気を高める修行法を教え合おう [転載禁止]©2ch.net
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日本人気功家の中には毎日ザル一杯分のヒジキを食べる人もいる。
中国人は食べない。 アジカンと言えば・・・
アジアン・カンフー・ゼネレーション(邦楽) 高藤仙道の本読んだ?
まずは練「精」化「気」
だから、ひたすらオナ禁して「精」をためる。
+体を鍛錬しつつ消耗しないようにしっかり栄養を取る。
+気を消耗しないように規則正しい食事と睡眠。
あとひじきは知らんが黒いモノが効くと何かで読んだきがする。
黒ごまとか・・・ 気を高めた方がいいという根拠は?
気が高まるとは何か?
何を気というのか?
武道に気は必要か? 武道でも医療でも「気」などというものを持ち出してきたらインチキ決定。 気云々よりも精力絶倫体になりましょうってのが「気を高める」第1段階なんだから
少なくとも体にはいいんじゃないの。
女の子とい一戦して気を漏らしてばっかりでは意味がないけど。 >>13
じゃあインド式でプラーナとかだったら今風でいいんでねが?(笑) まあ 江戸時代の剣術家も練丹法の重要性を唱えた方もいたらしいし
そういうことを「求める」ことは不自然じゃあないよ。
もっとも強くなるには効率が悪いし分かりにくいよね。 別に気が物体って考えるからおかしいわけで、
落ち着いているときはゆっくり大きく呼吸してるので
横隔膜が内蔵に影響与えて重心がちょっと落ちるとかは普通にあるだろ 気の話をする割には経絡とか覚えない人多いよね
補中益気湯とか腎気丸飲めば? >>18
「気」とやらを「物体」や「物質」考えてるヤツもいないだろうし。
後の二行も単に「落ち着いて構える」ってことなだけで
「気」とやらの説明にはなってない。 落ち着く、とか気を張る気合を入れるとかの感覚全般ひっくるめて気!と呼んでるのでは? 東洋医学では気も種類が色々と別れていてね。
基本的には血液と一緒に巡る目に見えないエネルギーのこと
気が散じると死ぬ
死んだら血液はあるけど冷たくなるだろ?
元々、そんな超状現象を指す言葉じゃないよ >>19
練功するのに正経を覚えてもあんまり意味がない。
覚えるなら奇経だわ。 >>25
別に細かく覚える必要はないよ。
奇経は「奇経八脈考」読めばそれだけ覚えることもできる。
正経の気は血液の流れを変えることが難しいように、
思念で変えることは難しい。生命を維持する循環だからな。
だからそこから漏れでる気を制御する奇経の気を動かす
訓練を練功ではするんだよ。 >>27
気を高める方法、
つまりは練功の話をしてる。
練功においては不要とまでは言わんが、それほど重要じゃない。
それに正確に言うと経筋は正経じゃないぞ。
流注も違うし循環の法則も深さも違う。
まぁ、巷で言う正経の流注図は鍼灸治療用の図だから、
実際の気の流れはもっと幅があり単純なものなので、
(例えば胆経の側頭部の流注みたいなつづら折り、
あれは一つの大きなを流れだ。)
経筋と似てるのは似てる。
興味があるなら横田観風の経絡流注講義と言う本を読むといい。 >>28
八宗穴使うにも正経知らんとあかんし奇経、経筋、経別他諸々必要だし気功やるなら一通り勉強しろよと思うけど? >>30
「治療」の話ならその限りだけど、練功なら「先ず」は
奇経で良いよ。
ヨガでもプラーナを呼吸法やイメージで動かすことに使うのは、
奇経に相当するものばかりで正経に相当するものは使わない。
だいたい、ヨガで正経に相当するものは複雑過ぎるし。
ごちゃごちゃ言わんと自流に練功法がなく、でもなにかを
したいなら、個人的には西野流をやっとけと思うけどね。
あれの呼吸法と体操はシンプルながら偏差も出にくい
優れた練功法だよ。
対気は賛否両論だけど、武術として見なければあれも優れた気の訓練法だし。 >>33
西野流みたいな後ろ向きに嬉しそうに走ってるのバカにしか見えないわ 骨折って市ねば良いのにと見てて思うわ。
コイツらのせいで全うな東洋医学、武術気功が貶められている >>35
だから対気は・・・
ってちゃんと区別して書いたろうに。
エセ気功ねぇ??
これ否定したら全ての気功にエセも本物もなくなるんだが??
本物の気功ってなに??どんなの??
