>>723
正面、背後だけじゃのうて、中国最強広西軍主力の完全包囲四面楚歌からの
逆転勝利の広島師団よ。
http://www.yurindo.co.jp/static/yurin/back/417_1.html
 戦記も一般の日本史の中に繰り入れられそうに
{「南寧作戦」の中の「崑崙関の戦い」は、第五師団中の約四千の部隊が、南寧から柳州方面へ
向かう途中の関所、崑崙関の山中に布陣した時、広西軍閥の白崇禧、李宗仁軍は、実に十万の
軍兵を集めてこれを包囲し、日本軍はいかに善戦しても及ばず、年末に山を棄てて撤退する。…
師団は態勢を整えて、報復作戦を発起し、中国軍を駆逐している。
私は、この崑崙関の戦闘と、たとえば日本史の中の、武田勝頼軍と織田・徳川連合軍が戦った
長篠戦とは、時代は違っていても、戦いぶり、兵数の大差、武器の相違等、なにかと似通って
いると思う。つまり、崑崙関戦は、長篠戦に似た興味で、第三者には読まれるのである。
第五師団は、報復戦で、中国軍を叩くことができたが、勝頼軍は、この戦いが大きく原因して、
やがてほろぶ。主立った武将もこの戦いで多く死んだ。第五師団にしても旅団長が戦死し、
兵員の死傷も多い。いわば、戦記も、一般の日本史の中に繰り入れられそうになっている。 }
広島師団と広西軍との戦いじゃ、白兵戦じゃ広島師団が強く、射撃火力戦じゃ広西軍の方が
強かったよ。じゃが、広西軍は白兵戦で負けても白兵戦を挑んでくるし、命知らずの勇敢な
兵じゃったんよ。英軍が広西軍に敗退した崑崙関じゃ、広島師団の浜田、山口の21旅団も一度は
負けたけど、特に島根県の浜田聯隊は、粘り強さを発揮し、最悪の壊滅は防ぎ、その後、
報復戦じゃ福山聯隊の奇襲で敵さんが同士討ちに成って、戦いの流れが広島師団側に
好転し崑崙関を 越えたけぇのう。