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藤澤五月選手と吉田知那美選手の不思議な縁

藤澤五月選手(26)と吉田知那美選手(同)は同じ年代だが、もともと旧北見市と
旧常呂町で育ち、学校も違えば、カーリング練習の拠点も違った。ジュニアのころは
ライバルだった二人。でも不思議な縁に導かれてきた。

 常呂の吉田知選手が小学生のとき、初めてカーリングの試合をした相手が北見の
藤澤さんチームだった。藤澤さん家族はカーリング一家として知られ「五月さんの
兄と姉も強かった」(吉田知選手)。

 当時も今も、北見市内にはカーリングホールが2カ所ある。北見市花月町の
河西建設カーリングホールと常呂町カーリングホール。かつては協会も分かれ、
北見協会からもオリンピック選手は出ていたが、常呂のほうが圧倒的に多く、北見の
会員にとって練習会場も大きな常呂は、せん望の的。常呂町民は自分達の『常呂』
を大いに誇りにしていた。

 そんな環境の中でも北見の藤澤五月選手はジュニアの大会では、常呂はおろか
全道、全日本を圧倒。あまりの強さに、常呂の関係者の中にはライバル心を超えた
感情を覚える人もいたようだ。

 そんなことは関係なく、藤澤選手と吉田知選手は当時「お手紙交換」をしていた。
すると、教員の藤澤選手の父は吉田知選手が中学2、3年の時、赴任先の常呂中学校で
偶然、担任になる。

 藤澤選手が同年代の日本一を競う日本ジュニアの路線を進み、吉田知選手はおとなも
含めた全年齢対象の日本選手権の路線を歩む。「あのころは、こうして同じチームで
やることは考えてもいなかった」

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