149可愛い奥様2018/09/13(木) 13:45:03.29ID:xTWfdOIG0
>>131
厚生労働省
終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン(平成19年5月)
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/05/dl/s0521-11a.pdf
終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン解説編
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/05/dl/s0521-11b.pdf

※平成27年3月 「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」に名称改称
※平成30年3月 改定

たかじんの「緩和ケア」が始まったのは2014年4月の再発後?(痛み止めの麻薬投与)、夏に善子
一人が余命を久保田医師から聞いた後?、12月23日のたかじんへの「余命2ヶ月」告知後?(痛み
止めの麻薬投与)
12月21日 メッセ黒田が大阪のマンションで3時間話をする「たかじんはとても元気でワインをがぶ
がぶ飲んでいた。もうすぐハワイ行くから土産は何がいい、と聞かれた」
その頃たかじんは「どこも痛くないが尿の出が悪い」と伊東クリニックに検査依頼、CRPが高いの
で伊東医師は東京の主治医の所で検査するよう伝え、たかじんは23日に東京へ行き余命2ヶ月を
告知され、痛くないのに痛み止めの麻薬投与が始まる
12月25日夜、Kマネと3時間話をする Kマネ「元気ではないがソファに座って話をした」
12月26日朝、突然の誤嚥性肺炎で午後に聖路加入院、肺炎の治療をせず1月3日(?)死亡

「殉愛」の12月23日からの話に整合性が取れないのは何を隠してる?