大阪にカジノはいらん! 「教育投資」こそ成長戦略
http://facta.co.jp/article/201702023.html

辻元 清美 氏
民進党衆院議員

――しかし、辻元さんの地元大阪は「民進党不毛の地」と呼ばれています。

辻元 政権交代が実現した09年衆院選では大阪19小選挙区で民主党は17議席を占めたが、14年衆院選の小選挙区で勝ったのは私だけ。
翌15年の大阪府議選では、公認候補を9人に絞り込んだのに当選は1議席のみ。「絶滅危惧種」なんですよ。

――なぜ、辻元さんだけ生き残ったの。

辻元 私が浪速の商売人の娘で、コテコテの「大阪党」やからじゃない。商売人だった祖父はブーゲンビル島で戦死。
食うや食わずの父は15歳で丁稚奉公に出され、25歳の時に私が生まれた。
父は船場(せんば)でちっぽけな洋服屋を営み、2階の六畳一間には風呂がなく、家族4人でずっと貧乏でした。
闇市のような繊維街で暮らしてた頃は、在日の人や復帰前の沖縄の人たちと助け合って生きてた。
博打で身を持ち崩す人、不渡りを摑まされ夜逃げする人もいた。
私の父も商売に失敗、引っ越しばかりしてたから、吉野の山奥の親戚に長く預けられた。母が美容師免許を取って、私と弟を育ててくれました。
だから、偉大なお爺ちゃん(岸信介、吉田茂)を誇らしげに語る安倍総理や麻生副総理には、ムカッとする。
私の祖父を「赤紙一枚」で犬死にさせたんは、誰なんや。父は泣きながら奉公に出ました。
一家の大黒柱が戦死すると、庶民の家は3代に渡ってどん底に陥る。
私が国会で「戦争をさせない」「貧乏を許さない」と叫び続けるのは、祖父の戦死と我が家の貧乏が、政治運動の原点だからです。

――初当選から21年目になりますね。

辻元 女性代議士では野田聖子さん(自民党、当選8回)が一番古く、野党では私が一番古く、菅官房長官とは当選同期です。
世襲議員とは対極の庶民の出で、大企業・大組織の応援を受けない女性議員の私でも、永田町で生き残れることを証明したいから、
歯を食いしばって、岩山をよじ登ってきました(笑)。

――次の衆院選で何を訴えますか?

辻元 我々は野党なんやから、現政権と徹底的に闘うしかない。政権に復帰した時に困るからと、矛先が鈍るようじゃ、国民の信頼は戻らへん。
アベノミクスとは、何やったんか。グローバル企業や富裕層はどんどん豊かになって、庶民の暮らしは苦しくなるばかり。
今、政府が為すべきは一人一人を生きやすく、元気にする「人への投資」です。とりわけ私が訴えたいのは「未来への投資」――。
裕福な家に生まれた子も経済的に苦しい家に生まれた子も、子どもはみんな平等です。
私は全ての子どもが学べる社会を作りたい。高校を卒業した私は百貨店でバイトをしながら進学を夢見た。
貯金が無いから、早稲田を受験した時は、サラ金で上京費を工面し、在学中は奨学金を借りまくり、バイトに明け暮れました。
現在、大学生の半分が奨学金を受けています。しかし、利子付きのローンのようなもので、卒業時に310万円も借金を背負う。
非正規雇用で返済に苦しむ人が多く、日本学生支援機構の奨学金を滞納した人は33万人という数字もあります。