>>778
甘藷は飢饉に強いけぇのう。広島県の飢饉でも甘藷栽培が盛んな瀬戸内沿岸部は
救われたよ。県北や山間部は、米や麦じゃけぇ、餓死者が出たり、村が崩壊した
所まで出た。離村難民が瀬戸内沿岸部へ出てホイト(乞食)しょったり、山間、河川に
生業を求めた者らは、山窩に加わったり、被差別民らが救うたりしたけぇのう。
芸北の山県郡は飢饉や水害で瀬戸内沿岸部へ出たもんが多かったゆえ、山県ボイトと
云われたんじゃが、モリカケのK計一族も山県郡系で金持ちじゃが、心がホ◯ト根性と
云われたことがあるんじゃなぁか。雑草からお金まで取り尽くす意味でのう。
ぺんぺん草しか生えん者として山県郡のもんはディスられる。
山県郡の加計へ行く途中の安佐郡の可部は「可部のカラスは腹まで黒い」と、
ディスられるし。可部もんはカラスで、佐伯郡の瀬戸内沿岸部の廿日市もんは
トンビよのう。
>>779
「西南シベリア型」、「中央アジア型」が混じり、純「モンゴル型」じゃ無ぁのう。