>>250
江戸は東日本の都ゆえ、民間に同性愛習慣がほとんど乏しかったゆえ、江戸の社会的
上層部の西日本輸入文化に限定されるけぇのう。
「十二階崩壊」でものう、
https://jack4afric.exblog.jp/11286594/
[生粋の江戸っ子である谷崎には、男色などという風俗は田舎者のダサイ趣味と
しかみえなかったようです。
しかし、田舎者がもたらした男色の風俗が東京の学生の間で猖獗(しょうけつ)を
きわめていたことは谷崎も認めていて、
「俺の小さい頃は、決して戸山ヶ原などに独りで遊びにいくんじゃないと警められた
もんだよ」と語っています。
戸山ヶ原というのは、現在は戸山公園になっている、早稲田大学の近くにある
原っぱですが、そんなところに迷い込んだら、地方出身者の多い早稲田の学生に
捕まってオカマを掘られる恐れがあるから気をつけろといわれたのだそうです。
早稲田の学生って昔からレイプが好きだったんですね(笑)…
谷崎潤一郎は、今東光と違って、一中、一高、東大とエリートコースを歩んだ人
ですが、男色については一中時代はそれほど話題にならなかったのが、一高に
進んでからはけっこう見聞きするようになったと語っています。]
今東光氏の原文じゃ谷崎「俺は下町育ちだろう。…物心つく頃から女に感心は
あっても、男になど好奇心持つ筈ががないじゃないか」
「早大生にふんづかまると、オカマ掘られるから気をつけなってな…早稲田にゃ
各地方から学生が学生が集まるだろう。就中、頭のあんまり好くない粗暴な
鹿児島っぺが、この癖があるから用心しろという訳さ」