0611雪と氷の名無しさん
2018/03/24(土) 23:30:03.21ID:Sc8iGyHGある日、実家からメールが届いた。
そのメールには、いくつかのチームから、誘いが来ていると記されていた。
そのひとつに、小笠原からの誘いをみつけたとき、吉田は泣いた。
「カーリング以外にも何か好きなこと、やれることがあるはずだと思って行ったカナダで、やっぱりやりたいことがカーリングだったと再確認できた。
そんなときに話が来たので、もうびっくりして……。それに小笠原さんは、私が留学すると決まったときにわざわざ家に来てくれたり、喫茶店で話
を聞いてくれたことがあるんです。そして『今度一緒にやるときまでに強くなっていなさいよ』と言ってくれていました。ずっと小笠原さんと船山さんに
憧れていたし、その言葉に、いつか一緒にカーリングするときに強くなっているように頑張ろうと思っていたので、もう、泣きました。小笠原さんは、
そう言ったことを忘れていたみたいですけれど(笑)。だからやりたいと思いました」
複数の中から小笠原の誘いに応えたのには、別の理由もあった。
「チームを大切にしていきたい、と書いていたのが、小笠原さんだけだったんです。小学2年生からカーリングをやってきて、唯一学べたと思えるのが、
カーリングはチームワークが大切だということでした」
中学時代の苦い思い、高校時代の苦しい時期。その経験があればこそ、小笠原の言葉に打たれた。
ただひとつ、気になったのは妹の夕梨花のことだった。妹は、チーム青森を離れ新しくチームを作ろうとしていた本橋麻里とプレーすることを決めていた。
「私、妹がすごくかわいいんです。だから、別のチームでやることにほんの少し、うーん、とはなったんですね。でも妹と話したら、『お互いにずっと一緒に
いて甘えている部分があったから離れてやってもいいよね。いつか強くなって、シニアになったらまた一緒にやろう』って言ってくれた。妹のほうが大人なんです」