>阿部周司氏は、
>小栗のじっちゃんこと小栗祐治氏とともに、常呂をカーリングタウンにした功労者だ。

>ソルトレーク五輪のあと現役続行を希望していたが、就職先がなくて困っていた小野寺歩に、
>青森行きを勧めたのが阿部氏であり、つまり言ってみればチーム青森の生みの親でもある。

>日本カーリング協会競技委員長の要職も務めていた、日本のカーリング界の功労者だ。

ttp://simon.txt-nifty.com/blog/2007/09/post_ca5b.html



マリリン、2人の亡き恩人のため「頑張らなきゃ」2018年2月24日
http://www.hochi.co.jp/sports/winter/20180224-OHT1T50059.html

>本橋麻里(31)には、2人の亡き恩人がいる。北海道・常呂町(現北見市)に競技を広めた
>第一人者で、17年に死去した常呂協会初代会長の小栗祐治さん(享年88)。
>もう一人は本橋が18歳のときチーム青森行きを支え、07年に亡くなった
>元日本協会競技委員長の阿部周司さん(享年58)=06年トリノ、10年バンクーバー
>五輪女子代表監督で本紙評論家・阿部晋也さんの父=。2人への感謝の思いは尽きない。

>阿部さんはトリノ五輪後の07年に死去した。本橋は青森に残り、ホテルの受付で生活費を
>稼ぎながらカーリングを続けたが、有名になりすぎて過度のストレスを抱えた。10年
>五輪前には競技に対する気持ちが揺らいだ。引き留めたのが阿部さんだった。
>「周司さんが枕元に立って『頑張れよ』って。頑張らなきゃって思った」

>今だからこそ、2人に聞きたいことがある。「まさか北見から五輪チームが出るなんて
>思ってたのかな」。答えは返ってこないが「喜んでくれているかな。五輪では多分、
>一番いい席から見てくれていると思う。これからも『ちゃんとやれよ!』とは言われると思う」。
>残るは3位決定戦。亡き恩師へ、メダルという最高の形で恩返しする。


銅メダル