>>830の続き。 まさに、
広島師団史にある、「守備する将兵の素質、特に防禦戦に必須の、各個人の士気の
旺盛・独立独歩の自立心・断固たる戦闘遂行の気概・白兵および火戦の自信
(大規模な反攻では、隣接した陣地から見ると、その陣地周辺には敵兵が充満していて、
あたかも敵に奪取されたような 錯覚に陥いり、奮戦しているのは、自分の陣地だけの
感を抱く。これは"孤立妄想"という戦場心理の一現象で、士気を失する原因となった。)」
「陣地の防御は苦しい。敵の猛撃に二、三名ずつ孤立してしまう。 孤立感はやがて
焦慮感になり、いたたまれないような不安感に襲われ、 爆撃で耳は聞こえず、
幻覚(幻影)にさいなまれてしまう。血みどろの死闘をやるのは、所詮人間である。
防者には自主性がない。だから精神的に大きな負担がかかる。つまり勝利に対する
信念と、 自分の情緒不安定に対する自己克服の精神力がないと、まず内面から崩れ
去ってしまう。」
元広島第231聯隊長の梶浦銀次郎氏は、「攻撃戦闘なら、一人の勇者がおれば、
他の兵がこれに続くことが出来るが、陣地では兵一人一人の、 悲惨な状況下にも
孤独にもめげず、判断の正常性を失わない、高度な能力が 要求されるが、これは
どこの師団の兵にも出来るというようなものでない。
 当時の宜昌地区の状況は、濡れた障子紙、いっぱいにふくらませたゴム風船の
ようなもので、若し百に近い陣地の中で、一つでも敵に抜かれたら 、連鎖反応で
忽ち前線総崩れとなっていただろう。味方が苦しいときは敵もまた苦しい。聯隊の
将兵が、中国兵よりも、 常に一歩、一段だけ苦難に耐え抜く精神力があったことが、
最後の勝利に 直結する最大の要因であった」と。
「これはどこの師団の兵にも出来るというようなものでない。」と、失態を繰り返す、
集団主義である前任の仙台師団にゃ無理じゃったが、個々の判断力や戦闘力が強く、
個人主義の自己克服が出来る広島師団でこそ可能になった。