極東ブログ

by finalvent

2017.12.15

[書評] 「福沢諭吉」とは誰か(平山洋)


 書名『「福沢諭吉」とは誰か』(参照)が意味するのは、本書にも書かれているように、
「第二次世界大戦の終結以来議論されてきた、福沢の本質は市民的自由主義者なのか、
それとも侵略的絶対主義者なのか」という択一を問う意味合いがある。現代のネット的な用語で単純化すれば、
福沢諭吉は、@市民主義のリベラル、あるいは、Aネット右翼のような侵略主義者、そのいずれかかということである。

 こうした昨今のネット風の単純化は愚かしいかのように思えるが、本書第4章「福沢諭吉と慰安婦」を読むと、
あながち笑えないものがある。この短い挿話的とも見える章では、まさに福沢諭吉の思想が従軍慰安婦問題と関連付けられる論調への駁論となっているからだ。
そもそもそんな議論が必要なのかすら疑問に思える人もいるだろうが、その関連付ける議論の一方は安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識』(参照)に依拠している。
しいていうならこの安川の書籍が今日のいわゆる「福沢諭吉問題」の根となっている。そして本書書名の択一の問いかけも、つまるところ、
安川の福沢諭吉像(あえて簡略化すればネット右翼的な像とも言える)の反駁というモチーフがあると言っていい。
そのため、本書の読者は、安川の前述書が既読であることが好ましいし、それを読めば、
いわゆる左翼的リベラルが一万円札から福沢諭吉の肖像を除去しようと運動していることも理解できるだろう。いわゆる「福沢諭吉問題」の象徴的な表出である。

 少し迂回するが、安川のモチーフは、見方にもよるだろうが、二段構えになっている。
一つは、単純に福沢諭吉という思想家の右翼的・アジア蔑視・侵略的な側面の評価であり、他面では、
福沢諭吉がモダにストとして市民主義者の原型であるとした丸山真男への批判である。後者については、安川の『福沢諭吉と丸山眞男』(参照)が詳しい。
なお、2003年に出版された同書は昨年増補改訂版として出版されている。一万円札批判関連の運動などの高まりが背景にあると見てもよいかもしれない。