ですが、オー!と叫びます。
うちの子供の高校では何故かアイーン!なんですw
ほんとですよw >>520
四国はアー!ですね。関節決めるときはウン!と呼吸を入れます。 腹叩きと馬鹿にされるフルコン経験者ですが、乱取り時に顔につける面は別にして
首から下は防具付けずにフルコン方式やれば少林寺は格段に強くなると思います。
倒されたり少々痛いおもいはしますが、直接打撃や蹴りに慣れるといいかと思います。
何よりも効かせかたが理解できると思います。そのうちなれてきて打撃に強い体になり
ます。効かせかた、急所にあてられたときの呼吸法が自然に身につきます。
失礼承知でかきました。ご無礼しました。 >>522
少林寺で強いと言われる人は、結局のところ少林寺らしさは消え、フルコンになってしまう罠。 >>522
実戦とスポーツ格闘技の違いを理解していない
知恵遅れでした。
プッ
あははははははははははははははははははははははは >>522
合田清一先生も雑誌の秘伝で胸部に一本拳を使ったコンビネーションをやったりしてたからそういうのを身につけるためには良いとおもいますが、
防具をつけた今の乱取りの方が距離感覚は身につくとおもう。
フルコンの真似事は大学時代の部活でもやってたけど、距離感覚があまり身につかないと思う。
形武道というのは、天才が作って、当時は最良であっても、代を経るごとに謦咳かするものだよね。
後継者達が無能なら。
天地拳、芦原捌きの形、出たときは古式形を越えた実戦形だったけど、時代の進化を取り入れなくなって、宗教の競技場みたく神聖不可侵変更不能になってしまった。
それならいっそ、競技武道みたいに、古式形で鍛錬しと現代的組み手で実用を練るみたいに分けてしまった方がいいかも。 誤植失礼
形骸化するものだよね
宗教の教義みたいに それと、少林寺らしさというのは、見た目の形では無く、確実に護身できる技ということ。
芦原空手の捌きにしても、投げるこや、各個の技の形では無く、安全なポジション、相手の不利になるポジションを取ることが第一なんだよね。
組技だけど、グレイシーのりねんもそうだよね。
本質を外しては練習しても、技の真締にはいたらないよね。
段位はや大概の成績とれるけど。 攻者と守者にわかれてするとフルコンでも相撲にならないよ
反撃したらすぐ離れることを徹底する
初心のうちは連反攻はしない
現在の少林寺ではほとんど概念ばかりとなっている当身の五要素を実技として身に着けるには、やはりフルコン組手が一番合ってるかと
これ昔の正道会館の教則ビデオで今となっては古いらしいけど色々と参考になりますよ
実際に裸拳で当てる組手しないと中々こういうことには気づかないでしょう
https://www.youtube.com/watch?v=IYGehRtLpbI >>526
いや、距離感の話なんてしてないし
工夫次第でしょ
粗探しの批評は要らん >>530
なるほど、合理的なやり方もあるんですな。 >>531
まあ、フルコン乱取りも顔面ありの乱取りも両方やらないの何の話かわからないか。 >>533
は?
一つの練習方法なんだから>>530のように両立させれば済む話
真似事してた程度でよくそんな批評出来るね >>530
間合いが全てであるということ。
かつ
顔面攻撃が最重要であることが理解できていない知恵遅れ(爆笑)
フルコンやっている馬鹿のオツムなんてこの程度のものだわな。
プッ
あはははははははははははははははははははははははははははは 実戦とかスポーツとかすぐに分けたがる人の話は無視しましょう。誰とは言いませんが。
お前、トップアスリートと喧嘩して勝てるのか?と言いたくなる。 >>536
がはははははははははははははははははははははははは
実戦とスポーツの区別がつかない自覚のない知恵遅れが
寝言をほざいております。
同一本人の戦い方で比較しないでどうするんだ?
このヴァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜カ
基本的なモノゴトの考え方すら知らない馬鹿ですた。(大爆笑)
プッ
あははははははははははははははははははははははははははは >>538
どうした?
低能
プッ
あはははははははははははははははははははははははははは >>534
白蓮館の杉原会長もグローブ空手の大会で「フルコンで体を鍛えてグローブ空手をやるのが良い」と言ったなあ。 お。キャハじゃん久しぶり。
砂袋をボカスカ殴って部位鍛錬を継続中。
縦拳、裏拳、熊手(掌底)、掌拳、平拳・振り突、肘・腕刀、膝
と叩いているけど、だんだん痛くなくなってきた。
平拳が特に痛いねー。尖った部分で突いてみたり、平拳と母指球を全体的に当てて見たり。 そういえば、肘打ちを練習すると、足腰の入れ方が良くなるね
腰がしっかり入った突きを出せるように改善されてきていると思う >>541
>平拳が特に痛いねー。
だから、近距離ではナックルで当てる。
ショベルカーで土を掘る感じ。 >>544
俺、上で平拳にやたらとこだわってた拳士なんだけど、、、
確かに第二関節(PIP関節とも言うらすぃ)を当てるようにする方が上手く当身できてる気がするわ。うまく人差し指・中指側を当てる感じ。
例えば平拳全体をぶち当てる場合だと、どうしても掌底で当てるのがメインになって、平拳がおまけみたいになるし。
あ。爪は切った方が良いと思ったわww親指の爪が人差し指に当たって痛いw 稽古で痛い思いをしておかないと、実戦・喧嘩で固いモノ殴った時に痛みに耐えきれないと思う 砂袋で肘打ちの鍛錬をしているんだけど、最近少しずつ上達してきたように感じる。
虫刺されやミミズ腫れのように、腫れ上がるんだねー ちょっと衝撃
これからは走り込みやストレッチもやらんとなー。
バレエダンサーのように軽やかに足を上げられないと、蹴りも上がらないしね さすが体育エリート。素晴らしい。
彼らなら、単なる少林寺で十分つよい。
本部職員より強いと思う。
ただ、法形そのままでカチンカチンと受けて柔らかさが無いので、より以上の破壊力には壊される。
これは、彼らが悪いのではなく、ワザノ改良を怠った幹部のせいであるし、彼ら以上のフィジカル持つ人はいっぱんにはあまりいないから、彼らはあれで十分。
やわらかならサバキ、その場に居着かないサバキ、機械のように一定の型ではなくあらゆる方向から攻撃出来るサバキ、少林寺に囚われない自由な技を身につけたなら、同じ練習時間でもさぞかしすごい強さを得られるだろう。
演武は評価されなくなるだろうけど。(笑) その場で1対1の動きを繰り返す多人数掛けなら、囲まれたら後ろからさ刺される動き。
今後の研究課題。 受けに小さな円運動をいれ、微妙にヒットポイントずらす足捌きを身につけたら、さらなる破壊力も捌けるようになる。
分からない指導者には「それは少林寺では無い」とか言われそうだけど。 生活のなかで少林寺拳法が役立つ場面といえば葬式
板の間で正座しても痛くないし痺れない
特技ってほどでもないがすごく役に立ってる こういう棒立ちになった相手に一人ずつ順番にかかっていく時代劇調の演武って正直ダサいと思う
最近の特撮のほうが、まだよくできている 時代劇では、主人公いどうしているよ。
その場では、映画的にも不自然。 鉤手守法は少林寺拳法の基本にして奥義。
鉤手守法なら柔道もレスリングも敵ではない。 少林寺やめて他やってもいいし、少林寺続けてもいい。
どっちにしても、強くなるほど優しくてなれると思う。
少なくとも俺はそうだった。
強くない言い訳したり、強くならなくていい理屈考え続ける人生より、
「見た目マッチヨでも弱いッスよ」とか言う(割と自信あり)人生の方が健康的。
若者よ、強さを目指せ。
つよいと、心に余裕が出来て余り腹が立たなくなったり、嫌なことすぐ忘れる。
サンドバッグ三十分叩いたら何があってもスッキリ! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています