124可愛い奥様2020/03/06(金) 15:48:58.23ID:EjSG6DZk0
168可愛い奥様2019/09/12(木) 16:39:10.70ID:Su93Zwc40
>>166
一部抜粋
「フェイクと憎悪 歪むメディアと民主主義」
>前出の在阪民放関係者は「たかじんさんのガンが再発したころから、相原さんらボーイズのスタ
ッフが頻繁に東京に出張するようになった」と記憶している。そこで『ニュース女子』の関係者を
取材したところ、興味深い話を聞いた。実はボーイズは、もともと同番組を最初から地上波で流す
ことを想定し、パイロット版を制作。ローカル局に持ち込んでいたというのだ。(中略)
前出の在阪民放関係者がふたたび語る。
「『ニュース男子』が最初に放映された一三年一二月二八日といえば、たかじんさんが危急時遺言
(書)を作成する二日前のこと。つまり、たかじんさんの再入院で、もはや復帰が絶望的とみた相
原さんは、『やしきたかじん』というコンテンツに見切りをつけ、委員会で培った『過激な本音ト
ーク』というコンテンツに乗り換え、それを東京に持ち込むことによって生き残りを図ろうとした
。しかし、あの種の番組は大阪で受けても東京では敬遠される。おそらくキー局に持ち込んだが
相手にされず、東海テレビに売り込んだものの、二回の単発に終わり、レギュラー(番組)にはな
れなかったのでしょう」
それを拾ったのがDHCテレビだったわけだ。今度はDHCテレビの関係者が語る。
「山田さんがDHCテレビ(当時は前身の「シアター・テレビジョン」)に来たのは、東海テレビで
二度目の『ニュース男子』が放映された直後の一四年七月ごろのことでした。その二カ月前には、
DHCの吉田(嘉明・代表取締役)会長が株を買収して筆頭株主となり、取締役会長に就任。それま
での番組を大きく改変しようとしていた時期でした。山田さんをDHCテレビに連れてきたのは、武
田(邦彦)教授。『本格的なテレビ番組を作るのなら、(番組)制作会社の人にかかわってもらっ
たほうがいい』と。当時、山田さんは『TVTVTV 株式会社取締役』の名刺を持っていました。