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特に近代以前の兵力は欠員が付きものじゃし、近代でも戦時中の中国国府軍なんかは
のう。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1523533562/83-85
 常徳城攻略でも、森金千秋氏は「日本側は、中国軍の守兵13,000と発表している
五十七師が、 多くても3,000名もなかったと思われる裏づけとして、遺棄死体502、
捕虜540の合計がわずかに1,042名であり、余丁万師長が率いて脱出した兵力は200名で
あったから、これを加えても1,242名となる。別に脱出した兵が1,000名としても
3,000名にはほど遠く、ましてや13,000というような兵力は計算上まったく成立しない
のである。 また、中国側が発表した、常徳会戦戦闘序列表によると、二戦区軍、
五個集団、三個兵団、十六個軍、四十五個師という天文学的なもので、われの
五個師団くらいで戦える相手ではないはずであったが、 一個師三千〜 四千、小銃が
二、三十名に一挺のような状態で、はなはだ非力な軍団であったのである。」
森金千秋氏の〔筆者注〕「軍の発表した敵軍、師団の完全殲滅、撃滅などにはかなり
疑義がある。「殲滅」で半分程度、「撃滅」で三分の一程度の損害を与えたと見る
べきであろう。それは、日本軍が 陣地突入後に捕虜と遺棄死体合わせて十分の一程度
の戦果が普通で、大方は常に後退してしまっていることで明らかなとおりである。 」
「つぎに遺棄死体であるが、これも常に実数の二倍から三倍の誇張した計算が
なされている。たとえば一人の遺棄死体があったとするとき、同一戦場を通過した
部隊が仮に三個中隊あったとすると、それぞれ確認遺棄死体として報告されていた
からである。すなわち一人の遺棄死体が三人になるのである。軍の発表によると
二十四個師を少なくとも撃滅したことになっており、軍は常々中国の 一個師を平均
一万以上に見積もっていたが、これもまったくでたらめであって、もしも一万人平均
なら合計二十四万人の兵員があったことになる。それなのに ほとんど全滅したことに
なっている敵の遺棄死体は29,503(実数は10,000人くらいと思われる)、捕虜14,025合計
43,528名である。撃滅したはずの残る二十万人の 行方がわからないことになる。」
まあ、中国国府軍の兵力も兵員数のレンタル数合わせで、Aの部隊兵員数揃うと、次の
B部隊じゃバレるけぇ、Dくらいに渡してリレーして大兵力が捏造出来るわけで、
日本の近代以前もそういうもんよ。近代日本ですら敵さんの損害数は捏造で
数倍増やすし。