中央道の計画は用地買収が少なくて済む玉川上水経由で決定した。

このとき外環道のルートも検討されていた。
外環道の出入口を東京八王子線に造るとき、当時計画されていた東京八王子線と放射第5号線のルート(杏林大〜上高井戸一丁目)ではJCTに近すぎて、東京八王子線を北側に持ち上げる必要があった。

このとき、玉川上水に計画されていた保健防火道路は戦争も終わり必要がなく、用地取得も楽なことから放射第5号線を玉川上水ルートしようとした。
東京八王子線を玉川上水のいずれかの点に最短で結ぶには牟礼橋が適当であり、さらに人見街道都心方面や三鷹3・4・7号(旧2・2・10号)との接続も考えるとやはり牟礼橋が最適であった。

ということなのでは。