>>193
こつちの過程なんか分かりやすいじゃろう。
http://the-cosmological-fort.hatenablog.com/entry/2015/12/05/090303
[…慕夏思想(古代中国を理想とし、日本こそその理想にもっとも近い国、
すなわち中国であるとする思想)〜 …山鹿素行は『中朝事実』によって、
「日本こそ真の中国である」と主張した。このとき中国は異民族王朝である
清によって統治されていたため、こうした思想が普及した。… 朱子学と神道は
深くかかわっていた。元々神道は仏教と積極的に一体化しようとしていたため、
「ごく普通の一般的日本人が神道と仏教を別の宗教と見るようになったのは、
明治以降」である。
 ――幕末から明治、さらに戦前・戦中の日本を頭に浮かべ、そのときどきの
スローガン、「尊王攘夷」、夷狄に等しい「蒋政権を相手にせず」「英霊に
相すまないから撤兵できない」「鬼畜米英」「道義に基づく東亜新秩序」
「撃ちてしやまん」「一億玉砕」等々、その発想はすべてここに登場する。
――これでは「平和」を主張する者はすべて「亡国の徒」となってしまう。
これが、宋の滅亡から絅斎自身が引き出した結論であっただろう。
そしてこれが、情況が錯綜し、「複雑怪奇」となって対応できなかった
戦前において、平和を主張すれば「亡国の徒」、いたずらに強硬であれば
「愛国者」という図式になって、これが固定的、強迫的反応となって日本を
拘束し、どうにもならない状態にしてしまった。
 その思想は、「「現実の体制の外」に絶対性を置き、この絶対性に従うことが
「義」だと考え、その「義」のために、体性が自分を殺しても外敵に亡ぼされても
それを甘受するという行き方」である。]