いわゆる空勁なんてトランスかかった感応状態の相手だから
起こせる現象であって、誰にでもかかる万能な現象とは
そもそも西野も言ってないし、
西野も今では武術としては不完全なので武術としては
広めていない。
自分が優れていると言ってるのは、
練功法としての呼吸法と体操だよ。 >>36
全うな東洋医学と武術気功
ねぇ・・・
西野に関しては一つの「訓練法」で起こる現象を取り出して
言われましても???としか言いようがないし、
それに東洋医学も鍼灸の名人と言われるクラスの先生は
とんでもエピソード満載なんですけどね。
ベットに鍼刺して治した福島弘道さんとか、
患者さんの自宅に地下水脈があると見抜いて変えさせたり、
枕の位置がおかしいと変えさせて治した藤本和風さんとか。
さぞかし本物の武術気功をやってらっしゃるんでしょうなぁ 西野流呼吸法の西野師範は、相当なレベルの武道家でしょう。
ただし、「手も触れずに相手を投げ飛ばす」というのは低レベルなパフォーマンスに過ぎません。(素直な言い方をすればインチキです。)
昔、ビートたけしの番組に出演したのを見たことがあります。
有名な柔道家や空手家が手も触れずに飛ばされていました。
ちなみに、柔道家は遠くに吹っ飛ばされ、空手家は尻餅をついた程度です。
これは、受身のできる武道家は自ら遠くへ吹っ飛び、受身のへたな武道家はそんなことはできない、ということを如実に表しています。
この空手家は、後日、空手雑誌にこのときのことを吐露しています。
「西野師範には、『呼吸法を学ぶ』ために入門しました。呼吸法の師範として尊敬しています。
しかし、テレビに出演することになり、自分にもそのお鉢がまわってきました。まさか、先生が『エイッ』って言ったのに突っ立っているわけにも行かず、尻餅をつく演技をせざるを得ませんでした」
と。
西野師範は優れた武道家です。こんなパフォーマンスなどしなくても、お弟子さんは集まるはずです。
一刻も早く、己の武歴を傷つけるようなパフォーマンスは止めるよう、私は祈らずにいられません。 >>39
あぁ、対気に関しては違わないわ。
そもそも気の能力を高めるってのは武術そのものじゃない。
構成する一要素ではあるけど。
だから日本の古流には練功法なんてほとんどないし、
やらんでも他の要素と共に勝手に高まる様に型の構造が
なってる。
だから伝統的には、単独の練功法として伝わってるのは
日本の場合には宗教系統の修行としてなんよ。
明治から大正、昭和にかけて、その修行を健康法として
取り出して普及しようとした人達がいて、肥田式とかは
その一つ。
柳のおっさんはそこを勘違いして、そこだけで武術と
してしまったから、インチキになったんよねぇ。
気合術としてだけなら有効だったのに。 病気や怪我なら病院に行くし
リアルに競う武道や格闘技で「その存在」が顕著に実証されたこともない。
結論【「気」は概念の上のみで存在する】 >>41
嫌いで否定されましても・・・
福島弘道さんは接触鍼使うバリバリの経絡治療家だし、
藤本和風さんは何十代続く夢分流の打鍼術の家元さんで、
これまた経絡治療の大家でオマス。
一本鍼は和風さんの息子さんである藤本蓮風さんの建てた流派。
和風さんの治療法則が分からなくて、中医学の弁証論治を使って
解析したら漸く分かったから、そこから一本鍼の技術を作り上げた。
水脈変えさせた話は、普通に脈診して言った話。
知り合いの観相学の先生は、絶対に観相学の勉強もしてたはず
って言ってたけど。 >>42
インチキやなく感応現象ってやつよ。
西野の所は、呼吸法を30分、体操を一時間、そこから
対気を30分やるから、対気までの間に感応が起こって
るんやろね。
感応現象じたいは、治療の世界では色んな方法で
取り入れられて行われておりますわぁ。
今は西野さんて武術家名乗ってたっけ??
合気道の腕は相当なもんやったらしいけど。
西野流も「西野流呼吸法」であって、武術としては
普及させてないけど??
何十年前のこと言うてはりますのん?? >>50
ではでは、本物の気功とやらを教えてくださいまし。 日本の伝統武術または健康法では丹田は意識しても経絡の流れまで意識するような
ことはないですよね。
せいぜい正中線を意識するくらいだと思いますがどうなんだろう? >>53
八光流とかは経絡意識して技をかけるね。
健康法とかは任脈と督脈だけでまとめて操作してる所が殆どだけど、手印使うなら経絡意識してる >>54
経絡って概念はそもそも陰陽五行論で運用する道家の理論だから、
仏家や神道家の理論には無いんだよ。
チャクラ理論はヒンドゥーから仏家に受け継がれて
密教系の修行体系に入ってくる。
それぞれ理論としての発祥元が違うのさ。
あと、日本漢方では陰陽五行論をほとんど捨てて運用すべき
って主張する古方派の運動が江戸期に起こって主流になり
現在のメインになってる。
鍼灸でも明治、大正に経絡や陰陽五行論の再評価が起こったけど、
江戸期の流派の中には古方派の影響で捨ててしまった流派も多い。
だから古流はあまり経絡を重視しないんだよ。
活殺術とかで細かく伝えてたりする流派もあるようだけどね。 それを考えると肥田式強健術は近代の生理学とか取り入れてたから、その手の発展型?なのかな。 >>56
大正から昭和にはその手のものには、もうひとつ流れがあって、
当時、入ってきた「最新科学」で、説明しよう!!
