>>305
675 名前:名無しさん@お腹いっぱい
ありゃあね戦前にカシメ師(船の鋲を打つ仕事)いう仕事があったんよ
その職人は特に気が荒く「カシメ相手に喧嘩するのは命知らずかよっぽどの大馬鹿」
じゃ言うて言われとったらしい、その人らの喧嘩が普通の喧嘩じゃいう風潮が
あったらしいだから喧嘩に対する基準が普通の一般人とは呉の人間全体がズレとる
いうて 死んだ爺さんから聞いたことがある、
ちなみに爺さんは呉西部出身で呉の海軍工廠で学生時代仕事してたと聞いた。
by広島西部人 } 確かに呉市は、小学生でも昔から真っ当な喧嘩をする。
http://wiki.chakuriki.net/index.php/%E5%91%89%E5%B8%82
ここの 2.5吉浦 3.真珠湾攻撃を立案した黒島亀人の生地。に、
「昭和11年、今の吉浦小学校と港町小学校の生徒約100人が夏休み
魚見山頂上付近の水晶が採れる場所の奪い合いのケンカがだんだん
激しくなり鎌・匕口(あいぐち)・日本刀などの刃物や空気銃を使っての
争いになる。当時の新聞に『昭和の血煙荒神山!学童の魚見山の決闘』
という大見出しで掲載される。 」  広島市内ものう。
http://hiroshima.moe-nifty.com/blog/2008/07/post_8c0c.html
「ただ育った環境が浅井様とは違ったのでしょう。私は40年前に 広島市内の公立
中学校で育ちましたが、ナイフやチェーンなどの武器を 使ったケンカは日常茶飯事
でした。今では全国どこの学校であれ、そんなことがあれば大きなニュースに
なります。実体験から見る限りでは、 今の子ども達は随分と大人しく良い子に
なっているように思うのですが、私の育ったところが悪すぎたのでしょうか。」
確かに今の若年層は大人し過ぎじゃ。