>>879
また、ネトウヨの大嘘こきで、日本軍の日華事変での敗北戦は無かったことに
捏造したいんか?
冬季作戦じゃ中国国府軍の反攻に、名古屋3Dと仙台13Dは敗戦し、仙台13Dの
多宝湾じゃ、[「歩哨が首を切られたり、拉致されたり、分哨や小哨が全滅した」
「これが"帝国陸軍"であり"皇軍"の姿なのか、と思うほど、あわれで悲惨な
情景だった。]と、広島39Dの戦記に書かれとるよう、仙台13Dは=A>>874
ネトウヨ賛美人気の山本七平氏が我がことのように自慢する中国兵の青龍刀の
餌食と成ったわけじゃが。まあ、救援の広島39Dが、仙台13Dを倒した中国軍を
撃退したどころか、名古屋3Dを追い詰めた敵兵まで駆逐したし、第二次長沙作戦は
>>830が如く、仙台13Dの軍旗焼却全滅危機救うたんも、広島39Dで、>>831じゃ、
大陸打通作戦兵力動員で孤立無援の広島39Dが比類無き防禦実績武勲は、
[「広西の会戦」 防衛庁防衛研修所戦史室著]にも出とるよ。
まあ、第二次長沙作戦自体、攻撃先陣争いのダブルエースの名古屋3Dと熊本6Dが
中国軍の反攻に敗戦遁走し、三番手、巻き添えの四国の善通寺40Dにも死傷者増大
じゃったし、中国軍反攻は宜昌の古豪、仙台13Dにも及んだ。
伊藤桂一氏は、第二次長沙作戦の敗北に、[たしかに第三師団(名古屋)も鎮台以来の
精鋭師団であり、第六師団もまた「胸をたたけばひと押しに、たちまち落とす
城の数、日本一の六師団」という歌の文句通りの強豪師団である。長沙城の
先陣争いが話題になるはずである。しかし「熊本兵団戦史」に第二次長沙作戦に
関する記述はない]と、木っ端微塵にやられた敗戦は、特に見栄っ張り豪話法螺の
九州人は隠蔽で隠しよんじゃけぇ。日本軍は日華事変でも勝つたり負けたりが現実よ。