ってやつがあったのね。
(自分には古方派からの流れかも??って視点はなかったな。
そうかもしれん。)
それなりに成果を挙げたものもあったんだけど、
人体ラジウムとか今から見るとトンデモなものも多かった。
肥田式はその流れの代表格なんだわ。 藤田霊斎とか松本チワキ何かもそんなもんだったな。藤田の呼吸法は残ったが。 オカルトどもが自分たちの箔付けに科学を装うのは今も昔も変わらんのよね >>59
療術家と呼ばれる人達は全てだなぁ〜。
それはそのままちゃんとした科学で理論的に整理されて
指圧として国家資格になってるけどね。
>>60
どっこい当時は大真面目だったのさ。
科学万能だと信じられた時代、東洋の古臭い哲学に変わって
その治効機序を本気で解明しようとしたんだよ。 「科学にくらべると、似非科学はなんといってもお手軽である。
なぜなら、できることなら避けたいような現実との対決は、あっさり回避されているからだ。
現実と対決すれば、否応なく比較結果を突きつけられる。
議論のレベルも低いし『証拠』を採用するときの基準もずっと甘い。
だからこそ科学よりずっと、一般大衆にアピールしやすいのだろう。
だが、こうした手軽さだけでは、似非科学の人気の高さは説明できない。
人はさまざまな信念体系を試してみて、それが自分に役に立つかどうかを知ろうとするものである。
そして状況が苦しくなれば、懐疑精神などというお荷物はさっさと放り出してしまうのだ。
似非科学は、科学が満たしてくれないような、感情面に強い欲求に訴えかけ、人間にはないがゆえに求めてやまない力の幻想を与えてくれる。」
(カール・セーガン著 青木薫訳「人はなぜエセ科学に騙されるのか(上)」新潮文庫 40〜42頁) ぶっちゃけ気は今でいうイメージトレーニングだと思ってる。
特に触覚や温冷覚を感じるようにイメージしたもの。
だから気の実在なんて全くどうでもよく、あると仮定してやってみてプラセボだろうが何だろうが効果が得られればいい。
それくらい割り切って稽古してる人いないかな。
俺は香功(シャンコン)がオススメ。 北冥神功
手太陰肺経と任脈は、北冥神功の根源なり。
気を丹田から長強へ 腰兪 腰陽関 命門を通り、
懸枢 中枢 筋縮 経渠 風池に至る。
親指の少商穴と胸の胆中穴を用い、敵の内功を奪うべし。
人には四海あり。
胃は水穀の海 衝脈は十二経の海 胆中は気海 脳は髄海なり。 葵花宝典を取得すれば良い。
でも、去勢する必要性が有るらしい・・・。
まあ、架空の話だけどね。 >>72
興味ない。こんなのに固執する人の気が知れん。時間の無駄!! 大雑把だけど、
気は意念でいつでも出せる、気の海の中にいるし、減らない。
って考えと、
中華圏でのように、修行が必要で、気は減るという考えが
あるが、
どっちが正しいのか?どう? >>75
中華圏でも減るって言ってるのは、小周天派だなぁ。
道家の根本教典である「老子道徳経」には、
「減らないし増えないし、なーんもない。でも有る」
って、般若心経と同じことが書いてある。 気功とかの類いは一歩間違えればオカルトだからな
気は主に健康、武術強化の一つと考えてる
リラクゼーションは少し違うが、気は基本的に集中力を使うので、体力が切れれば弱い
悪い気を流して、幸せなうんたらかんたらとかの話はオカルト系 ぼ、ボキは2ちゃんに戸籍貼るほど池沼じゃないかんね! ぼ、ボキは2ちゃんに戸籍貼るほど池沼じゃないかんね! 気じゃないが伊藤氏の胴体力
大衆向けになってるあれは不完全な理論だな
補完もあるが・・できている先生に深く習わないと無理でしょう。 >>75 気の海の中にいるし、減らないけど
修行が必要で、自分が使い熟せる体内の気は減るし
年と共に気も意年も衰える
大体、熟達すれば気を使おうという発想から離れる
>>83 伊藤式は何がもてはやされたのか理解できない というか、気を遣う云々じゃなくなって
何もしなくなって、そこににいなくなるのが一番いいと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています