708可愛い奥様2018/07/27(金) 16:19:53.72ID:imwih4Me0
>>707
「フェイクと憎悪」
「『ばぁ〜』で演出を担当していた相原さんは放送期間中、たかじんさんを献身的に支えた。
当時のたかじんさんは東京進出に頓挫したこともあり、精神的に不安定な状態で、番組中に泥酔
したり、泣き出したり、時にはスタッフを殴ることもありました。しかし、どんなときも相原さん
はたかじんさんに絶対服従で、理不尽な仕打ちにも耐えた。そうした相原さんの姿勢が、たかじん
さんの信頼を勝ち得ていったのです」(前出の在阪民放関係者)
そして『ばぁ〜』放送終了から二年後の九八年五月、相原はビデオワークのスタッフを引き連れ
独立。たかじんの出資で番組制作会社「ボーイズ」を設立したという。
「ボーイズを立ち上げてからというもの、相原さんは『政治のバラエティ(番組)を作りたい』と
しきりに話していました。そして二〇〇〇年以降は、読売テレビと具体的な準備を進め、二〇〇二
年には単発(番組)ながら、たかじんさんを司会者とした『政治バラエティ』の放映にこぎつけた。
それが『たかじんのそこまで言って委員会』でした」(同前)

「パネリストが上下に座る"ひな壇スタイル"は、『ばぁ〜』時代からたかじんさんと一緒に仕事を
していた構成作家のアイデアでした。『委員会』には、この作家やボーイズのスタッフなど、当時
『ばぁ〜』を作っていた連中が丸ごとかかわっています。
相原さん常々、『単なる(テレビ)局の下請けでなく、ゆくゆくは〈制作著作〉(権)が持てるよ
うな番組を自分たち(番組制作会社)で作りたい』と話していましたが、それをある程度実現でき
たのが、『委員会』だといってもいいでしょう。(中略)しかし、『委員会』がここまで高視聴率
番組になったのは当然のことながら、司会がたかじんさんだったから。『ばぁ〜』時代に相原さん
が、たかじんさんに献身的に尽くしてきたことは業界の誰もが認めるところですが、ボーイズ設立
以降はほぼ、やしきたかじんという"コンテンツ"だけでメシを食ってきたと言ってもいい」(同前)