先日、神野新田資料館に行く機会があった

神野新田は元々長州藩の毛利祥久って人が東三河に牟呂用水と共に作ったので最初は「毛利新田」と呼ばれていたそうだ
ところが高潮や濃尾地震で壊滅し事業を断念して、事業家の神野金之助に経営譲渡
神野金之助は普及に加えて災害を克服するため様々な改良を施して「神野新田」が設立されたそうだ
頓挫した時に普通の地域なら国や県といった公共事業に押し付けようとするけど
地元財界人の力で引き継いで成し遂げてしまうあたりが愛知県民らしいとおもった